出来る侍女見習いとは私のことです!
本日は晴天なり。
「皆様いらっしゃいませ。これより、本日の営業を開始いたします。最初のお客様から順番に、先ずは3名様まで、どうぞ中へ」
数時間前から店の外に開店待ちの行列ができていた、エーリア菓子店のドアが開いた。
行列の前方にいた数人が、嬉しげに店内に招き入れられている。その中の1人、先頭で入店した侍女姿の女性の「上位貴族家への手土産として、このバームスを3ホールお願いします!それぞれ別に包んでください」という声に、運よく共に1周目の入店を叶えた他の客が安堵する。 ホールのまま飾られていたバームスは売り切れたが、カットしたものはまだ1ホール分くらいは残っている。どうやら、今日の自分は、これまで出会えたことがなかった激レア焼き菓子「幻のバームス」を購入できる幸運な客になれたらしいと。
激レア菓子の中で、最もレアで、珍しいとされているのが、本日の限定品である「バームス」だ。大変な手間暇がかかるため、極少量しか焼けないと聞くし、焼けても一部が割れ落ちてしまうことが多い、難度のある菓子らしく、店に出す量が更に少なくなるらしい。その為、購入できた人間も、実際に食べたことがある人間も、少ない。人伝にその極上の味のこと、入手不可能レベルであることは聞くが、それは全て噂としてである。噂の菓子の現物を見た者、食べたことのある者すらも、幻扱いされている程だ。
ちなみに、激レア菓子はそもそも販売数量が少なく、その販売日に当たった、行列の先頭付近の客が購入すれば、直ぐに売り切れてしまう。5番目以降の客は、レア物ではなく、店の人気商品を買うために並んでいるもの達だ。レア物は開店直後に売り切れ、人気の定番品は1時間以内に売り切れる。午後を回ると、全ての商品が売り切れて、閉店となるのが、エーリア菓子店の日常だ。
激レア商品は、店の中でも値段が高く、貴族家の手土産にされることの多い品なので、1人5個までなどという購入制限はできない。そして、買うのが難しくなればなる程、土産品としての価値が上がるので、「販売数を10倍にしろ!」などという声も上がらない。
そんな店の、激レア中の激レアなバームスを購入した侍女姿の女性は、ニコニコしながら、ラッピングが終わるのを待っている。
「お待たせしました。本日のお買い上げ品のバームスのホールは、1個づつ専用ギフトボックスにお詰めしています。それぞれお箱にリボンがけをした後で、高位貴族家様向けの最上位贈答品ケースにお入れしました。こちらで間違いないでしょうか?」
カウンターの上に用意された、金色の糸で優美に“エーリア菓子店”と刺繍された布製の大きな包みを確認し、侍女姿の女性は、笑顔で頷いた。
「はい、問題ありません。ケースは3個全て、この袋に入れてください」
一般客は、お店の紙袋に入れてもらって持ち帰り、貴族の場合も、友人や恋人本人や、身内扱いの者に渡す土産としては、同じく紙袋で済ませている。ただし、侯爵家や公爵家、王族などに手渡す手土産を、それで済ます訳にはいかない。店名が刺繍された高級感のある布袋、店名が描かれた綺麗な色に塗られた木箱、取り扱う品や、店によって様々だが、とにかく、豪華に見える専用箱が用意されていたり、ない場合は客の方が自分で用意するのが常識だ。
持ち運びと汚れ防止のために作られた馬車用バッグに、大事なお菓子を入れて貰った侍女姿の女性……ブレンダは、支払いを済ますと、上機嫌に少し離れた場所で待機している馬車へと向かった。
大通り沿いであっても、超高級レストランや超高級貴金属店であれば裏側に馬車寄せが用意されていることもあるが、大抵の店には専用の馬車寄せなどない。客は個別に、大通りやその裏通り沿いにある、時間貸し馬車寄せを利用するか、歩いてくるのが常識だ。その昔、店の前に馬車を乗り付けた貴族同士で頻繁に起こる揉め事が問題になり、馬車の駐車に関する法律ができたそうだ。
――今日のバームスも、美味しかったわぁ。残念ながら、1ホールしか食べられなかったけど。まあ、3ホール買い占めてしまったし、残りゼロだと、本日の限定品がなくなっちゃうし、仕方がないわね。普段は普段で本当は1人で3ホールも食べたくないんだけど、幻のバームスに関しては、飽きちゃっても今は1人で食べ切るしかないのよね。あれは、身内に流すのも危険だし、私の冷凍庫には鍵がついているけれど壊すの難しくない鍵だし。何か別の方法を考えるか、キッチンにも1人入れるかしなくちゃ。要相談ね。それにしても、1ホールしか食べらない日には2ホールは軽くイケルと思ってしまう不思議。1ホールで我慢した私、偉い、良い子!
