第十七話 初めての夜
**第十七話 初めての夜**
夜。
エイブリンはベッドに横になり、本をめくっていた。
コン、コン──と、ドアが軽く叩かれた。
「ランか?」彼女はドアを見て、少し訝しげな口調で言った。
しかしランは決してノックなどしない。
「入ってこい、鍵はかかってない」部屋の中から声がした。
ドアが開けられ、金髪の少女が枕を抱えて立っていた。
「お邪魔します、エイブリン様」
彼女は礼儀正しくドアの傍に立ち、ベッドにいる年長の魔術師を見つめた。
「何か御用ですか、姫君?」
エイブリンはだらりと本のページをめくり、若干の冗談めいた口調で言った。
「命令するなら朝まで待ってくれ、今日はもう十分疲れた」
ライラは枕を抱えたまま部屋に入り、そっとドアを閉めた。
部屋には二人きり。
「お伺いしたいのですが……」彼女はベッドの傍に立ち、落ち着いた目で言った。
「今夜、私をあなたのそばで寝かせていただけませんか?」
エイブリンが持っていた本が、布団の上にすとんと落ちた。
彼女は困惑した様子で相手を見上げた。
「まさか……」
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「一つ聞くが、もし『ダメ』だと言ったらどうするつもりだ?」
「何もしません。ただお伺いしただけです」
ライラは穏やかな口調で、枕を抱えていた。
「はあ……今夜だけな」エイブリンは仕方なさそうに言った。
「それと……」
ライラの口調が突然沈み、目つきが一変した。
「私を『ライラ』と呼んでください、エイブリン様」
彼女の口元がわずかに緩み、背筋が凍るような笑みを浮かべた。
(この強制感……嫌な感じだ)
エイブリンは警戒しつつ、ライラがゆっくりと近づき、ベッドの端に上がってくるのを見た。
「あなたと仲良くなれば、ランも警戒しなくなるかもしれませんから」
彼女は枕を置き、布団にもぐりこんだ。
「もちろん、これを命令と受け取っていただいても結構ですよ」彼女は軽く笑った。
「あの子は元々そういう性格だ」
エイブリンは布団の上に落ちた本を拾い上げ、淡々と言った。
「あの子が名乗る称号を見れば分かるだろう?」
孤高の魔女、ラン。
「それはエイブリン様を真似て付けたんじゃないんですか?」
ライラは静かな声で言い、布団の中から伝わる体温がほのかな温もりを運んでくる。
「辺境と孤高は違う」
エイブリンの口調は落ち着いていた。
「私はただ、人の少ない場所が好きなだけだ」
「たまには魔女たちの茶会にも顔を出す」
ランには『老人会』呼ばわりされているが。
「世捨て人になるつもりはない」
「この間……ランは一人きりだったんですか?」ライラが尋ねた。
エイブリンの手が止まり、視線が天井へと向かった。
「ああ」
「彼女は『人』には全く興味がないようだ」
「確かに一般人には気をつけるよう言ってはいたが……ここまで孤高になるとはな」
「魔法の研究に没頭しすぎて……」
エイブリンはため息をつき、口調に少し諦めが混じった。
「つまり……彼女のそばにはエイブリン様しかいなかった?」
ライラは彼女を見つめ、静かな口調で言った。
「どうすれば、彼女と関係を築けるのでしょう?」
彼女は微笑みながら言い、探りと誠意を込めた口調だった。
「知らん。あの子に友達なんて一人もいない」
エイブリンは冷たく答えた。
(他の魔女たちにも「さすが辺境の魔女の弟子だな」と言われてな……この孤高っぷりは確かに俺に似ている)
辺境と孤高は違うんだってば!
