第三話 竜と寮
夜の学院に比べて、寮は至って平和な空間。まだ遊び足りない子供が、隠れて友達と恋バナしたり、枕投げをしたり、腕相撲をしたり、新しい拳法を生み出そうとポージングしたり……など、微笑ましい限りである。
そんな寮を警備しているのは現役の軍人。魔法学院には似つかわしくない銃火器を装備した軍服姿の人間が、寮の外と中を厳重に警戒している。
「いやに厳重だな。ポマさん、ここはいつもこんな警備が?」
ノチェの質問に、ポマさんは「うんむ」と可愛く頷く。
「なんといっても国の宝ですもの。校長が集めた魔法使い達は優秀な人達ばかりですから。あの人達に育てられた生徒達は、未来の大魔法使い。軍人さんが守りたいと思うのは当然ですわ」
国の宝。そのワードにもノチェは違和感を感じる。十年前の大戦での敵国とは、すでに友好条約が結ばれている。そちらの国の方が魔法の歴史は深い。本当に大魔法使いを育てたいというのなら、そちらに留学させるという手もある。
しかしこの状況を見るに、かつての敵国などまるで信用していないというのが浮き彫りになっている気がする。それはまるで次の大戦を見越した、戦力の教育。未来の大魔法使いとは、いわば戦略兵器なのかと思わざるを得ない。
しかし、その感想はいささか行き過ぎかともノチェは思う。
この学校の校長と面識があるからこそ、血生臭い想像をしてしまうだけかもしれない。
「どうしたの? ノチェ。怖い顔して」
「何でもない。軍人など見慣れないからな。少々気を張りすぎただけだ」
「そうだねぇ、ド田舎では見ないし……」
この学院に通っている子供達は、どちらかと言えば裕福な家庭の出が多いだろう。軍人にも見慣れている者が大半。実際、パジャマ姿で堂々と軍人の目の前を素通りする生徒も。そしてヨランダ達が今いるのは、寮のロビー。
「この広い寮、ポマさんが全部管理しているんですか?」
「まあ、体を持ってるのは私だけね」
「体……?」
するとポマさんの元へと、半透明の白い服を着た少女がフワフワと飛んできた。そのままポマさんの耳へと何やら耳打ち。
「まあ、大変! 四百六号室で……生徒が喧嘩ですって!」
「ほぅ……?」
「急いで止めてきて! 怪我なんてしたら大変だわ!」
半透明の少女は、コクンと頷くと上の方へと飛んでいく。ヨランダの目には、それは幽霊では無く、まったく別物に見えた。
「もしかして……あれって妖精の類ですか?」
「あらまあ、流石先生ね。そうなの。あの子達はここに住み着いてる妖精王の使いでね。交換条件で寮の管理を手伝ってもらってるのよ」
「交換条件……」
妖精との取引は中々に危険だ。本来、彼らは人間の存在を食う存在。それも才能のある子供が大好物であり、まさにここは彼らにとっては格好の餌場では……とヨランダは感じてしまう。
「その条件って……」
「ふふ、ずばり……私のつくるクリームシチューよ!」
「……ほぅ?」
予想外の答えに無表情になってしまうヨランダ。それはノチェも同じ。
「ここに来た時、たまたま作ってたクリームシチューを妖精王が気にいっちゃって。それ以来、一週間に一度、振舞う事を条件に手伝って貰ってるの」
思わずヨランダはノチェへとコソコソと耳打ち
「どうしよう、ノチェ……ただのレッサーパンダと思ったら、まさかのフェアリーメッセンジャーだよ……その辺の大魔法使いより凄い事してるんだけど……」
「何事も見かけに寄らないということだ……。ポマさんの機嫌次第で世界がひっくり返るぞ、まさか妖精王を従えているとは……」
「あらあら、こそこそと何の相談?」
なんでもありませんっ! と営業スマイルを浮かべるヨランダ。ポマさんだけは怒らせてはならんと心に決める。
「じゃあヨランダ先生の部屋に案内するわ。鍵をとってくるわね」
ポマさんはロビーの奥へと。生徒達がポマさんを見つけると、抱き着いたり撫でまわしたり、後頭部に顔を突っ込んで深呼吸したり。どうやらかなり慕われているらしい。ポマさんも生徒達に甘えられて嬉しそうだ。
「ポマさん……いいなぁ、私もポマさんの首筋をクンクンしたい……」
「お前そんな性癖持ってたのか……普段ワシの体臭もクンクンしとるのか?」
