第一話 代償魔法の使用
第一話 代償魔法の使用
この世界において、魔法は気軽に手に入る奇跡ではない。
あらゆる魔法は、何らかの代償を払うことで初めて使えるものだ。
そして、多くを差し出す覚悟を持つ者ほど、より強大な力を手にすることができる。
――これは、最強の魔法使いと、呪いに呑まれた王女が紡ぎ出す物語である。
――
「これで100人目だ」
その罪人は冷たい石畳に跪き、四肢を鉄鎖で縛られ、瞳には絶望と怒りが渦巻いていた。床には血のように赤い線が複雑に絡み合い、不気味な魔法陣を描き出している。
「この悪魔め!」男は叫び、声が空虚な部屋に反響した。眼前に立つ金髪碧眼の少女を指さしながら。
メイドは黙って短剣を差し出し、少女はそれを手に取ると、指先が微かに震えていたが、迷いなく握りしめた。
「これも全て……王国を救うためです」
アカンシア王国第二王女、ライラ・オーリヴァン・アカンシア。
彼女は短剣を男の胸に突き立て、血しぶきが飛び散った。男は最後の叫びもあげられずに倒れた。
「ライラ様、これで……?」メイドは青ざめた顔で尋ねた。
「ええ、代償は揃いました」ライラは血塗れた短剣を投げ捨て、冷たくも確かな眼差しを向ける。
「百の罪人の魂を代償として、我――ライラ・オーリヴァン・アカンシアは此処に、世界最強の魔法使いを召喚せん!」
床の赤い線が眩い光を放ち、部屋は白昼のように明るくなった。光が交錯する。
空中に巨大な魔法陣が浮かび上がり、光の中から人影がゆっくりと現れる。
空中から落下する彼と、地上の少女が視線を交わした。
「まったく……」彼は呟き、体を優雅に翻すと、空中に浮かんだまま静止した。その姿は神の降臨のようだった。
「飛……飛んでる……!」メイドは声を上げ、眼前の光景を信じられないという様子で見つめた。
この世界で魔法は禁忌の領域であり、常人にとっては神秘どころか、知ることさえ罪であった。
(王族でさえ……魔法の一端を理解するのが精一杯なのに)
少女は浮遊する男――彼女が召喚した存在を見上げた。
「これが……世界最強の魔法使い」
彼のぼろぼろの魔導服、風に翻るマント、深く被った魔法帽、そして質素な木製の杖を細かに観察する。
「お前が俺を召喚したのか?」魔法使いは淡々と問いかけ、声には軽蔑が滲んでいた。
「はい、魔法使い様、どうか……どうかこの王国をお救いください!」
少女の声は切実で、表情は悲壮だった。
「世界を滅ぼす七大魔獣の一体――グルンヴァークが我が国の国境に迫っています。お聞きしました、世界最強の魔法使いだけがそれを倒せると」
彼女は彼を見つめ、願いを込めた。
「断る」
その答えはあっさりと、無情に返され、世界が止まったかのようだった。少女とメイドは呆然と立ち尽くした。
「面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ」
彼は杖を振ると、空間が歪み、魔法陣が眼前に展開した。
「それに、俺はまだ『最強』なんて呼ばれるほどじゃない……」
独り言のように呟き、去ろうとする。
「ライラ様、これは一体……」メイドは恐怖に震える声で聞いた。
(どうして……召喚された者は主人の命令に逆らえないはずなのに……)少女は唇を噛みながら考え込んだ。
「ああ、そうだ。お前がまた俺を召喚しようとするのも面倒だから……」魔法使いは振り返った。
「お前の払った代償は、俺を呼び出すだけで精一杯。命令できるほどじゃない」
彼は冷たい目で少女を見下ろした。
「百の魂を代償にしたんです! 最強の魔法使いだというのに……!」
「魂を代償にしたか……」彼の目には鋭い寒気が宿っていた。
「どうしたんです? 魔法を使うには代償が必要で、人間の魂が最も高価な代償だと聞きましたが……」
彼女の声は震えていたが、視線は魔法使いから離さない。
「ああ、確かに。最強の魔法使いを召喚するなら、その方法……理論的には間違ってない」
魔法使いの口調が変わった。
「だが、お前は人選を間違えた」
彼は床の死体を指差した。
「罪人ではなく、平民を選ぶべきだった」
「な……何ですって……?」平民の魂……?