「とにかく、参考になるような話は持ち合わせていない」
「どうして彼女に友達を作らせなかったんですか?」
ライラは考え込むように言った。
(そうすれば、私はその友達からアプローチできたのに……)
ゼロからイチが一番難しい。
「……それとも、家族から入るべきでしょうか?」彼女は小声で言った。
「あの子に両親はいない」エイブリンは即座に遮り、口調が瞬時に厳しくなった。
「彼女の前でその話は出すな。彼女に嫌われたくなければな」
ライラは一瞬考え込み、口を開こうとしたその時──
ドアが勢いよく開かれた。
「師匠……」
ランがドアの前に立ち、枕を抱えていた。
「今日……一緒に寝てもいい?」
エイブリンは軽くため息をついた。
「またか……」
ランの視線がベッドの上の二人に向けられた。
「なんであいつがここにいるんだよ!」
ランは枕をぎゅっと握りしめ、怒りを露わにした。
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「なんで師匠のベッドの上にいるんだよ!」
ランはぷんぷんしながら、枕を抱えてドアの前に立って叫んだ。
「ラン、夜中に騒ぐな」
エイブリンは横になったまま、呆れたように言った。
「だって……師匠……」
「くっ、俺に断られたからって、師匠の部屋に来るなんて!」
ランは悔しそうな表情を浮かべた。
「断られた?」エイブリンは隣の金髪の少女を一瞥した。
「お前、最初はランと寝るつもりだったんだろ? わざわざ俺の部屋に来なくてもいいのに」
エイブリンは呆れ気味に言った。
「仕方なかったんです」
ライラは落ち着いて言った。
「だって、私の部屋には……布団がなかったんですから」
王宮から持ってきた枕だけだった。
「だからランと一緒に寝てもいいかなと思ったんですが、断られてしまいまして」
「実は、一人で寝る方が慣れているんです」
ライラは横になりながら言った。
「布団は明日探すって言っただろうが!」
「一晩くらい布団なくても平気だろ、まだ秋だし」ランは不機嫌に言った。
「布団がないと眠れません」
「私は睡眠の質にはとてもこだわるんです」彼女は笑いながら言った。
「ちっ……」ランは枕をぎゅっと抱きしめた。
「俺、部屋に戻って一人で寝る……」
彼女は振り返ろうとした。
「ラン」エイブリンが呼び止めた。
ランは足を止め、振り返った。
エイブリンがそっと、自分の反対側の布団をめくっているのが見えた。
「こいよ、一緒に寝るって言ったんだろ?」
どうせ今となっては……こうなってしまったんだし。
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エイブリンは本を閉じ、片側にラン、もう片側にライラがいるのを見た。
「ねえラン、これで私たち、一緒に寝たってことになるのかな?」
ライラが笑いながら尋ねた。
「だ、誰がお前と一緒に寝るかよ!」
ランはぷんぷんしながら背を向けた。
「それに、これじゃ一緒に寝たことになんてならない!」
「だって同じベッドの上じゃない~」
「ならないって! これは俺のベッドじゃないんだから……」
ランは意地を張って言った。
「はあ……」間に挟まれたエイブリンは深いため息をついた。
「もう寝る時間だ、ラン、それと──」彼女は一瞬間を置き、
「ライラ」
「え? 師匠がなんであいつの名前を呼ぶんだよ!」
ランは目を見開いた。
「何がおかしい? 彼女はもう王女じゃないんだぞ」
エイブリンが言い終えると、本がひらりと浮かび上がり、自動的に本棚へと戻っていった。
(確かに以前はわざと名前を呼ばないようにしていたがな。)
「どうせこれからも一緒に暮らすんだ」
「うぅ……」ランは布団をぎゅっと引き寄せ、声が少し震えていた。
「変だよ……」
「なんで師匠はあいつをあんなに簡単に受け入れるんだ……」
「まるで……変わり者扱いされてるみたいで……」
エイブリンは横を向き、彼女を見た。
そして手を伸ばして、ランをぎゅっと抱き寄せた。
「よし、ラン、もう寝よう」
彼女は優しく耳元で囁いた。
「明日のことは……明日考えればいい」
エイブリンはそっとランの頭を撫で、ランは黙って彼女にしがみついた。
そして傍らで、ライラは静かに布団を引き寄せ、目を閉じた。
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