第十九話 触れようとして
**第十九話 触れようとして**
「お断りします」彼女は微笑みながら言った。
ランが包丁を握りしめ振り返ると、金髪の少女がキッチンの入口に立っていた。
アカンシア王国の元王女──ライラ・オーリヴァン・アカンシアは、今、ランが振るう刃を無視して一歩踏み出した。
「邪魔だって言っただろ、部屋に戻れ」ランが包丁の先で空気に銀の弧を描いたが、ライラはなおも近づいてくる。
「私は部屋で食事をする習慣はありません」彼女の水色の瞳にランの姿が映っている。
ついに刃先からわずか半歩の距離に止まった。
ランはため息をつき、包丁を思わずそらした。
「出来上がったら呼んでやるから、それでいいだろ?」
「じゃあ、ランは一緒に食べてくれる?」ライラが突然近づき、息がランに触れるか触れないかの距離まで来た。
「無理」ランはきっぱりと後退した。
(彼女が食べ終わるまで自分の分を煮る間、部屋に戻るつもりだ)
何せ師匠は部屋で食べるのを禁じているからな……
「じゃあ、やめます」ライラの口調が急に冷たくなった。
彼女はゆっくりと手を上げ、指先をランの顔に向けて伸ばした。
「一緒に食べてくれないなら──」そう言いながら、目の前の黒髪の少女に触れようとした。
(試してみよう……何の反応もないわけじゃないはず……)
「私はこっそり出かけちゃうからね」指が肌に触れんとする瞬間、ランの姿がぱっと消えた。
ライラの指先だけが虚ろな空気に残された。
「てめぇ……」声が背後から聞こえた。
ランは彼女の背後に瞬間移動し、眉間に深い皺を刻んでいた。
「師匠が外に出るなって言ってるだろ!」
ライラは手を下ろし、振り返るときも微笑みは消えていなかった。
「そうですね。でもエイブリン様は私の師匠ではありません」
ランが次第に険しい表情になるのを見つめながら、彼女は続けた。
「これは私にとっては忠告に過ぎず、従う義務はないのです」
(彼女は今、私を嫌っている……どんなご機嫌取りも無駄だ)
ライラはランが包丁を握りしめた指の関節を見つめた。
(ならば、徹底的に嫌わせてしまえば、かえって──)
嫌悪が極限に達すれば、反動が来るかもしれない。
(彼女が何をしても、私は受け入れる)ライラは彼女を見つめた。
それどころか、彼女に近づく機会さえ作り出せる。
「どうせ私が何をしようと、エイブリン様は私を許してくれますから」彼女は笑みを深めた。
「そうだよね、ラン?」
(ごめんね、ラン。君に近づくためには、悪役を演じるしかないんだ)
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ランがシンクの前で野菜を刻む間、ライラはほおづえをついて食卓に座っていた。
(もっと彼女を知らなければ……)視線はランの背中をなぞる。
(でも彼女は何も語ろうとしない)今わかっているのは「両親」が禁句だということだけ。
(これを使って試すべきか?)
「ラン……」彼女はうつらうつらと目を閉じかけたが、突然の陶器のぶつかる音で目を覚ました。
一皿の野菜炒めが無造作に目の前に置かれた。
「眠いなら部屋で寝ろ」ランは振り返りもせずに調理を続けた。
「ねえ、ラン」ライラが上半身を起こした。
「私のこと、好き?」
フライ返しが空中でピタリと止まった。ランは硬直して振り返った。
「大っ嫌い!」彼女は私に怒りを爆発させて言うと、すぐに振り返って料理を続けた。
ライラはため息を腕に埋めた。
(どうすれば、君は私のことを好きになってくれるんだろう?)
ライラは心の中でそう思ったが、その言葉を口にはしなかった。
(このまま一生、嫌われ続けるんじゃないか……)
彼女はそう考えながら、机に突っ伏して静かに眠りについた。
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ランは機械的に昼食を咀嚼し、向かい側からはライラの均等な寝息が聞こえてきた。
(起こすべきか?)彼女は激しく首を振った。
(早く食べて部屋に逃げ込め!)
(絶対にもう会うものか!)
金色の髪の下で微かに震えるまつげに目が留まり、ランはフォークを握りしめた。
(今すぐ彼女を王国に転送してしまおう……どうせ通路は開通しているんだ。)
魂の繋がりも、死の共有も、もうどうでもいい。
(師匠は彼女に奪われた……俺の師匠が。)
ランが手を上げると、一枚の羊皮紙がひらりと舞い降りた。
【師弟契約】という四文字が空白部分に炎となって浮かび上がる。
ランは「師匠:辺境の魔女- エイブリン」と鎖に縛られた文字を撫でた。
王族に召喚された魔法使いは最後には操り人形となる……その名が灰になるまで。
「楽しく生きていればそれで十分だ」師匠の言葉が耳元に響く。
(これ以上強さを追い求めるべき職業じゃない)魔法使いとはそういうものだ。
ランは手を離し、紙は光の粒となって消えた。
ランは残った食事を見つめた。
(召喚魔法は代償と願いによって対象を選別する……)彼女は眠る王女を盗み見た。
(隷属魔法は別の体系だが、もし俺と師匠が両方とも彼女に召喚されたのなら──)
(もしかして……俺が師匠の代わりになれるか?)
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塔のバルコニーで、エイブリンの杖が軽く床を叩いた。
「来たね、エイブリン」白髪の女性がアーチ門にもたれかかり、氷の結晶が髪先で煌めいていた。
「誰かの強制条項のおかげさ」エイブリンは呆れたように言った。
「月に一度は会えって」目の前の魔女を見て。
【高冷の魔女】エルリス、七賢者の一人。
女性の氷のごとく冷たい目がエイブリンを見つめたが、すぐにふっと微笑みを零した。
「だって、そうしなければ君は絶対に自ら会いに来ないからね」
彼女は微笑みながら言った。
エイブリンは彼女を素通りした。
「手紙はちゃんと返事してるんだから、会う必要なんてないだろ」
エイブリンは彼女の傍を通り過ぎ、まっすぐに屋内へと歩いていった。
「でも心配なんだもん」
エルリスはその場に立ったまま。
「まさか君が召喚されるなんて……」彼女は心配そうな表情でエイブリンを見つめた。
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紅茶の香りが漂う室内で、赤髪の少女が陶器のカップをそっと置いた。
「お茶をどうぞ」少女は目の前のオレンジ色の髪の魔女を見て言った。
「ありがとう、シャオ」エイブリンの微笑みに、少女の耳の根元がほんのり赤らんだ。
「わ、わ、マカロン持ってくるね!」シャオは慌てて逃げ出す背中が壁の絵をガタンと揺らした。
「まだ卒業させてないのか?」エイブリンが湯気を吹き飛ばした。
エルリスがカップを回した。
「シャオはまだだ。魔法が合格の域に達していない」
「その代わり『ジン』は『雨の魔女』の称号を得て、魔法都市で店を開いたよ」
エルリスはキッチンから聞こえてくる器のぶつかる音の方へ目を向けた。
「この子は見習い魔女になって三年になる」彼女の目には少し心配の色が浮かんでいた。
「そろそろ……」と彼女は小声で呟いた。
「君の家のランは?」彼女は目の前のエイブリンを見た。
エイブリンのティーカップが唇の前で止まった。
「君は分かっているだろう」
彼女は顔を背け、窓ガラスに映った瞳が急に暗く沈んだ様子が浮かび上がった。
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