「子供の魂なら、もっと効果的だったろうな」
「人間の魂は……皆同じではないんですか!」
少女は激情を込めて叫んだ。
「力は同じかもしれないが……助けてくれるかどうかは別だ」
彼の冷たい視線は、人を凍りつかせるほどだった。
「お前は……もう呪われている」
無数の罪人の亡霊が、静かに彼女の背後で彼女を見つめていた。
「お前が選ぶべきは、恨みを持たない魂、むしろお前を助けたいと思う魂だった。そうすれば、俺も本当に操られていたかもしれない」
「まあ……現実はそう甘くないから、教えてやった」
「そして、すぐに……それらの魂はお前の心と体を喰らい尽くす」
魔法使いの声は冷徹そのものだった。
「お前は、もう死んでいるも同然だ」
「ライラ様……」メイドは心配そうに呟いた。
「構いません……最初からこうするつもりでした……」
少女は虚空を見つめ、決意の光を瞳に宿していた。
「この王国さえ救えれば!」
(私が選んだのは、全て死刑が確定した極悪人ばかり。王女として……平民の命を捧げさせることなどできません)
王国最古の記録によれば、最初の災厄が訪れた時、王族は平民の半数を生贄に捧げ、伝説の魔法使いを召喚して魔獣を倒したという。
だが、後の歴史書では――平民が自ら進んで身を捧げ、王国を守ったと書き換えられている。
「どうかこの国をお助けください、魔法使い様!」
少女は彼をしっかりと見据えた。
「私にできることは何でもします! この命さえも差し出します!」
(召喚は成功したのに、彼を制御できない……)
(このまま彼を逃がせば、この国は滅びる!)
魔法使いは沈黙し、彼女を見つめた。
「断る」
「冗談じゃない……」
彼は歯を食いしばりながら言った。
「魔法使いは世人に憎まれる存在だ。見つかれば即座に殺され、捕まれば柱に縛られて焼き殺される!」
「魔女生贄のことを忘れたのか?」
魔女生贄――魔女を焼き殺せば祝福が得られる儀式。
「そして今、危機が迫ると魔法使いに助けを求める?」
「もしお前が罪人の魂ではなく、平民の魂を使っていれば、俺はお前に操られていた」
「それなのに、よくもまあ助けを請う気になったものだ!」
彼の声には怒りがこもっていた。
「王族だからって、他人の魂を弄び、平然と生きていられるのか……」
「これだから、人間と関わるのは嫌なんだ」
彼は足を踏み入れ、魔法陣の中へ消えかけた。
少女は彼の半身が光に包まれるのをただ見ていた。
(ダメ……彼は去ってしまう……ダメだ……)魔獣はすぐそこまで迫っている。
彼女は突然手を挙げ、彼の背中に向けてかざした。
(この国を救うため、私は多くの人を殺めた――せめて私が死ぬ前に……全てを終わらせなければ!)
さもなくば、私の死は無意味になる。
「我が子孫、来世、永劫にわたる魂――を代償に!」
少女の叫びが虚空を切り裂いた。
無数の小さな手が地面から現れ、去りゆく魔法使いを捉える。
「お願いします……」少女は涙に濡れながら呟いた。
「私を助けてください」
魔法使いは地面に引き戻され、魔導服が乱れ、魔法帽がふわりと脱げて空中を漂った。
「くそ!」彼女はもがいたが、本来の女性の姿を露わにしながら、小さな手に四肢を押さえつけられる。
それらは彼女の魂に直接触れ、強制的に少女の魂と結びつけた。
最後に、小さな手たちは少女の涙を拭うと、消えていった。
魔法帽はゆっくりと少女の前に落ち、彼女はそれを拾い上げた。彼女は魔法使いを見つめ、彼女がゆっくりと起き上がり、息を整えるのを待った。
「ちくしょう……お前、俺に何をした!」
彼女は目を見開くと、黒い長髪を露わにした。
目の前の少女と、強制的に結ばれた魂の糸を見て。
「これ……冗談じゃない……」
歯を食いしばり、信じられないというように呟いた。
基本的には日常寄りの話だけど、最初の方はちょっと重たい展開があるよ…