第三十五話 選択
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第三十五話 選択
「ライラ様。」王宮標準のメイド服を身にまとったマリアが、足音を立てずに優雅な歩みで、ソファーにいるライラとランのもとへと近づいた。
「お顔に傷が…手当てをさせてください。」彼女の声は優しく、少し腫れ上がったライラの頬を、心痛むような眼差しで見つめている。
幾度となく深夜に慎ましく相手の顔を撫でてきたその手が、今、もう二度と会えないと思っていた「ライラ様」へとゆっくりと伸ばされた。
「結構よ。」ライラは即座に拒否し、体を自然と傍らのランに寄せた。
ランは不満げな表情を浮かべ、体をわずかに後ろに引いて、この息苦しいほどの接近から逃れようとした。
彼女の視線は、遠くで手の手当てを終えた師匠へと向かう。泣きたいのに涙すら出てこない絶望感が、心に重くのしかかっていた。
「これはランが殴った傷だから、このままにしておくの。」ライラは楽しげに言いながら、体をランにさらに密着させた。
ランの両手はまだ縄で縛られていた。いつでも解けるのに、師匠がまた傷つくかもしれないという恐怖と、このべったりとした存在を押しのけられない無力感が、彼女を硬直させてただ耐えさせるしかなかった。
マリアがライラへと伸ばした手は空中で止まり、指が制御不能に微かに震えた。
彼女の視線がライラの傍らにいるランを一瞥し、理性が必死に心の内に渦巻く怒りを押し殺そうとしていた。
(ライラ様は小さい頃から誰にも殴られたことなんてなかったのに…)宝石のように大切に守ってきた人が、知らぬ間に、目の前のこの者にこんなにも乱暴に傷つけられていたなんて。
「なんでメイド連れてきたんだよ…」ランは不満げに愚痴り、マリアの自分を千切りにでもしそうな眼差しには全く気づいていなかった。
「そうすれば私たちの世話をしてくれるからよ。」ライラが傍らで楽しげに答えた。
「もちろん、ランの分は私が直接お世話するわ~」彼女は手を伸ばし、子供をなだめるように優しくランの髪を撫でた。
「要らない!」ランは怒りを含んだ声で唸った。
(ライラ様を殴るなんて…私が小さい頃から大切に育ててきたライラ様を…)
マリアはゆっくりと手を引っ込め、静かに傍らに立ちながら、深い眼差しで二人を見つめた。
(今の私は、主従契約の効力で、魔法を使える力を得た…)
初級魔法だけど、彼女を相手に…マリアの脳裏であらゆる可能性が高速で計算されていた。
コンコン――ドアを叩く音がした。
「マリア、ドアを開けて。」ライラが指示を出した。視線は相変わらずランから離れない。
「好きな魔獣の話、続けてよ~」彼女はランが興味を持ちそうな話題に戻ろうとし、貪るようにランが話す声を捉えようとした。
「言ったってお前にはわからねえよ…」ランは彼女との交流を拒絶した。
「真剣に聞くわ。」ライラは微笑んで約束した。
マリアはドアの方へ歩き、開ける前に最後に振り返って室内を見た。
ソファーでは、ライラ様が彼女を殴ったランと「会話」している。
食卓の傍では、エイブリン様が疲れた表情で、机上で狂ったように震えている魔法書を見つめていた。
彼女はドアを開けた。
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「お前は誰…?」エルリスがドアの前に立ち、その背後には勢い込んだ魔法使いたちの一団がいた。彼女の鋭い視線が、ドア口に立つ見知らぬメイドの顔をじろりと見た。
「私はライラ様のメイド、マリアと申します。よろしくお願いいたします。」マリアは軽く会釈した。
「ライラ…」エルリスはその名を聞いた途端、抑えていた怒りが一気にこみ上げてきた。
「あいつを出せ!」彼女の声は冷たく刺すようで、目つきは人を殺せるほど鋭かった。
「エイブリン!エイブリン大丈夫!?」エルリスの背後から小さな影が顔を覗かせ、焦りながら室内を覗き込んだ。
【迷途の魔女】セレン、そして彼女の後ろには熱血沸騰した弟子たちの大群。
「中へお通ししますか、ライラ様?」マリアは振り返ってソファーのライラに指示を仰いだ。
「この家は私のものじゃないから、エイブリン様に決めてもらいなさい。」ライラは屋外の集団を全く気にしていないが、好奇心に駆られて手軽に魔法書を召喚し、ずっと疑問に思っていたことを調べていた。
「なるほど…」彼女はページに書かれた文字を見て、初めて検証された事実に感嘆の声を漏らした。
【魔法使いは招待されていない家に入ることはできない。】これは魔法使いが守らなければならない古い規則の一つだった。
「マリアが昔話してくれたあの話、全部本当だったなんて…驚きね。」精霊の存在すらも虚構ではなかった。
