第十六話 私は彼女が嫌い
**第十六話 私は彼女が嫌い**
「でも、実は魔法使いになること、そこまで急いでないんです」
金髪の少女はそう言いながら、テーブルの上の皿を重ねていた。
突然、食器がふわりと浮かび上がった。
「これは……?」
彼女は怪訝そうに、重ねられていた皿が一つずつ分かれて、
付着していた汚れが虚空から消え、ぴかぴかになり、
そのまま棚へと自ら飛んで行き、整然と並べられるのを見つめた。
「へぇ~、面白い」
「これも魔法?」彼女は興味津々で尋ねた。
エイブリンは向かい側に座り、黙って彼女を見ていた。
「すぐに『魔法を教えて』って言うかと思ったが」
そう言うと、彼女はさりげなく手の中に果物を一つ出現させた。
「ああ、ハズレか」手にしたリンゴを一瞥し、かじった。
少女は彼女を見つめる。
「リンゴ、食べるか?」エイブリンが尋ねた。
「いいんですか?」
「手を出せ」
少女が両手を差し出すと、エイブリンの手がその掌の上にかざされた。
みずみずしいリンゴが一瞬にして彼女の手の中に現れた。
「おお~」
少女は感嘆の声を上げ、手のひらのリンゴを見つめた。
「ああ、余計なことをして、また魔法に興味を持たせてしまったか……」
エイブリンはリンゴをかじりながら、ため息をついた。
「まあ、人が使うのを見るのは面白いですけど」
「自分で使いたいとはあまり思いませんね」
「え? 子供ってみんな魔法に興味を持つんじゃないのか?」
エイブリンは眉を上げて尋ねた。
「私はもう子供じゃありませんから」
彼女は冷静に答えた。
(いや、俺の目にはガキだが……)
ランよりはよっぽどしっかりしているがな。
「だって魔法って、今は使うのに制限が多すぎますから」
「というか、世間の風潮もあまり良くないですし」
「私が生まれた王国は、魔法を禁じている国でした」
王族の私でさえ、魔法に関する情報に触れられるのはごくわずか。
もし王女でなかったら、一生魔法とは縁がなかったかもしれない。
「多くの場所では、まだ魔法はタブー視されています」
彼女の目は強く、しかし口調には一抹の哀しみがにじんでいた。
魔法使いになれば……捕らえられ、尋問され、火あぶりにされるかもしれない。
「だから、最初から関わらないほうがいいんです」
「もしあんな制限がなかったら……魔法使いってきっと楽しいんでしょうね」
彼女は独り言のように呟いた。
「じゃあ、お前は諦めるのか?」エイブリンが問う。
少女は手の中のリンゴを見つめながら俯いた。
「いいえ、もう王国を離れた以上、あなたたちに溶け込むためには、魔法使いになるしかありません」
「さもなければ、私たちは永遠に別世界の人同士のままですから」
魔法を持つ者と、持たざる者――その間には、常に越えられない溝がある。
「でも……ランがまだ私を受け入れてくれないなら、私は待ちます」
彼女はリンゴを一口かじり、ゆっくりと言った。
「もし彼女が私に魔法使いになってほしくないと言うなら、私はなりません」
「全ては彼女が決めること」
「私は彼女が好きな姿になって、彼女のそばにいる」
エイブリンは静かに彼女を見つめた。
(この状況を読み解く力……魔法使いに向いてるな……)
(そして、その覚悟こそが最も重要なのだ)
――誰にも教わらなかったばかりに、道を踏み外したのが惜しいがな。
「でも、もしあなたが私の師匠になってくれるなら」
「きっと私はすぐに魔法使いになれますよ~」
少女は軽やかな口調で言った。
(覚悟があると思った矢先のこの豹変……見誤ったか?)
