ニュアンス
確か、大したことがきっかけではなかったと思う。
全員、機嫌が悪かっただけななもしれない。
些細なこと、『いいよ』の言い方が気に入らない。そう言うことだった。
「お前は一人でいろよ、気分悪い」
ただクラスの一人から嫌われた。
それだけではあったが、その一人の影響力が強いとクラスの中に居れなくなるような事態になる。
俺は、クラスの中で居場所がなくなっていった。
中学は給食ではなく弁当だった。
勝手に食べることになっていて、今まで一緒に食べていた連中から外されると、俺は教室で食べることに耐えられなくなった。
だから昼休みになるとカバンを抱えて、トイレに入った。
幸い、どこの学年の教室からも外れたトイレがあり、使用されない分、清潔で匂いなどもない場所だった。
俺は個室に入って一人で弁当を食べた。
そうすることで、クラスの中で一人きりになっていると言う事実を、知られないようにしていた。
何も話さないまま学校から帰ってくることが、ストレスになっていた。
結果から考えるとそういうことだったのだ。
俺は朝になると体調が悪くなっていた。
母は俺の変化に気づいていた。
「ねぇ、最近具合悪そうなんだけど、どうかした? 病院にいく?」
俺は途中まで声が出かけた。
『学校に行きたくない』
「病院? 学校のない日にしろ」
父の一言で、俺は『学校に行きたくない』と考えることを捨てた。
そこからは地獄だった。
家でも、学校でも、声を出すことがなくなった。
体調の悪化が、成績にも表れた。
どうしても声を出さなければならない場面で、吃るようになっていた。
それが、普通に接してくれていたはずのクラスメイトからも『キモ悪』がられることに繋がった。
連中だって、初めはいじめているつもりではなかったのかもしれない。
だが、転がり落ちるように人間関係が構築され、互いに、それが初めからあったような感覚になっていた。
学校に行けるような体調でないことは、余計に学校での態度や雰囲気に現れる。
だが『いじめられる』ことはあってはならない。
父の意向だけではない。俺のプライドもあった。
いじめられている、と言う状況自体を認められない。
「それを、一人で解決したと?」
鈴木万慈はそう言った。
綿貫は首を横に振った。
「助けられたんだよ」
「真壁にだね」
「そうだ」
あれだけ仲が良いのは、そう言うわけなんだろう。
万慈はそう思った。
「真壁がいるなら、学校に来れるのでは?」
「だから、言っただろう。俺が学校に行けないのは、いじめが問題じゃないんだよ」
「行けない?」
本人の意思ではないような、そんな言い方だ。そう思って万慈は綿貫の顔を見つめた。
綿貫は目を逸らすことなく、言い換えた。
「わかったよ。実は心の問題で『行けない』んだ」
「医者に止められている?」
「そこはどうでもいいだろう?」
万慈は顎に指を当てた。
「じゃあ、病名かそれが言いにくかったら、どこの医者にかかっているかとか、そう言うところを教えてもらえないだろうか」
「……言えない」
本当に医者の診断があるのだろうか。
そもそも学校を休むのに診断書がなくても良いのだろうか。
万慈は彼の表情を見て、綿貫はこれ以上話してくれそうにないと感じた。
「ありがとう」
万慈は立ち上がり頭を下げると、飲み終わったコーヒーカップを片付けた。
玄関でもう一度頭を下げると、綿貫の家を離れた。
彼は歩きながら考えた。
綿貫の言うことを信じていいのだろうか。
中学の頃、助けてくれたのは真壁かもしれないが、高校でも同じように助けてくれるとは限らないだろう。いじめられていた頃に掴んだ弱みを利用して、綿貫を脅しているのかもしれない。
だからあんな風に勉強を教わるふりをして家に行き、綿貫に釘を刺しているのかも。
万慈はこのまま真壁の家に行ってみることにした。
時刻は夜で、一般的には夕飯の時刻かもしれない。
万慈はそう考えながらも、真壁の家のインターホンを鳴らした。
家の中から、真壁の母と、彼、惟月のやり取りが聞こえてくる。
「鈴木くんだよね。何か用?」
「こんな時間にごめん、食事中?」
「いや、大丈夫だよ。わざわざこんな時間に、きっと重要な内容だよね」
鈴木は問いを持たずにここに来ていた。
そして一瞬の間で質問を作り上げた。
「綿貫のこと、なんか聞いている?」
「確かに聞いている。聞いているけど、話すことは出来ないんだ」
「じゃあさ、学校やクラスに関係するのかな?」
真壁は顎に指を当て、首を傾げた。
「本人の話からすると、関係は無さそうなんだけど。俺たち学生は、生活の大半が学校だろう? どう考えても何も関係ない、とは言えないよね」
「真壁の意見を聞きたいんだ」
「……あれだ。この前、クリケット部の連中に囲まれてたよね」
鈴木は頷いた。
「俺も詳しくは言えないんだけど、綿貫の不登校の理由によっては……」
「調べてみるよ」
万慈はまさかの答えに、驚いた表情をしていた。
「えっ?」
「それとなく聞き出してみる。本人にも、友達にもね」
「た、助かるよ」
家の奥から真壁の母がやってくる。
バツの悪そうな表情をする惟月。
万慈は頭を下げて、別れを告げた。
「また明日。学校で」
真壁は万慈を見送るように手を振った。




