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中篇

















 もちろん、その後は大混乱だった。

 勝手に婚約破棄しようとした馬鹿王子も、イリスの実家も、後から報告を受けた国王陛下も巻き込んで、国自体が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 私も当事者として一時城に軟禁され、公爵さまと王家の話し合いに参加させられたりもしたけど……結局出た結論は、こうなった以上もうどうしよもうないという悲観的なものだった。




 イリスの眼帯の下の目は<魔眼>と呼ばれるものだそうだ。




 時代によっては、人誑ひとたらしの眼とか、魅了の瞳とか、帝王の眼とか呼ばれ、それを持つものは自在に他人を操ることが出来る、らしい。


 伝承にある古の時代、人が魔法が使えた残滓として、稀に現れることがあるのだとか……。


 ただ、眼の力は余りに強力で……それと知らずに覗いたものを無慈悲に無作為に虜にしてしまうから、大抵はそれと知られる前に淘汰されてしまうものらしい。


 でも、イリスは生き残った。


 それには、彼女が王国有数の公爵家の娘として生まれたことが大きく関係している。

 イリスの左目は、生まれた時は少し灰色がかった桃色だった。娘の目が開いてそれを確認した公爵夫妻は、まず病気を疑い。目が見えていないという診断を受けて、不遇な娘をそれは大切に慈しんで育てたそうだ。

 家族だけでなく、使用人からも、民からも、大切に愛されたイリス。しかし、やがて人々のそれは公爵令嬢だから……で片付けられないような溺愛に変わって、何か事件がおきたらしい。

 その時何があったか、詳しくは知らない。


 が、それによって<魔眼>の存在を知った公爵夫妻は、娘の幸せのため、その力を封じようと決めた。

 幸いにも彼らには、それが出来るだけの権力と財力があったのだ。


 そして出来上がったのが、目から溢れる力を封じるための何かを刻んだ眼帯。

 身を守るため、終生身に付けて過ごすしかないのだと言う。


 ……なのに、あの馬鹿王子は衆人環視の中、それを剥いでしまった。


 そもそも馬鹿王子との婚約も、イリスの力を恐れた国が魔眼を管理するために結ばれたものだったと教えられたのは、すべてが終わった後。彼らが恐れた通り、解き放たれた魔眼の力は凄まじく、一瞬で誘拐犯の王子殿下を虜にしたのだろう。


 なりふり構わず攫って行ってしまう程に……。


 イリスの眼に魅了された王子殿下は、本当にあのまま彼女を国に連れ帰って、即座に結婚を宣言した。

 そうなってはもう、こちらは手の出しようがなく。イリスのことは諦めるしかなかった。


 まあ、正直私は、イリスが幸せになるなら相手は誰でも良い。だから、あの殿下が馬鹿王子よりいい人であることを願いましょうと、公爵さま達を慰めていたのに……。



 なんと、その後僅か数ヶ月で、彼の国で王位継承を巡る争いが起こり、イリスを攫った殿下は打ち取られてしまった。



 イリスの安否は!?



 公爵さまはありとあらゆる手段で彼女の消息を探った。

 しかし突然の内乱で混乱の続く情勢。死体はまだ見つかっていないという情報を手に入れるのが精一杯だった。



 イリスの無事を願いながら、一時でとおも老けたようになってしまった公爵さま達を必死に慰めていた私のもとへ、イリスから手紙が届いたのは、季節が一巡りし、王都の黄色くなった木の葉を散らす冷たい風がまた吹き始めた頃。


 私にしか判らないように差出人を偽って届けられた手紙を見た時、歓喜の悲鳴を押さえるのが非常に困難だったことを覚えている。


 引き裂くように封を開けて取り出した便箋には、懐かしい親友の手で、今も元気で暮らしていることと、王子殿下に攫われて以降のことが掻い摘まんで書いてあった。


 彼の国の内乱の正確な原因は、王家の男達が皆イリスを愛し、イリスを巡って争い始めたこと。彼らは、イリスを手に入れるためになりふり構わず争い、至る結末は内乱となった。