1〜3ヶ月に一度にしか、店頭に登場しないレア焼き菓子の中でも最上位に来るレア度を誇る、最早幻となっているバームス。その筆頭常連極秘味見係である、ブレンダ・ライサワー子爵令嬢は、上機嫌で職場であるハーンプス侯爵家に帰って行った。
ちなみに、ブレンダは、昨日の日中にも一度店に顔を出していた。毎日早い時間に売り切れ閉店となるエーリア菓子店は、午後から夕方にかけて、翌日販売する為の菓子を作る時間にしている。その時間に訪れたブレンダは、密かに注文確保したバームスの出来上がりを見守り、味見していたのだ。
売り物と違い、半日寝かせていない品なので、しっとりどっしりと言うより、フワフワ系になってしまうが、これはこれで美味しいと、バームスは1ホールで我慢しつつ、他に沢山あったレアお菓子をご機嫌で食べてきた。
いつも通り、店のキッチンで貢献したとの自負があるブレンダは、働きに対する給料にしては安い焼き菓子を味見しているが、バームスは作り手が面倒がって、なかなか焼いてくれないので、久しぶりの味見であった。レアが激レアになり、幻になることに、密かに貢献している犯人、いや、仕掛け人は、今日の自身の働きに満足だ。
――メレンさんったら、限定として売りたい、レア菓子を焼きすぎてしまうのよねぇ。おかげでレアじゃなくなったお菓子もいくつかあるし。貴族の手土産が、いつでも誰でも買える様な、珍しくもなんともない品という訳にはいかないし、レア菓子としてキープするのは大事なのだけど。今回みたいに侯爵家以上での付き合いでとなると、並んで買えました程度の貴重さでは話にならないし。他の高級菓子の3倍価格のバームスなんて、1〜2ホール分出すだけで十分なのにね。メローン達に知らせを貰うたびに、駆けつける、彼と私の苦労ったら。
エーリア菓子店には、店頭での販売を担当する店員は3名いるし、事務仕事と仕入れに関しては、常駐ではないが親族に担当者がいる。店の奥にあるキッチンは2つあり、定番品は2人の専任菓子料理人がいて、もう1つある新商品開発と数量限定品専用のキッチンは、基本的にメレン1人だけで回している。焼けた後、常温に冷ましてする包装が実は結構大変な作業なのだが、そこは早仕舞いで労働時間が短くなってしまう売り子達が、開店の3時間前に出勤してこなしくれている。
エーリア菓子店のオーナーの1人である、メレン・ホイップは、美味しい焼き菓子に人生を捧げている様な男だが、貴族の親族はいても、自身は、貴族家の4男と5女として育ち、平民となった両親から生まれた、純平民であるので、貴族の考えがよく理解できないらしい。
メレン以外のオーナーは、親族である貴族家なため、店としては、お金持ちの一部の平民と貴族家を客とする仕様になっているが、運営の方針など無視して、レア菓子をついつい作りすぎてしまうことが多い、メレン・ホイップなのである。その為、仕入れとキッチンには、他のオーナーが用意した人間が配属されている。レシピの秘匿が最も大事なことなので、運営の方針厳守のためというよりは、情報の管理の方がメインではあるが、メレン・ホイップのやらかし未遂に関しても、割と頻繁に「警報」が流されていたりする。洋菓子ラブ仲間で、信頼できる友人であるメローンは、店員にも監視をということで、実は他のオーナーの関係者でもあるブレンダが潜入させた人材でもあったのだ。
販売品の数量調整は、少し人より多く食べることが出来るブレンダ他1名が頑張っているが、毎回必ず駆けつけが間に合うわけでもないので、その場合は、ブレンダが持ち込んだ鍵付き冷凍庫に放り込んでおくことで、監視連絡役との話はついている。
メレンには、他のオーナーの指示だからと説明してあるが、本当に懲りない彼は、ブレンダが冷凍お菓子に飽きるぐらい、頻繁に激レア商品の焼き過ぎを繰り返している。
――あの人、早く帰ってこないかしら。メレンさんにもガツンと言ってほしいし、私も……だし……ああ……眠……
ハーンプス侯爵家に戻る馬車の中で、座席に置いた大事な贈答品様と並んで座ったブレンダは、眠気と戦いながら、あと少しで終わる特殊任務をこなしていた。だから、まだ寝てはいない。多分。
ハーンプス侯爵家の侍女見習いブレンダは、本日の早朝に誰よりも早く、開店前のエーリア菓子店の前に並び、幸運にも、激レアな「幻のバームス」買えた人間だ。
例え、事前に品物を指定して、予約確保していたとしても、それは口外できないことなので、対外的には並んでみせる必要があった。昨日は、侍女長の指示により、日中に外出できたので、ラッキーであったが、本日は朝の早い時間に屋敷を出発したので、正直クラクタであった。
腐っても貴族令嬢なので、勤めているハーンプス侯爵家が御者以外に従僕を1人、護衛兼行列要員として付けてくれたので、ブレンダが店の外に立って並んだのは、開店の少し前だけだ。その時間までは御者や従僕が代わりに並んでくれていたので、馬車内で待機していただけだが、流石に屋外に駐車しているだけの馬車の中で眠りこけるわけにはいかなかった。眠気と戦いつつ、薄暗くてもできる編み物などをして時間を潰していたので、徹夜明けのように疲れていた。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい。それで、何を買えたのかしら?」