「何事も、自分の目で確かめないと信じ難いものね。」ライラは呟いた。
かつてマリアが語った魔法使いが杖や本を空中召喚し、空を飛ぶ光景、精霊の存在は、今や彼女とランの生活の中で一つ一つ実証されていた。
彼女は魔法書を収め、注意を再び傍らのランへと集中させた。
「エイブリン様、ご意向はいかがでしょうか?」マリアは食卓の傍のエイブリンへと向き直った。
「エイブリン…」ドアの外のエルリスは、彼女が疲れ果ててそこに座り、包帯を巻いた手がひときわ目立っているのを見つめていた。
「エイブリン!エイブリン!」小さなセレンが傍らで焦ったように呼びかける。
エイブリンは重々しい表情でゆっくりと顔を上げた。
「お土産は?」彼女はドア口に立つ招かれざる訪問者たちに、かすれた声で尋ねた。
するとエルリスとセレンが手品のように、それぞれ包装の美しいケーキの箱を取り出した。
「あまり多くの人を入れないで…」エイブリンは呆れたようにため息をつき、声には疲労がにじんでいた。
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エルリスとセレンが数人の魔法使いを連れて室内へ入った。
「怪我したの?エイブリン?」エルリスは心配そうな顔で、彼女の包帯を巻いた手をしっかりと見据えた。
「まあ…」エイブリンはもう表情すら作る気力もなく、ただ茫然と傷ついていない手で、箱からブルーベリーケーキを一つ選んだ。
彼女は目の前の一番好きなお菓子を見つめながらも、かつてのような喜びの色は微塵もなく、まるで感情がすべて抜け落ちたかのようだった。
「どうしたらいいんだ、エルリス…」エイブリンの声は蚊の鳴くほど小さく、隣にいるエルリスにしか聞こえないほどだった。
包帯を巻いた手が制御不能に微かに震えている。
「エイブリン…」エルリスは緊張して彼女を見つめ、どう慰めればいいのかわからない無力感に満たされていた。
「師匠…」ランがソファーから緊張した声で呼んだ。
「行っちゃだめよ、ラン。」ライラが耳元でささやき、疑う余地のない口調で警告した。
「ランは今、私のものなんだから。」彼女は微笑みながら所有権を宣言した。
ランは怒りで彼女を睨んだが、エイブリンがまた傷つくかもしれないという恐怖が、彼女をその場に硬直させた。
「エイブリンを操ってるのはあんたか!」セレンが小さな体でエイブリンの前に立ちはだかり、指を怒りに震わせながらライラを指さした。
「魔法は人に気軽に使っちゃいけないの…」彼女は自分の杖を召喚し、真剣な口調で言った。
「でも黒の魔法使いは例外よ!」その表情が一瞬で氷のように冷たくなった。
「永遠の眠りにつかせてやる!」彼女は杖を高々と掲げ、魔法を発動させる構えを見せた。
「私が眠れば、エイブリン様も一緒に永遠の眠りにつくわよ。」ライラは気軽にそう言い放った。
するとセレンが杖を掲げた手が急に硬直し、激しく震え出した。
「卑怯者!」彼女は目尻に涙を浮かべ、杖を怒りでライラに向けながら罵った。
「政治家と呼んでちょうだい。」ライラは退屈そうに訂正した。
「それか『レイ』(偽名)ってね。」
「ランにはね、」彼女はランの耳元に寄り、息をかけた。
「ライラって呼んでほしいの。」
「そういえば、まだ一度も私の名前を呼んだことないわね。」ライラは思い返し、少し新鮮そうな口調で言った。
「練習してみましょうか。」彼女は微笑んで提案した。
「や、やだ…」ランは小さな声で拒否し、心は極度の不本意でいっぱいだった。
「エイブリン様がまた怪我してもいいの?」ライラは再び軽やかにエイブリンの名前を駆け引きの材料にした。
ランはただ恐怖の眼差しで彼女を見つめるしかなかった。縛られた両手には解く力があるのに、その深い恐怖のせいで屈服するしか選択肢がなかった。
「このやろう…」セレンは傍らで怒りに全身を震わせながら、ライラがランを脅迫する様子を見ていた。
「ライラ、こっちへ来い!」エルリスがいつしかライラの傍らに来て、彼女の襟首をつかみ、言うことを聞かない子猫を捕まえるかのように持ち上げた。
「書斎、借りるわ。」彼女は容赦なくライラを書斎へと連れていった。
一同が呆然と見守る中、書斎のドアがエルリスによって勢いよく閉められ、重い音を立てた。
「師匠!」ドアが閉まった瞬間、ランはようやくエイブリンのもとへと駆け寄った。
「師匠…」ランはエイブリンの服をぎゅっと掴み、声を詰まらせた。
「ラン、大丈夫か?」エイブリンは傷ついていない手で、優しくランの髪を撫でた。
「師匠こそ…俺のせいで、師匠が怪我して…」ランはついに耐えきれず、エイブリンの胸に抱かれながら泣き出した。長く抑えていた恐怖と自責の念が一気に溢れ出た。