 しかし、勝ち残った男は王の器ではなく、彼も家臣に打たれ……イリスは、傾国の魔女として処刑されそうになったところを、護衛の騎士に救われて、彼と逃げ延びたそうだ。


 手紙を書けるくらい気持ちを落ち着けるまでに時間が掛かったことを詫びる文章の後に、私以外に生存を知らせるつもりはないから、探さないよう公爵さまたちを説得して欲しい……と書いてあった部分には幾つもの滲みがあり、イリスの苦悩に私も泣いた。



 祖国を出て、一つの国を乱して、初めて自分という存在の危険を思い知った。

 きっと<魔眼>持ちが幼い頃に淘汰されるのは自然の摂理で、それに反して自分が生き残ってしまったことは間違いなのだろう。

 生きていること自体が罪のような自分は死ぬべきかもしれないが、……それでも死ぬのは怖い。もう誰にも迷惑を掛けないようにするから、生きることを許して欲しい。



 震える筆跡で綴られた願いに、私は心の中で何度も頷いた。


 許す、私が許す!!


 他の誰が許さなくとも、私はイリスが生きていて嬉しい。

 何処か遠く、もう二度と会えない場所だったとしても、貴女が生きていてくれるだけで私は満足だ。だから、死ぬことなんか考えないでいい!!


 どれ程願えば届くのか……私は、手紙を抱き締めて親友の安寧を心底願った。




◆◆◆◆◆




 それから更に一年程経った頃。

 隣国の隣国で民衆によるクーデターが起きた。圧制に反旗を翻した民衆が王家を打倒して、近隣国では初の民主国家の樹立を宣言した。

 そもそもの始まりは、横暴な貴族が下町で見初めた人妻を召し上げようと暴力を働いたことだったらしい。


 その国名を聞いた時ドキッとした。

 イリスの移り住んだ国だ。



 その人妻ってもしかして……?



 更に一年程して。

 何処を経由してきたのか判らない程薄汚れながら届けられた手紙に書かれた地名は、知らない土地のものだった。それとなく公爵さまに聞いてみたところ、地図を見せて貰えた。

 その地図上では、我が国から手のひら一つ分程離れたところにある国の首都で、イリスは<先読みの乙女>という、下町の小娘から大臣までを顧客にもつ占い師として活躍しているらしい。



 何その怪しい職業。

 しかも乙女って……貴女人妻だったじゃない。



 それから更に数年。

 私は縁あってお屋敷に出入りしていた行商人の妻となった。

 時々届く手紙に同封されている知らない草花や石などの由来を問うていて、親しくなったのだ。


 彼が、昔の汚い手紙にあった国にも行ったことがあるということが、結婚の決め手になった。


 公爵家の侍女としても古参となり、なんとなく婚期を逃していた私の結婚を喜んでくれたのは、家族よりも公爵さま夫妻だった。イリスを失った寂しさを、思い出を共有出来る私との時間で埋めてしまって申し訳なかったと言ってくれたお二人は、もうすっかりお元気で……私は安心して彼に嫁いだ。



