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音の意味を探して

カフェミルテの朝。

カウンターには、いつものようにコーヒーの香りが漂っていた。

琴音は、店の奥のピアノをちらりと見やりながら、静かにエプロンの紐を結ぶ。

（……昨日、遥さんに言ってしまった）

「誰かに届けたいと思ったから、でしょうか」

そう言った自分の言葉が、頭の中で反芻する。

遥さんは、それを聞いて何を思ったんだろう。

彼の表情を思い出す。

ほんの少し、驚いたような、でもどこか優しく微笑んでいた顔。

（……私は、遥さんにこの音を届けたくて弾いてる）

それはもう、迷いのない想いだった。

でも、それが「どういう感情」なのか——

まだ、言葉にはできなかった。

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一方、カウンターでコーヒーを淹れながら、遥もまた、昨夜の琴音の言葉を思い返していた。

「誰かに届けたいと思ったから、でしょうか」

（その“誰か”は……僕なんだろうか）

確証はない。

でも、そうであってほしいと、どこかで思ってしまう自分がいる。

（もしそうなら、僕はどうすればいいんだろう）

彼女の音を、もっと多くの人に届ける手伝いがしたい。

でも、それだけじゃなく——

もっと彼女のそばで、その音を聴いていたい。

（……僕もまた、琴音さんの音に惹かれているのかもしれない）

遥は、目の前のコーヒーにそっと手を添えた。

（この気持ちは、なんだろう）

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午後。

秋人がふらりとカフェに立ち寄った。

琴音がコーヒーを差し出すと、秋人はゆっくりとそれを口に運ぶ。

「いい香りですね」

「ありがとうございます」

琴音は、秋人の前に座り、少しの沈黙が流れた。

秋人は、ふと彼女の手元を見た。

「最近、ピアノをよく弾いていますね」

琴音は、少し戸惑いながらも頷いた。

「……ええ」

秋人は、カップを置き、柔らかく微笑む。

「音が変わりましたね」

琴音の指が、無意識にカウンターの上で動く。

「……そうでしょうか」

「ええ。まるで、誰かに向けて弾いているような音です」

琴音は、ぎゅっと拳を握った。

（……気づかれてる）

秋人は、ふっと息をつきながら、少し遠くを見るように話し始めた。

「あなたの母上も、そんな音を奏でる人でしたよ」

琴音は、驚いて秋人を見上げる。

「母の……？」

「ええ。彼女は、ただ美しく弾くのではなく、誰かのために音を紡ぐ人でした」

秋人の言葉が、胸の奥を小さく揺らす。

「“音は、誰かを想う気持ちで変わる”」

以前も聞いた言葉。

でも、今は——

「……母は、誰を想って弾いていたんでしょう」

秋人は、少し微笑んでから答える。

「あなたのことですよ」

琴音は、息をのんだ。

「……私？」

「ええ。彼女は、いつも言っていました。『娘が、いつかまたピアノに向き合う日が来たら、そのときに届く音を弾いていたい』と」

琴音の胸が、ぎゅっと締めつけられる。

母は、私に音を届けたかった——

（……私は）

私は、誰に——

（やっぱり、遥さん……？）

---

カフェミルテの昼下がり。

琴音は、ピアノの前でそっと指を置いた。

いつもと変わらない鍵盤。

でも——

（……私の音は、何のためにあるんだろう）

秋人の言葉が、胸の中で繰り返される。

「あなたの母上は、あなたに音を届けたかった」

「ピアノは、誰かを想う気持ちで変わる」

母が私に音を届けたように、私は——

（私は、遥さんのために弾いてもいいの？）

鍵盤に触れる指先が、少しだけ迷う。

母は、私のために弾いた。

私も、遥さんのために弾きたい。

でも、それはどういう感情なんだろう？

感謝？尊敬？それとも……？

（もしこれが……）

琴音の胸の奥が、小さく震えた。

でも、すぐには認められない。

（ただ、感謝しているだけかもしれない）

（遥さんは、いつも私を支えてくれるから）

（……でも）

