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傘売り

単発も良いよね

  七月二十六日。

 簡素な釣り竿と小さなクーラーボックスを携えた僕は、夏を満喫する為に海へと向かっていた。

 潮風香る坂道を下りながら、「今日は何が釣れるかな」なんて考えていた時だ。


「値を付けてくれやんせ、傘に値を付けてくれやんせ」


 視界の端に、見慣れない笠を被った老人の姿が見えた。時たま修行僧に似た怪異が徘徊しているこの街だが、今見えている彼は一際目立つ。

 丁度日影になる場所で壁に体を預ける笠の老人は、自分の後ろに数本の和傘を立てかけながら俯き唄っている。


「お爺さん、綺麗な傘だね」


 何の気なしに、僕は笠の老人に話しかけた。


「おやぁいらっしゃい。坊ちゃん、傘は要らんかね」


 彼はそう言いながら、自分の後ろに立てた傘を指差す。和傘、蛇の目傘と言う奴だろうか。赤、青、紺、紫、黒、四季折々の立派な傘達。


「質の良い傘だ、一本幾らするんだい」

「そうさなぁ」


 何が可笑しいのかケタケタと笑いながら、老人は右の手、左の手と重ねた後に一本の傘を取り出す。


「坊ちゃんには、これが幾らに見える?」


 それは濃い紫色をした傘だった。


「少し見てみても良いかな」

「ああ、お好きになさいよ」


 老人から許可を貰い、僕は手に取った傘を開く。

 柄竹は黒塗り、骨組みは細く、所々に彩色を散りばめられており小骨の飾り糸も美しい。凡そ人が作ったとは思えない程に。

 これに値を付けるとなると、諭吉さんが数人では到底足りないだろう。


「そうだね、僕だったら」


 くるりと回して空へ向ける。

 良いよね和傘って、何と言えば良いのか風情と言うか、詫び錆びを感じると言うか。


「この傘に値は付けられないや」


 だけど、駄目だ。


「きひ、ひひひひひひひひ」

「とても良い傘だった。出来る事なら僕も一本欲しいと思ってしまう位にはね」

「ならどうして手を出さないんだい坊ちゃん。値を付けておくれよ、この子に」

「だって」


 僕は傘を畳んで老人に返す。


「怪異が作った傘なんて、使ってたら憑かれちゃうじゃないか」


 憑かれちゃうし、僕自身の気疲れも半端じゃない。

 後ろの一本一本から感じる僅かな違和感、そして手に取って伝わる嫌な気配。

 それだけでこの傘が何かなんて分かってしまう。

 呪いだよ、これ。


「出るとは聞いてたけど、まさかここで逢うとは思わなかったよカサネさん」

「ひひひひひ、そうかぁ。坊ちゃんはあっしの事を知ってるのかい」


 笠で隠れた顔を上げて老人は嬉しそうに、しかし不思議な笑い声を上げる。

 その下から覗くモノは男も女も子供も老人も、何枚もの顔を上乗せしたような幾重にも重なった顔。 


「誰から聞いたぁ?人嫌いの蜥蜴か、引き籠りの蛇か、それとも神か?」

「神に分類して良いなら神かな。九条神社の宮司さんだけど、あの人半分神様だし」

「ああ、三好、御良のお嬢の知り合いだったのかい」

「三好宮司は知り合いって言ったら嫌な顔をすると思うけどね、僕はあの人から避けられてるから」

「そうかぁ、そうかぁ」


 不気味な様子は何処へやら、僕の肩をバシバシと叩き笑っている。楽しそうだな、この怪異(ひと)


「だから悪いけど、君の遊びには付き合えないや。ごめね、魂を抜き取れなくて」

「いんやぁ、良い良い。御良のお嬢の見初め方に手を出しちゃあ、あっしが滅されちまう」

「寧ろ今の発言で滅されちゃわないかな?」

「ひひひひひひひっ!」


 冷や汗を流すなら言わなきゃ良いのに。

 滝のような汗を流しながら、カサネさんは僕が手渡した蛇の目傘を二、三度撫でる。


「ほら坊ちゃん、これ持ってお行きよ」

「どうしてナチュラルに呪物を手渡すの」

「いいや、よく見てご覧。もうコイツは少し頑丈なだけのただの傘だ」


 本当だ、何も感じない。

 先程まで感じていた嫌な気が一切無くなっている。


「でも申し訳ないよ、別に僕は傘が欲しかった訳じゃないし」

「良いのさ。欲の張った人間にゃあ魂を貰っちまうが、坊ちゃんは値を付けないと言っただろう」


「それに」とカサネさんは続ける。


「坊ちゃんから臭ぇ臭ぇ血錆の匂いがするねぇ。あの人斬り小僧を静めてくれたんだろう?なら、そのお礼だよ。アレにはあっし等も迷惑してたんだ」


 人斬り小僧とはきっと、サムライさんの事を言っているのだろう。他人から彼の話を聞くのは少し新鮮だ、三好宮司すら苦い顔をして口を噤むのだから。


「そっか、それじゃあ貰える物は遠慮なく貰おうかな」

「そうしなさいな。あっしは欲の張った人間は好きだからねぇ。坊ちゃんはもうちっと欲を持った方が良いかもなぁ」

「これでも人並には貪欲だと思うけど」


 まさか魚釣りに行く途中でこんなイベントが発生するとは思わなかったな。


「手入れが必要になったら、あっしが坊ちゃんの所に立ち寄るから好きに可愛がってあげるんだよぉ」


 そう言って、カサネさんは再び元の場所に座り込み別の傘の手入れを始めた。

 右手に釣り竿とクーラーボックス、左手に蛇の目傘と中々に重装備になった僕は再び歩き始める。


「話には聞いてたけど、随分と怖い怪異(ひと)だったなぁ」


 カサネさんが見えなくなり、僕は小さく溜息を突きながらそんな独り言を呟く。

 三好宮司には「傘売りのカサネを見つけても、絶対に近寄るな」なんて忠告をされていた。

 僕自身、近寄るつもりなんて欠片も無かったし素通りしようと決め込んでいたのに、いつの間にかあの老人の前に立ち寄っていたのだ。


「人を喰う怪異って奴は、これだから怖い」


 蛇の目傘を手に取らなければ、あの時に違和感を感じなければ僕は喰われて廃人のようになっていただろう。

 何が欲深い人間は好きだ、だよ。


「縁、結んじゃったな」


 少なからず気に入られてしまった。

 その事実に、僕はもう一度溜息を突いてから蛇の目傘を開く。


「本当に綺麗な傘なんだけどね、大事にしよう」


 僅かに日の光を透かす忌々しくも美しい紫。

 暑さとは別の嫌な汗を感じて、僕は歩を進めるのだ。

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