 そして、一年の半分を行商で留守にする夫を待っている家で、その異変は起った。



 買い物に出る前に身なりを整えようと部屋の姿見を覗き込んだ瞬間、眩い閃光が鏡面から溢れ、思わず両手を顔の前に翳して顔を背ける。


「シシィ!!」


 光の波が収まる前に聞こえた声が、私のすべてを止める。驚いて逃げようとしていた足が硬直して動かなくなって、恐る恐る声のした方を向く。

 声は、鏡の中から聞こえていた。


「……イリス!!」


 呼んだ瞬間光は消え、目の前にあるのは鏡のはずなのに、……そこに写っているのは私ではなかった。



 一緒にいた頃には有り得なかった様相の親友が、何故か目の前にいる。



 かつては、常に艶やかに手入れされていた長い髪は、短く不揃いなポニーテールに。

 絹のドレスに隠されていた肢体を包むのは、旅人が纏う深緑のローブ。どうやら、その下はぴったりしたパンツスタイルのようで……。

 公爵令嬢だなんて思えない粗末な衣服の彼女は……でも間違いなく、私の親友だった。


「イリス!!」


 もう一度呼んで、鏡に両手を突いた。

 信じられないけれど、今目の前に彼女がいる。

 一瞬で、視界がぶれた。


「シシィ!! ホントにシシィ!! ちゃんと私も見えてる!?」

「見えてるわよ!! 何これ、どういう仕掛け!?」

「魔法なの!!」

「……魔法?」

「うん、今いる国は魔法文化の国でね。着いて早々、大魔導師さまに見初められちゃって、願い事を聞かれたからシシィに会いたいって言ったら、こうして姿だけでも見えるようにしてくれたの」


 魔法?

 大魔導師?

 見初められた?

 何それ?


「あ、その顔は疑ってるわね。まあいいわ、だからこれからは時々こうして話をさせてくれるって」


 随分と軽い口調は、令嬢だった頃とは全然違う。

 でも、私と手を重ね合わせるように両手を突いて嬉しそうに涙ぐむイリスは、別れた日と変わりなく。白い肌も、薔薇色の頬も、空色の澄んだ瞳も、何も変わってない。

 唯一あの頃とはっきり違うのは、片目を覆う眼帯が武骨な黒いものに変わっていることだった。

 しかし、そんなのは些細なこと。再び出会えた懐かしさと嬉しさが、勝手に涙になる。


「シシィ、会いたかった……私の手紙、届いてる?」

「うん。全部かは判らないけど、届いてる」

「良かった……」


 少しでもイリスを近く感じたくて、互いの手を鏡ごしに重ねる。そんなことある訳ないのに、手のひらに彼女の体温を感じた気がした。

 再会の感動に言葉もなく見つめ合っていたイリスが、しかし、急に横を向く。


「……え、なんですか? ……え? ……もう無理? ………ちょっ、あっ! 大変っ、大魔導師さま、顔色が土色だわ!! ………ごめんなさいシシィ、とりあえず貴女の元気な姿が見られて良かった、またね!!」


 ……え? 土色ってまずいんじゃない?

 またとか勝手に言って大丈夫?


 聞く前に音もなく鏡は元に戻って、そこには常と変わらぬ自分が写っているだけだった。

 写っているのは、もうすぐ三十に手が届く私。

 そこにイリスがいたなんて信じられないくらい変わらない自分の姿を穴が開く程見つめ、私は鏡に突いていた手をそっともう片方の手で握り締めた。



◆◆◆◆◆



 それからずっと鏡を気にして生活していたけれど、もう二度と鏡が光ることはなく……あれはイリスを心配する気持ちが見せた妄想だったのではないかと思う程時間が経った頃、今度は光ってない鏡から手が生えた。


 朝の慌ただしさが一段落して、自分の身支度をしようと机に置いた鏡を覗き込んだ瞬間、ニュッと白い手が鏡面から現れて、飛び上がる程驚いた。多分、椅子に座っていなかったら倒れていたことだろう。

 白い手は何かを探すように器用に動き、やがて何処からか声がした。


「シシィ、そこにいる!? ねぇ私の手そっちに出てる?」

「イリス!!」


 数年前の驚き再び。

 聞こえたのは親友の声だった。


「うん、私、私。ねぇ、私の手どう? 出てるなら試しに握ってみて!!」

「嫌よ怖いっ」

「なんで!?」

「だって気味悪いじゃない!!」


 鏡から手首から先だけ生えているこの状況。

 いくら親友の声がするからといって、握るなんて冗談じゃない!!

