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エスプレッソより、少しだけ甘く  作者: かれら
夜の灯り、遠く響く音
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シーキャンドルの夜、届く想い

展望台に足を踏み入れた瞬間、琴音は思わず息をのんだ。


「……すごい」


眼下には、湘南の海と街の灯りが広がっていた。


夜の潮風がそっと吹き抜け、琴音の黒髪をふわりと揺らす。


「綺麗ですね……」


その言葉は、まるで夜の空気に溶けるように淡く響いた。


遥は、そんな琴音の横顔を見つめながら、ゆっくりと口を開く。


「ずっと、この場所に来たかったんです」


琴音が、不思議そうにこちらを向く。


「ここで、琴音さんに伝えたいことがあったから」


遥は、そっとバッグから、一冊の楽譜を取り出した。


風に揺れるページ。


それは——『悲愴 第二楽章』。


琴音の瞳が、大きく揺れる。


「……これは」


「琴音さんが、いつか弾きたいと思っていた曲ですよね?」


遥は、楽譜を静かに差し出した。


琴音の指先が、微かに震えている。


「どうして……」


「あなたが、本当に弾きたかった曲だから」


琴音は、そっと楽譜に手を伸ばしかけて——そして、止まる。


「私は……」


夜風が、二人の間をすり抜ける。


「……ピアノの前に立つたびに、母のことを思い出します」


琴音は、夜景を見つめたまま、そっと呟いた。


「悲愴は……母に贈りたかった曲。でも、贈る前に、母はいなくなってしまった」


「だから、私は……」


言葉が途切れる。


楽譜を見つめる瞳が、どこか迷っていた。


そのとき——


風に揺れた楽譜の間から、一枚のしおりがはらりと舞い落ちた。


小さな押し花のしおり。


ミルテの花——「希望・幸福・愛」の象徴。


琴音は、そのしおりをそっと拾い上げる。


「これは……」


遥は、静かに微笑む。


「琴音さんのお母さんが好きだった花ですよね」


「……ええ」


琴音は、押し花を指先で撫でる。


遥は、そっと続けた。


「もし、弾いてもいいと思えたら」


「この曲を、誰かに贈りたいと思えたら」


「そのとき、弾いてほしい」


琴音は、夜景を見つめたまま、そっと目を閉じる。


母に贈りたかった曲。


でも今、この楽譜を手にしている自分は——


「……受け取ります」


震える指先で、楽譜を受け取る。


ゆっくりと、大切に。


「ありがとう……遥さん」


夜景の灯りが、彼女の横顔を優しく照らしていた。

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