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エスプレッソより、少しだけ甘く  作者: かれら
夜の灯り、遠く響く音
33/69

穏やかな時間、知らなかった楽しさ

調律の日。


昼下がり、カフェ ミルテのドアをくぐり、遥と琴音は外へ出た。


「……江の島に来るのは久しぶりです」


島へ続く橋を渡りながら、琴音がふと呟く。


「そうなんですか?」


「ええ、昔はよく来ていましたけど、最近はなかなか機会がなくて」


彼女はゆっくりと海を眺める。


潮風がそっと吹き抜け、琴音の黒髪が軽く揺れた。


「なんだか、懐かしいですね」


遥は、そんな彼女の横顔を見ながら、ふっと笑った。


「じゃあ、今日は思いっきり江の島を満喫しましょうか」



---



参道へ足を踏み入れると、どこからともなく香ばしい香りが漂ってきた。


「……たこせんべいですね」


琴音が立ち止まり、屋台のほうを見る。


「食べたことありますか?」


「昔は……でも、こうして立ち寄るのは久しぶりです」


「せっかくなので、一枚いきましょう」


遥は迷わず注文し、熱々のたこせんべいを琴音に差し出した。


「どうぞ」


「……ありがとうございます」


琴音は少し戸惑いながらも、そっと受け取る。


「熱いので気をつけてくださいね」


一口かじると、パリッとした音が鳴った。


「……美味しい」


琴音の唇が、ふっとほころぶ。


遥は、その表情を見て少しだけ驚いた。


「琴音さん、今すごくいい顔してますよ」


「え?」


「さっきまで、どこか緊張してましたよね?」


琴音は、一瞬目を瞬かせる。


「……そうかもしれません」


「ほら、もっとリラックスしましょうよ。今日は楽しまないと」


琴音は少しだけ考えて——


「……そうですね」


そして、もう一口、たこせんべいをかじった。



---



たこせんべいを食べながら歩き、江島神社の赤い鳥居が見えてくる。


「久しぶりに参拝してみませんか?」


「……そうですね」


琴音は静かに頷いた。


階段を上りながら、俺はふと琴音の歩幅を気にする。


「疲れてませんか?」


「大丈夫です。でも、こうして歩くのもいいですね」


「たまには息抜きも大事ですから」


琴音は、少しだけ微笑んだ。


本殿に到着し、並んで手を合わせる。


何を祈ったのかは、互いに聞かない。


けれど、琴音が目を閉じる姿は、どこか穏やかで、優しかった。



---



階段を降りながら、琴音がふと口を開いた。


「……こうして歩くのも、悪くないですね」


「そうですね。江の島、気に入りました?」


「ええ。なんというか……懐かしくて、新しい感じがします」


「新しい?」


「昔と変わらない景色なのに、誰と歩くかで違って見えるというか」


遥は、その言葉に少しだけ驚く。


琴音が、そんなふうに思うなんて。


「それって、楽しんでくれてるってことですか?」


琴音は、ほんの少し照れくさそうに目を伏せる。


「……はい」


遥は、その答えを聞いて、なんだか嬉しくなった。


(……良かった)


この時間を、琴音が「楽しい」と思ってくれること。


それが、今の俺にとっては何よりも大事だった。



---


江の島を歩き続け、気づけば日が傾き始めていた。


夕暮れが近づき、海風が少しだけ涼しくなる。


仲見世通りの喧騒から離れ、静かな小道を歩く。


琴音は、ふと足を止めた。


「……なんだか、帰るのが惜しいですね」


その言葉は、無意識に口をついて出た。


(……あれ?)


自分で言った言葉に、少し驚く。


でも、それが本心だった。


(この時間が、もう少しだけ続けばいいのに)


彼と並んで歩くこの時間が、心地よくて——


「……じゃあ、もう少し歩きませんか?」


琴音が顔を上げると、遥が微笑んでいた。


「せっかくだし、シーキャンドルまで行きましょう」


シーキャンドル。


江の島の頂上にある、展望灯台。


(……行ってみたい)


琴音は、静かに頷いた。


「……はい」


遥が歩き出し、琴音はその背中を追いかける。


この時間が、もう少しだけ続くように——


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