第5話 私は祈る事しかできないから
「……ミア、顔、青いよ」
ルカの声が、まっすぐに胸に刺さった。
昼下がりの神殿。中庭のベンチで、私はそっと視線をそらした。言い訳の言葉が喉まで出かけて、でも、それをのみ込む。
「大丈夫。ちょっと疲れてるだけ……いつものことだから」
そう笑ってみせたつもりだった。でも、ルカの顔から心配の色は消えなかった。
彼の視線が、じっと私の手を見つめていることに気づいた。
袖の隙間からのぞいた指先――そこには、うっすらと青白い痣のようなものが浮かんでいた。癒しの祈りを行った後、時折こうして肌に“代償”が現れることがある。
私にとっては、もう慣れたものだった。
でも、彼にだけは――見られたくなかった。
「それ……祈ったときの、あれ、だよね?」
私は答えなかった。
否定しようとした。でも、できなかった。
代償があるなんて、神殿の中でも一部の上層部しか知らない。それが広まれば、「聖女」は祈りのたびに“削れていく存在”だと知れてしまう。
私は、ただの象徴ではいられなくなる。
「……ルカには、関係ないから」
やっとのことでそう言った声は、自分でもわかるほど小さく、震えていた。
ルカはそれに返事をしなかった。ただ、ゆっくりと立ち上がり、私の隣に腰を下ろした。
そして、なにも言わずに、そっと私の手を取った。
彼の指が、私の手の甲をゆっくりと撫でた。やさしく、ひとつひとつの痣を確かめるように。
私は、なにも言えなかった。
その手があたたかくて、涙が出そうだった。
「……ミア」
彼が小さく名前を呼んだ。
「俺、知らなかった。こんなに、君が痛い思いしてるなんて」
その声が、ひどく優しかった。
「でも……もう、無理しないで。誰かのために、自分を壊すなんて、そんなの、違うよ」
その言葉は、あまりにも優しくて、私はとうとう泣いてしまった。
止めようとしても、止まらなかった。
涙は、ずっと出さずにいたぶん、溢れるように零れた。
◇ ◇ ◇
その夜。
私は祈りの間にいた。
ろうそくの灯が、まるで私の心のように、揺れていた。
祈りの姿勢をとっても、心は落ち着かなかった。
代償のこと。ルカの言葉。自分が“聖女”であること。
全部が胸の奥で絡まりあって、息が苦しかった。
「……ねえ、神様。わたし、間違ってないよね?」
「誰かを癒すたびに、こうして痛みを抱えて、わたしは崩れて行く……それでも、それでも……祈ることしかできないから……」
私は両手をぎゅっと組んだ。
誰かに必要とされることが、どれほど嬉しかったか。
ルカが「ありがとう」と言ってくれたことが、どれだけ救いだったか。
でも――
彼の「もう無理しないで」という言葉が、優しすぎて、泣きたくなるほど嬉しくて。
「ねえ、神様。わたし、もう、誰かの“奇跡”でいるだけじゃいられないの……」
「ルカに、“聖女様”じゃなくて、“ミア”として見てほしいって、思っちゃうの……」
ろうそくの炎が、わずかに揺れた。
それが返事なのか、ただの風なのかはわからない。
でも私は、はっきりと気づいていた。
この気持ちは、祈りではない。
願いでもない。
――恋だ。
痛みも、苦しさも、祈りの代償も、すべて引き受けてでも。
私は、彼の隣にいたい。
◇ ◇ ◇
翌朝、ルカがそっと控室に顔を出した。
「おはよう、ミア」
「……おはよう、ルカ」
それだけの挨拶が、まるで花が咲いたようにやわらかかった。
彼は、手に小さな包みを持っていた。
「これ、君に」
開いてみると、そこには白い包帯と、小さな香草が入っていた。
「痣、冷やすとちょっと楽になるって、神官さんに聞いた。……だから」
私は、胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。
彼は、私の“聖女の力”なんて気にしていなかった。
ただ、“ミア”を想ってくれた。
こんなふうに想ってもらえるなら、私は、また祈れるかもしれない。
“奇跡の聖女”ではなく――“ひとりの少女”として。