 冷静な私が判断して即座に返事をしていた。


「もう心配性ね、シシィは」


 すねたような声の後、手首が鏡の中に引っ込む。怖々覗き込んでも、それはやはりただの鏡で、数年前のように違う何かが写っていたりはしなかった。

 しばらくして、磨き上げられた鏡面に石を投げ込んだような波紋が出来て、その中央からニュッとまた手が生えた。


「きゃ!!」

「これで私だって信じてくれる?」


 飛び出してきた手から香ったのは、懐かしいキンモクセイの匂い。


 あ……と溜め息のような声と共に、逃げ掛けていた身体が止まる。

 匂いに刺激された何かが目頭を熱くさせ、蘇ったのは昔の彼女の姿。溢れる思い出を彩る香りが漂ってきて、引き寄せられるように私はその手を取っていた。


 十数年振りに触れる親友の手は暖かった。


「……本当に、イリス?」

「ええ、この香水のレシピは私しか知らないでしょう」

「そうね、そうね……」


 両手で握った手を額に押しつけ祈るように俯く。

 より深く吸い込んだ香りが、信じられないくらいたくさん涙を落とさせた。


 涙の合間に名前を呼ぶと、あちらも同じように呼んでくれる。

 会えなかった時間を取り戻すようにただ名前を呼び合った。


 でも……自分のしゃくり上げる声に混じって、本気の泣き声が聞こえて、ハッと顔を上げた。


「ごめっ、イリス、息子が、泣いてる」


 それだけ言って涙を拭い。イリスの手を離して、隣の部屋に寝かせていた息子を迎えに走った。


「シシィ、子供がいるの!? というか結婚したの! いつ? ねぇ、シシィ!!」


 そんな絶叫に追いかけられながら、息子をあやし、元の席へ戻る。


「随分前よ。そうそう、前に鏡越しに会った時もここだったし、あの時にはもう結婚してたわ」

「ええ!! 教えてよ」

「詳しく話す前に勝手に消えちゃったのはそっちでしょ。またねって言ったから、ずっと待ってたんだから」

「ああ、そっか……ごめんごめん。あの魔法、思ったより大変な魔法で……それを国を隔てて軽々しく使った大魔導師さまが倒れちゃってねぇ。魔力を吸い取った魔女とか言われて捕まりそうになったり……あの時も色々大変だったわ」


 全然大変そうじゃない口調で言うから、全く信用出来ない。


「でも今度は大丈夫! こうして声だけならそんなに力もいらないし。前の時は姿見で、しかも知らない人同士だったから大量に力が必要だったのね。私と貴女ならあんなことにはならないわ」


 あんなことってどんなことよ。


 あの時、イリスが叫んでいた言葉が不安を呼ぶ。

 泣きやんだ息子をあやしながら会話を続けた。


「ねぇ、子供ってまだ赤ちゃん?」

「うん、去年生まれたのよ」

「へぇ、子供他にもいるの?」

「うん、十歳と八歳と七歳と五歳と四歳と、この子」

「………随分、頑張ったわね」

「まあねぇ、授かりものだし気が付いたら、ね。毎日大変だけど、結局みんな可愛いのよ」

「シシィがお母さんか……」


 溜め息のような声にふと思い付いて、まだ鏡から生えている手を取ってそっと小さな頭に触れさせた。


「え? 何これ?」

「息子の頭」

「ええ! そうか、シシィの子供かぁ……名前は?」


 美しい手は器用に優しく息子の頭を撫でてくれて、思わず私の頬も綻んだ。



 それからは家族に隠れて、何度も鏡越しに話をした。



 イリスの眼の力は、年を経てどんどん強くなっていて、最早眼帯をしていても漏れ出る何かによって、姿を見せただけで魅了してしまうこともあるそうだ。



 イリスの意思に関係なく、見たものをすべてを魅了する力。



 それを何とかしようと各地を旅して色々なことを学び、我が国では伝承でしかない魔法までもを身に付けた彼女の人生にどんなことがあったのか、詳しくは聞いていない。


 でも、どれ程力を身に付けても、眼の力を制御することだけは出来なかったというイリスは、今は人里離れた場所で一人で暮らしているそうだ。


『慣れちゃえば一人も気楽で良いものよ』


 その諦観の混じった声音が私の胸も締め付けて、その夜、私はもう二度と会えない親友の幸福を切に願って、家族に隠れ、ひっそり泣いた。

















読んで頂きありがとうございました。

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