「ノチェは甘い香りがするよ……肉球からは獣臭がかすかに漂ってきて、これまたなんとも言えない刺激が」
「もういい、それ以上言うならマフラーを引退する」
身の危険を感じたノチェ。勿論半分は冗談だ。そう、半分は……とヨランダは怪しい目の光を放つ。
「おまたせー、はい、じゃあこれがヨランダ先生の部屋の鍵ね」
ポマさんから手渡される鍵。それはアンティークな装飾がなされた小さな鍵。少々歴史を感じるデザイン。実際、かなり古い物だろう。装飾のところどころが錆びている。しかしなにより
「これ、何の魔法ですか?」
「あらあら、流石先生ね、一目で見抜いちゃうなんて」
ヨランダの目は鍵にかけられた魔法を捉えた。知らない形で編まれた魔法。恐らくポマさんのオリジナルだろう。転移魔法と少々似ている気がする。
「鍵を持って付いてきて、こっちよ」
ポマさんのフリフリ尻尾を追いかけるようにして、その後を追うヨランダ。つい目線が尻尾にいってしまう。そのふとましく、モフモフな尻尾は魅惑な動きでヨランダを催眠してくるようだった。一生見ていられる。
ある程度、寮のロビーから螺旋階段で登った先。その壁際にヨランダの部屋があった。しかし奇妙な事に鍵穴など何処にもない。先ほど渡された鍵はどこで使うのか。
「あの、ポマさん……鍵はどこに刺せば?」
「ふふ、扉の前で捻ってみて」
言われた通りに、扉の前、空中で鍵を捻るヨランダ。すると確かに「カチャン」と扉が解錠される音が。ヨランダは心なしかワクワクしてしまう。そしてドアノブへと手をかけ、その扉を開いた!
「え?」
まず驚きの声をあげたのは、他でもないポマさん。
扉を開いた先……そこは見渡す限りの樹海。何やら猛獣の鳴き声のような物が聞こえてくる。
ヨランダは鍵にかけられていた魔法が何なのかを察し、一旦扉を閉める。
「い、いまのなに? 何処? ヨランダ先生……貴方、どっからきたの?」
「いやぁ、この魔法……壊れてるんじゃないんですかね……」
「そんな筈ないわ! もう一回やってみて!」
嫌な予感がしつつも、ヨランダはポマさんに従うしかない。最初にこの扉を開いた時点で、懐かしい匂いがしたのだ。
(私が気付いたってことは……きっと……)
そして再び解錠し、扉を開くヨランダ。するとそこには……
「ひぁ!」
竜の顔。右目から口元にかけて傷のある巨大な竜がそこに居た。それを見てポマさんは固まり、ヨランダも意識を失いそうになるが、なんとか耐え、勢いよく扉を閉める。
そしてポマさんが固まっている事をいいことに、ヨランダはノチェへと鍵を翳し
「ノチェ、この魔法描き変えて……」
「故郷へと繋げる魔法か。大方ホームシック対策なんだろうが……」
ノチェは鍵へと肉球を翳し、ポマさんオリジナルの魔法へと手を加えた。ノチェとヨランダが一緒に過ごしていた秘境の山小屋へと繋げる。
そして固まっていたポマさんは覚醒し、今何が起きたのかと目を擦る。竜が見えた気がした。
「今のは……えっと、何?」
「ふふふのふ、ポマさんは疲れてるんですよ、新入生の面倒見るのも大変でしょう? お茶でもご馳走しますよ」
ヨランダは扉を開け、馴染み深い山小屋の一室へ。そこは暖炉と本棚、それにテーブルとシンプルな間取り。窓の外は雪が降り、真っ白に染まっている。
「新入生のお世話なんて……毎年やってる事なんだけど……」
「まあまあ、美味しいハーブティーがあるんですぅ」
ヨランダは誤魔化すようにポマさんの小さな肩を揉みながら部屋へと案内。
可愛い寮管へと、美味しいお茶とお菓子をご馳走しつつ、ヨランダ自身も本日の疲れを癒すのだった。
★☆★
バルツクローゲン魔法学院には番犬が居る。しかし番犬と言っても、彼が動いている姿を見た者は誰もいない。
灰色の狼。その姿は巨大で、人間くらいなら容赦なく丸呑み出来る程。
一体いつからここに居るのか。その身体には草木が侵食するほどに、銅像のように動いていない事が分る。
しかしヨランダがポマさんを抱き枕にして眠り始めた頃、番犬の伏せられた瞼がゆっくりと動いた。星空を見上げるように首を掲げながら鼻を鳴らす。懐かしい匂いがした。
『アン……ジェロ?』
かつて共に過ごした竜が帰ってきた、そんな気がしたのだ。