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勿忘草

ストーリー前後逆になってました…

休日の昼下がり。


遥は、久しぶりに江の島を歩いていた。


潮風が心地よく頬をなでる。


観光客の賑わいの中、ふと耳に柔らかなメロディが届いた。


ギターの音。


透き通るような歌声が、海風に乗って静かに響く。


視線を向けると、ストリートの片隅に、一人の女性が座っていた。


開けられたハードケースに、立てかけてあるホワイトボードには、可愛らしい勿忘草の絵 に囲まれながら、『天音あまね』と書かれている。


彼女は、ギターを抱えながら、静かに歌っていた。


黒髪がさらりと風に揺れ、遠くを見つめるような瞳。


どこか、この場所にいるのに、ここにいないような雰囲気 をまとっている。


(……不思議な人だな)


遥は、足を止めたまま、その歌を聴いていた。


歌詞の意味は曖昧だけれど、どこか懐かしく、そして寂しげな響きがある。


最後の一音が消え、風が吹いた。


拍手がちらほらと聞こえる。


彼女は軽く頷き、ギターの弦をなでるように触れると、ふと俺の方を見た。


「……あなたも、ここに何かを探しに来たの?」


遥は、一瞬言葉に詰まる。


「え?」


彼女は、ゆっくりとギターを抱え直しながら、静かに微笑んだ。


「なんとなく、そんな顔をしてる気がしたから」


遥は、彼女の名前が書かれたホワイトボードをもう一度見た。


(天音……)


勿忘草の淡い青色の花が、風に揺れているように見えた。


遥の中にも、何かが静かに揺れ始めていた——。


「あなたは、何を探してるんですか?」


遥がそう尋ねると、天音はギターの弦を軽く弾きながら、小さく微笑んだ。


「私?」


「ええ。俺の顔が"何かを探してる"ように見えたなら、あなたはどうなんですか?」


天音は、少しだけ視線を上げ、江の島の空を見上げた。


風が吹き、彼女の黒髪がさらりと揺れる。


「……私はね、ただ"音"を追いかけてるだけ」


「音?」


「そう。心が動く音、風の音、波の音……誰かの声も、全部ね」


彼女の言葉は、まるで詩のように響く。


「じゃあ、今日ここで歌ってたのも?」


天音は、ふっと笑った。


「うん。ここに来たら、何かいい音が聴こえる気がしたから」


遥は、その言葉を反芻する。


"音を追いかける"


(なんだか、琴音さんのコーヒーに似てるな)


コーヒーを淹れるときの静かな音、蒸らす時間、注がれるお湯の流れ——

そこにも、確かに"音"がある。


そして、琴音さんのピアノ——

彼女は「もう長い間弾いていない」と言っていたけれど、本当は、まだ心のどこかでその音を覚えているんじゃないか?


「あなたは?」


天音が遥を見つめる。


「私が音を追いかけてるなら、あなたは何を探してるの?」


遥は、少しだけ息をついた。


「俺は、自分の"味"を見つけようとしてます」


そう答えると、天音は少しだけ目を細めた。


「味……?」


「ええ。俺は今、カフェで働いてるんです。コーヒーを淹れるのって、ただの作業じゃないんですよね。豆の種類、お湯の温度、注ぐスピード……少しでも違えば、味はまったく変わる」


遥は、静かに続ける。


「同じ豆を使っても、人によって味が違う。だから、俺は"自分の味"を見つけたくて」


天音は、ギターのネックを指でなぞりながら、ゆっくりと頷いた。


「ふうん……なんだか、音楽みたいだね」


「音楽?」


「うん。同じメロディでも、歌う人が違えば全然違うものになる。どの音を大事にするか、どんな風に歌うかで、その人の"音"になるんだよ」


遥は、その言葉を噛みしめる。


("音"と"味"……そう考えると、似ているのかもしれない)


「でも、"自分の味"ってどうやったら見つかるんだろうね?」


天音が俺の顔をじっと見て、問いかける。


遥は、一瞬だけ考えたあと、小さく息をついた。


「……俺にも、まだわからないです。でも、たぶん、淹れ続けていくうちに、自然と見つかるんじゃないかって思ってます」


天音は、ふっと笑った。


「そっか。じゃあ、今度あなたのコーヒー、飲んでみたいな」


遥は、驚きながらも微笑む。


「ぜひ」


天音は軽くギターを鳴らしながら、どこか遠くを見つめるような目をした。


「ねえ、あなたの働いてるカフェって、ピアノとか置いてる?」


遥は、一瞬息を飲む。


(……ピアノ?)


「……ありますよ」


「へえ。じゃあ、今度弾かせてもらおうかな」


遥は、琴音のことを思い出しながら、慎重に言葉を選ぶ。


「……琴音さんが、許せば」


「琴音?」


「カフェの店長です」


「ふうん……いい名前」


天音は、どこか意味深に微笑んだ。


「その人は、ピアノ弾かないの?」


遥は、少し考える。


「……昔は弾いてたみたいです。でも、今は弾いてません」


天音は、ギターの弦を軽く爪弾きながら、小さく笑った。


「そっか。でもね、音は消えないよ」


「……?」


「どんなに長い間弾いてなくても、手は音を覚えてるものだから」


遥は、その言葉に妙な感覚を覚える。


(琴音さんも、そうなんだろうか……?)


「……あなたは、どうしてそんなことがわかるんですか?」


遥の問いに、天音はふっと微笑む。


「私も昔、ピアノを弾いてたから」


遥は、少し驚いた。


(天音も、ピアノを……?)


遥は、彼女の指を見つめる。


ギターを弾く指先はしなやかで、鍵盤に触れていたとしてもおかしくない。


「じゃあ、今は弾かないんですか?」


天音は、小さく笑う。


「ううん。今も、気が向いたときには弾いてるよ」


「ギターじゃなくて?」


「そう。ピアノも、ギターも、どっちも私にとって"音"だから」


遥は、その言葉を静かに飲み込んだ。


(音は消えない……か)


天音は、ギターの弦を軽く鳴らしながら、俺をじっと見つめた。


「あなた、カフェでピアノの音、聴いたことある?」


遥は、少し考える。


「……ないですね」


「ふうん。でも、もしそのピアノが鳴ったら、どうなると思う?」


遥は、その問いに戸惑いながら、カフェの情景を思い浮かべる。


カウンターの奥で、静かにコーヒーを淹れる琴音。

いつもと変わらない、落ち着いた空気。


そこに、ピアノの音が響いたら——


「……雰囲気が変わるかもしれませんね」


天音は、ふっと笑った。


「そうだね。でも、変わるのは雰囲気だけじゃないと思うよ」


「え?」


「音が響くってことは、誰かの心も揺れるってことだから」


遥は、その言葉を噛みしめる。


(琴音さんの心も、ピアノの音で揺れるだろうか……?)

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