「大丈夫だ、お前のせいじゃない。」エイブリンは優しく囁き、震える弟子をなだめたが、傷ついた手は相変わらず止めどなく微かに痙攣していた。
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書斎の中。
「自分が何をしたかわかっているのか…?」エルリスの声は天をも焦がす怒りを抑え、眼光炯々と目前の金髪の少女を睨みつけていた。
「こうすればランと一緒にいられるから。」ライラは楽しげに答え、顔には浅く、しかし心からの微笑みが浮かんでいた。
「師弟契約を解除することもできるわよ、エルリス様。」ライラは名目上の導師をまっすぐに見据えた。
「私は元々、魔法使いになることに大して興味なんてなかったし。」
「ランと一緒にいられさえすれば、それで十分なの。」
「それはお前がランに…されているからだと、言っただろうが」エルリスの言葉が終わらないうちに、ライラに遮られた。
「どうでもいいの。」ライラの澄んだ青い瞳には揺るぎない光が宿り、疑いの余地はなかった。
「元々彼女のことが好きだったから。」彼女はあっさりと宣言した。
「それに、今の私のほうが、もっと『理性的』に彼女を愛せる気がする。」ライラは続けた。口調には不気味なほどの平静さがあった。
「以前の私はあまりにも優柔不断で、受身すぎた。今なら、もっと断固とした方法でいろいろな手段を使える。」
「何しろ、ただぼんやりとランが私を受け入れるのを待っていたら、いったいいつになるの?」
「私は彼女と永遠に一緒にいたいの。」
彼女の言葉に合わせて、無数の漆黒に歪んだ悪霊の手が再び現れ、彼女の体をしっかりと掴み、魂に絡みついた。
彼女は抵抗せず、拒絶もしなかった。むしろ、帰るべき場所を抱きしめるように、ランに「支配」されるこの歪んだ繋がりを静かに享受していた。
『魔法使いは、召喚された魔法使いを救わない。
救えないからだ。
同時に、より多くの罪なき魔法使いを深淵へと引きずり込むことになる。』
―― この冷徹な箴言が、無言のままエルリスの胸中に反響していた。
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エルリスが書斎から出てきた。その顔には諦めと深い挫折感が刻まれていた。
「どうだった?ちゃんと叱ってやったか!」セレンがドアの前に立ち、両手を腰に当て、ムッとして尋ねた。
するとエルリスはただ暗い表情でため息をつき、首を振っただけだった。
「くそっ!じゃあ私が言ってやる!」セレンは怒って袖をまくり、突入する構えを見せた。
「お二人様、ゆっくりお話しくださいね、私はお邪魔しませんから。」ライラの声が書斎のドア口から聞こえ、彼女は勝手に出てきて、リビングでランの姿を探すように視線を泳がせた。
「隠れたのかしら?」ランが見えないことに、彼女は軽く笑った。
「本当に子供っぽい行動ね。」口調には奇妙なほどの寵愛が混じっていた。
彼女はリビングへと歩いていった。
セレンはすぐに大敵にでも立ち向かうように身をかわし、再びエイブリンの前に立ちはだかった。
だがライラはそれを無視し、すんなりと彼女たちの横を通り過ぎた。
彼女はしゃがみ込み、ためらうことなく最下段の物置スペースの扉を開けた。
「見つけた~」ライラの顔に勝利の微笑みが広がった。
見ると、ランは丸まって、驚いた小動物のように狭いスペースに身を潜めていた。
「うぅ…なんで…」ランの声には泣き声が混じり、目尻に涙の光が宿っていた。
ライラは自分の胸を指さした。
「これ忘れたの?」彼女たちの魂が繋がっているという鉄の証拠。
「どこにいても、私はお前を見つけ出せる。」ライラは手を伸ばし、掌を上に向けて、拒否を許さない姿勢を見せた。
「出ておいで、お前はこんな場所、好きじゃないでしょ。」彼女の声は異様に優しかった。
ランの体が微かに震え、ついに、震える手でライラの差し出した手を掴んだ。
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その様子を傍らで見ていたセレンとエルリス。
「ど、どうするの、エルリス!この状況、聞いただけだと感動的なはずなのに…なんで私は鳥肌が立つだけで、ちっとも感動できないんだろう!」セレンは頭をかきむしりながら低い声で言った。
「聞くな…」エルリスは再び深いため息をつき、憂慮した目を食卓の傍へ――エイブリンが静かにブルーベリーケーキを食べている方へ――と向けた。彼女の顔にはかつての満足と喜びは半分もなく、ただ虚ろな空白が広がっているだけだった。
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