重なる時間、変わる香り
ミルテで働き始めて、少しずつ日々の仕事に慣れてきた。
テーブルを拭く手の動きも、カップの置き方も、初めて店に来たときよりもずっと自然になった。
琴音の動きを観察しながら、彼女のリズムに合わせることもできるようになった。
けれど、それでもどこか、自分がこの場所に馴染んでいる実感が持てなかった。
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「潮見さん、カウンターの片付けをお願いします」
「はい」
カウンターの奥に並んだカップを手に取り、シンクに運ぶ。
水を流しながら、ふとカフェの店内を見渡した。
菊池さんが新聞をめくりながらコーヒーを飲み、前田さんがプリンをゆっくり味わっている。
ここに集まる人たちは、皆この店に何かしらの居場所を感じているのだろう。
でも、自分はどうだろうか?
僕は、この場所の「一員」になれているのか?
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「……どうかしましたか?」
琴音の声が、ふと近くで聞こえた。
「え?」
「なんだか、考え事をしているように見えました」
琴音はカウンターの端で、コーヒーミルの調整をしていた。
「……いや、ちょっと」
遥は、手元のカップを洗いながら、小さく息をつく。
「琴音さんは、この店をやっていて、何か変わったことってありますか?」
琴音は、一瞬だけ考えるように視線を落とした。
「変わったこと、ですか?」
「ええ。前に、コーヒーの味は時間とともに変わるって言ってましたよね。琴音さん自身も、何か変わったことはありますか?」
琴音は、ミルの調整を終えると、そっと指先でカウンターをなぞった。
「……あまり、自分ではわかりません」
「そうですか」
「でも」
琴音は、ふとカウンターの奥のカップに目を向ける。
「潮見さんが、この店で働くようになってから、少しだけ賑やかになりましたね」
遥は、少し驚く。
「賑やか……ですか?」
「ええ。以前は、もう少し静かだったので」
琴音は、そう言いながら小さく微笑んだ。
「私にとって、この店の空気は変わらないものだと思っていました。でも、人が変わると、店の雰囲気も少しずつ変わるんですね」
遥は、その言葉を噛みしめる。
「……じゃあ、俺もこの店に少しは馴染めてますか?」
琴音は、遥の問いにしばらく考えたあと、静かに頷いた。
「ええ」
その一言が、思いのほか心に染みた。
遥は、静かにシンクの水を止めた。
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カフェ ミルテで過ごす日々は、少しずつ遥の中に積み重なっていく。
何かを変えようと焦る必要はないのかもしれない。
この場所で、自分ができることを少しずつ見つけていけばいい。
遥は、ふっと小さく息をつき、次の仕事に手を伸ばした
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