パン屋ほどではないが、茶会や土産需要がある菓子店の朝も早い。朝8時開店のエーリア菓子店で、目的の品を購入して戻ったブレンダを、侍女長が待ち構えていた。
格下に持参する品はともかく、同格以上の家に持参する、特別な土産菓子を外注したことなどない家だったので、常に落ち着いている、ベテラン侍女長であっても、気が気ではない様子だった。
「本日のエーリア菓子店の限定販売品は、バームスでしたので、そちらを」
「まあ!!まあ!!あの?幻のバームス!?本当に?」
「はい、巷で幻と言われているバームスで間違いありません」
「まあ!あら?でも、バームスなら、数が足りないでしょう?3ケースに分けられているから、2つは他のお菓子かしら?」
「いえいえ、幻のバームスを3ホール購入することが叶いました!」
「まあ、なんてことでしょう!あの幻バームスをホールで買ったなんて話聞いたことありませんのに!それを3ホールとは!奥様も、持参先の公爵家の方も、驚かれ、喜ばれることでしょう!」
「幻と言われてる品ですし、それを3ホール全てを公爵家に持参する方が良いのか判断がつきませんでしたので、念の為1ホールづつの包装にしました」
「まあまあ!それはそうですね!奥様も、旦那様が食べたこともない品を持参して、我が家の土産が評判になった後で、奥様以外口にしたことがないなんて、恥ずかしく思われるところでした!よく気がつきましたね!」
常に鋭い目つきで、常に背中はピンと伸ばしている、ちっちゃな巨人である侍女長が、目をきらきらさせて喜んでいる。
その様子に、今回、密かに大役を果たしたことになるブレンダも、安堵した。
「はい!喜んでいただけますと幸いです」
「本当に、よくやりました!本日のお茶会を終えられたら、きっと奥様からも、お褒めの言葉があると思いますよ」
「はい!」
「今日は、早朝から出かけて疲れたでしょう。奥様からの呼び出しは夕方以降になると思いますから、午後のお茶の時間までは、休んでいなさい」
「お気遣い、ありがとうございます。それでは、少し休ませていただきます」
ブレンダが、昨日の日中にエーリア菓子店に行ったのは、お店への念押しと確認のためであった。当日になって「無理だった、買えなかった」では済まないのが、今回お土産品なので、侍女長から、お店が準備してくれているかの確認をして来てくださいとの指示に従い、店に向かった。
その出発前に、「翌日の営業のための準備に大忙しの店で、話をすぐに聞けるかどうかわからない」と侍女長に言ってみれば、「午後からお休みをあげるから、とにかく確認してきてちょうだい。報告は夕方で良いですから」と言われたのは、ラッキーであったが。
元々、仕事を終えてから、バームスの味見と数量減らし任務のために、店に行く予定だったブレンダは、嬉々として、自分の仕事の一環として、午後から店に入り浸った。
夕方、屋敷に戻ってから、侍女長には、「詳細は企業秘密なので明かされませんでしたが、何か特別なお菓子を焼いてくれている様です」とだけ報告したのは、ブレンダとしては当然のことだ。
口止めしているとはいえ、キッチンに入れたり、前日から幻のお菓子情報を流してもらえる立場であることは明かせないので、侍女長は、購入後の報告で初めて、「バームス3ホール確保」と言う、前人未踏の、購入者としての奇跡の快挙を知ったのだ。
きっと、侍女長からの報告を受けた、奥様のテンションは駄々上がりなことだろう。土産に持参した珍しい品は、持参先の家の人間に楽しんでもらう場合と、お茶会で振る舞われる場合があるが、バームスは珍しすぎて、公爵家だけで内緒にして食べるわけにはいかず、侯爵家の顔を立てて、茶会で振る舞われる可能性が高い。だから、奥様だけは、食べる機会があるわけだが。ハーンプス侯爵家の人間がとして食べたことがない品を持っていくわけにはとか言いだすこと、確実。1箱減る可能性が高い。今回は1回きりの約束なので、次はない。
下手したら、旦那様も他家に持参したいと言い出すかもしれないと、3ホールを別々に包んでもらった。3つの包みを公爵家に贈呈しても良いが、何しろ幻と呼ばれるお菓子だ。1包みのワンホールでも、喜ばれることだろう。包み1つであれば、全ての客に振る舞う量はないので、公爵家の皆様だけでどうぞの意味になるのだから。
侯爵家の方々の朝食はまだこれからだ。今朝のブレックファーストには、いつもは並ばぬスィーツが、メニューに含まれることだろう。
――エーリア菓子店自慢の。私自慢のイチオシのバームス。よ〜く味わってくださいね!
ああ、良い仕事をしたわと、朝寝の用意を始めたブレンダは、寝る前に栄養をと、紅茶と新発売予定のお菓子を口にして、昼過ぎまでしっかり寝こけたのだった。