「残念ながら無理だ。それに、なぜ俺でなければならない?」エイブリンが口を開いた。
「まさか、ランの立場を奪おうってのか?」
エイブリンは向かいの彼女を見据えた。
少女はほほえんだ。
「だってあなたは、私を破滅させそうにない人に見えますから」
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ランが目を覚ました。
「師匠があの人と二人きりで……私が寝てる間に食事してる!」
(それに食べ終わってるし!)
彼女は腹立たしげに食卓に座り、抗議した。
「自業自得だろ、勝手に寝てたのは」エイブリンが横で言う。
「起こしてくれればよかったのに!」ランはぷんぷんしながら言った。
「そんな無駄な労力、使う気はない」
それに、お前が寝入ったら、どうやったって起きないんだ。
「今、相手してやってるだろ?」
彼女は何かの本に書き込みながら言った。
「リンゴ、食うか?」
「食べる!」ランは即答した。
「あの人は? 帰ったの!?」ランは目を輝かせて尋ねた。
「部屋に戻った」エイブリンは淡々と答えた。
「はあ……」口調が一気に落ち込んだ。
「師匠の料理、相変わらずまずいなあ……」
ランは食べながら文句を言う。
「年取るほどに、なぜ料理の腕は上がらんのだ?」
彼女はお皿の中のおかずをつつきながら言った。
「あの娘は全部平らげたぞ……」エイブリンは不機嫌そうに言った。
わざわざ作り直してやったのに……文句言うなんて!
「マジで!? 味覚おかしくない?」ランは驚きの表情を見せた。
「あの娘は、食べたことのある高級料理みたいだって言ってたな」複雑な味わいだと。
「なるほど……」ランは自分の皿を見つめ、考え込んだ。
「変なものばっかり食べてるから、こういう普通の味に感動しちゃうんだろうな」
ランはそう結論づけた。
「無理して食べなくていい。俺が処分する」
エイブリンは自暴自棄に言った。
「ダメ! あの人が完食したんなら、私も負けられない!」
ランは拳を握りしめ、妙な闘志を燃やした。
「私も全部食べる!」
――そういうところで勝負するなよ……
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ランは苦しそうに口を押さえた。
「食、食べ終わった……」
「お前の反応、大げさすぎる。俺の料理、そんなに酷いか?」
「これは心と体の、二重の試練です……」
「私、『忘却の術』ってのを覚えるべきかも……」
「この味を忘れてから食べれば、問題ないはず……」
空になった皿がふわりと浮き上がる。テーブルの上にいた小さな精霊が口を大きく開けてそれを飲み込み、ピカピカになった皿を吐き出す。その皿は翼を生やし、ひらひらと羽ばたいて食器棚へと飛んでいった。
「そういえば、師匠が突然夕食を作る気になったのはなぜ?」
ランはテーブルの上の小さな精霊をつつきながら尋ねた。
「気まぐれだ」彼女は冷たく言い、相変わらず何かを書き続けている。
ランはテーブルに突っ伏し、彼女を見つめた。
「ああ、明日、俺は出かける」
エイブリンが突然言った。
「お前とあの娘で家を見ておけ」
「えっ!? 私とあの人だけ!? なんでよー!」
ランは飛び上がった。
「理由はない。行く場所は、お前たちが付いてくるような場所じゃない」
「それに、家から出るな」
書き続けながら、彼女は落ち着いた口調で言った。
ランは彼女をしばらく見つめ、沈黙した。
そして、そっと彼女の袖を引っ張った。
「私……あの人、嫌いなんだ」
ランはうつむき、辛そうな表情で小さな声で言った。
エイブリンはペンを止め、唯一の弟子を見た。
「今の師匠……師匠なの?」
ランは顔を上げ、見慣れているはずなのにどこか違和感のあるその顔を見つめた。
(まったく……家に一人でいる時間が長すぎたか……)
エイブリンは溜息をつき、ペンを置いてランの頭を撫でた。
「本物だよ」
彼女は微笑みながら言った。
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