第7話 あなたの声が、私の祈り
朝の光は、どこか寂しく、やさしかった。
神殿の前庭には、出発の準備を終えたルカの姿があった。荷を背負い、剣を腰に、背筋をまっすぐ伸ばして立っている。
私はその背を、遠くから見ていた。
昨日、彼は言った。
「王都の騎士団に推薦されたんだ。俺、もっと強くなりたい。誰かを守れるようになりたいから」
それは、彼らしい理由だった。
そして、どこまでも優しい“別れ”だった。
(だめだな……笑わなきゃいけないのに)
神殿の階段を降りていく足が、少しだけ重かった。
でも、行かないと。
ちゃんと、見送らなきゃいけない。
だって私は、聖女――そして、ミアなのだから。
◇ ◇ ◇
「来てくれて、ありがとう」
ルカがそう言って微笑んだ。
「最後に……ちゃんと、顔が見たかったから」
「わたしも……話したかった」
言葉が少し震えたのは、きっと朝の風のせい。
私は、ルカに小さな包みを手渡した。
中には、白い布に包んだ“ユリのしずく”の花が入っている。
「前に言ってたでしょ。かわいいって……だから、持っていってほしくて」
ルカはそれを受け取り、大事そうに胸元のポーチへとしまった。
「ありがとう。すごく嬉しい」
その声が、やわらかくて、あたたかくて――
それだけで、もう泣きそうだった。
「……ミア」
「うん」
「俺さ、たぶん……君に会ってから、初めて“祈り”ってものを信じられたんだ」
「君の声は、奇跡とか魔法じゃなくて――心に、まっすぐ届くから」
私は、言葉を飲み込んだ。
でも、もう逃げないって決めていた。
だから――ちゃんと伝える。
「わたし……ルカに出会えて、よかった。あなたの声に、何度も救われた」
「あなたの“ありがとう”が、私の祈りを、ほんものにしてくれたの」
胸の前で、両手をぎゅっと握りしめた。
「……神様に言えないこと、たくさんあるけど」
「でも、ルカには言いたいの。――好き。……あなたが、好きなの」
風が、やさしく吹いた。
何も言わず、ルカはゆっくりと近づいてきて、そっと私の頭に触れた。
ひとつ、深く息を吐いてから。
「俺も。……また会いに来る。ぜったい」
その言葉は、祈りのようで、でも祈りじゃなかった。
それは、“約束”だった。
◇ ◇ ◇
ルカの姿が門の向こうに消えていくのを見送りながら、私はひとり、祈りの間へ戻った。
ろうそくを灯す。
深く、息を吸って、祈りの姿勢をとった。
けれど、いつもと違うのは――
今、私の心にあるのは“誰かのため”の祈りじゃない。
“私自身の願い”が、そこにあった。
「ねえ、神様。わたしはもう、奇跡なんかじゃないかもしれない」
「でも、誰かを想うこの気持ちは、きっと――」
「……この声が、あなたに届きますように」
その声は、もう“ひとりごと”なんかじゃなかった。
世界でたったひとりの誰かに向けた、わたし自身の祈りだった。
◇ ◇ ◇
神殿の屋根の上、風に揺れる小さな花がひとつ。
“ユリのしずく”。
その白い花びらは、そっとひらいていた。
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『聖女であることよりも、あなたと笑っていたかった』―完―