遥さんがいるから、私は音を奏でたい。

彼が、「また聴きたい」と言ってくれるから。

彼が、「届いてますよ」と微笑んでくれるから。

それが、もし——

（“恋”だったら？）

胸が、小さく跳ねる。

けれど、その答えを出すのは、まだ怖かった。

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カウンターの向こうでは、遥が静かに考え込んでいた。

（琴音さんのピアノは、もっと広がるべきだ）

これまで彼女は、自分のため、店のために弾いてきた。

でも、今は違う。

彼女の音は、何かを伝えようとしている。

それなら、もっと多くの人に聴いてもらえたら——

（僕にできることはないだろうか）

遥は、ふとカウンターに目を落とした。

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「ねえ、遥くん」

ふいに、前田さんの声が聞こえた。

「最近、琴音ちゃんのピアノ、良くなったわね」

遥は、カップを磨きながら頷く。

「そうですね。前よりずっと、誰かに届く音になった気がします」

「ふふ。ねえ、遥くん」

前田さんは、カウンターに肘をついて、楽しげに言った。

「そろそろ、琴音ちゃんの演奏を“聴くために”来るお客さんがいてもいいんじゃない？」

遥は、一瞬目を見開いた。

「……聴くために？」

「ええ。せっかく素敵な音を持ってるんだから、それをちゃんと届ける場があってもいいと思わない？」

遥は、カップを握りしめる。

（演奏会……）

このカフェで、琴音さんの音を聴くために人が集まる。

ささやかな演奏会。

この店に集まる人たちに、琴音さんの音を届ける。

それは、彼女自身のためにもなるし——

（……でも）

遥は、指先にじんわりと熱が集まるのを感じた。

（僕は、もっと琴音さんの音を聴いていたい）

それが、「ただの応援」なのか、それとも「もっとそばで聴いていたい」という気持ちなのか——

今の自分には、まだわからなかった。

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琴音は、ふと鍵盤を見つめる。

「……私の音は、その価値があるでしょうか」

呟いた言葉は、自分でも驚くほど弱々しかった。

遥は、ゆっくりと首を振る。

「もう、届いてるじゃないですか」

琴音の胸が、小さく震えた。

「でも……」

言いかけて、言葉が詰まる。

（私は、まだ“誰かのため”に弾いていいのかわからない）

私は、母に音を届けてもらった。

遥さんは、私の音を届けたいと思ってくれている。

（じゃあ、私は……）

琴音は、静かに目を閉じる。

そのとき——

「お客さんの表情、見てください」

遥が、そっと言った。

琴音は、はっとして顔を上げる。

「……？」

「今日の昼間、琴音さんがピアノを弾いたとき。気づきませんでしたか？」

遥は、穏やかに微笑む。

「みんな、琴音さんの音を聴いていました」

客席の風景が、琴音の頭の中で蘇る。

読書をしていた人が、そっとページをめくる手を止めた。

会話をしていた人たちが、少しずつ声を潜めていった。

コーヒーを飲む仕草さえも、どこか静かになっていく。

（……私の音が、届いていた？）

「もう、届いてますよ」

遥の言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。

私の音は、ちゃんと誰かのもとへ届いていた。

でも、それを“もっと多くの人に届ける”ことは——

「……少し、考えさせてもらってもいいですか？」

琴音は、ゆっくりと遥を見た。

遥は、少し驚いたあと、優しく微笑んだ。

「もちろんです」

ここ最近集計がおかしくなっていますが、累計ユニークユーザーが350人確実に超えているようです。

まさか、350人以上の方に読んでいただけるとは思ってもいませんでした。

この物語は、ただの恋愛ものではなく、“静かな時間の中にある、確かな想い” を大切にして書いています。

これからも、最後まで“エスプレッソより、少しだけ甘く”な物語をお届けできたらと思います。