[関章] 夜明け前の約束
(琴音視点、過去回想)
夜の帳が降りる頃、店の片付けをしていた琴音のもとに、一本の電話が入った。
「……もしもし?」
相手の声は静かで、淡々としていた。
『……お父様とお母様が乗っていた便が、事故に遭いました』
琴音の時間が、そこで止まった。
「……え?」
言葉が出なかった。
耳鳴りがした。
『……現在、状況を確認中ですが、搭乗者の生存は……』
遠くで何かが崩れるような音がした。
(嘘でしょう?)
受話器を握る手が震える。
(だって、昨日も電話で話したばかりなのに)
『しばらく、ご家族の方には冷静に待機していただくよう……』
声が続いているのに、言葉の意味が頭に入ってこなかった。
——いやだ。
——そんなの、信じられない。
けれど、翌日。
何度も何度も確認するうちに、事実は琴音の心を押し潰していった。
それから、しばらくの時間が空白になった。
気がつけば、店のカウンターに座り込んでいた。
ピアノに触れることはなかった。
音が、消えてしまったように感じた。
「琴音ちゃん……」
前田さんが、そっとそばに座った。
「無理しなくていいのよ」
琴音は、ぼんやりとカウンターを見つめたまま、何も言わなかった。
けれど、静寂の中で、一つだけ決めたことがあった。
(私は、この店を守る)
(父と母が愛した、このカフェを)
ピアノは、もういい。
私は、この場所を残すことが、今の私にできることだから。




