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ランタン持ちの娘と魔憑きの王子  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
二章 夢のような時間

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 連れられるがままにシルヴァ・ルイーヌ宮殿へと入ったリュシーを待ち受けていたのは、使用人たちによる仕度攻撃だった。

 使用人たちはみすぼらしいリュシーを見ても嫌な顔ひとつせずに丁重に扱い、縦にも横にも広すぎる豪華な浴場に有無を言わさずに押し込んだ。

 リュシーの衣服を剥ぎ取る使用人たちの手つきは見るも鮮やかで、アルフォンスの服を通りで剥いたジャンヌの手さばきを凌駕している。


「あの、服とランタン、捨てないで」


 使用人たちがリュシーの私物を何処かに持って行こうとしたので思わずそう呼び止める。


「父の形見なんです」


 そう言うと、納得したように脱衣所に置いてくれた。

 浴場には素っ裸のリュシーと使用人たちが入り、されるがままに丹念に全身を洗われた。特に指先と髪は何度も何度もゴシゴシゴシゴシと洗われた。

 リュシーの指先にはランタンを灯すためにマッチを擦って出来た真っ黒な汚れがこびりついており、なかなか落ちないのだ。

 髪は普段、水をかぶって埃を落とすくらいなので軋んでいるのだろう。それとて冬の寒い時期には控えている。

 石鹸を贅沢に使って身体を洗われ、なんだかとても畏れ多い気持ちになる。

 石鹸は貴重だ。そもそも水も貴重だし、温めるための火だって貴重だ。

 それがこんなにも大量に自分のために使われていると思うと、落ち着かない。

 ヒリヒリするほどに磨き上げられた身体を、今度は湯の中に沈められた。薔薇の花が浮いた浴槽はリュシーがあと十人ほど入れそうなほどに広く、なぜこんなに広い必要があるのだろうと不思議に思った。


(きっと王族の方が月に一度くらいの頻度で、いっぺんに入浴するんだわ。それなら効率もいいし、だから大きい浴槽が必要なのね)


 リュシーは自分をそう納得させる。

 王族は毎日入浴しており、しかも当然一回につき一人ずつであるという事実を平民であるリュシーは思いつきもしなかった。貴族と平民の間には、それほどの格差が横たわっている。

 全身が綺麗になったところで今度は着替えだった。

 使用人たちが持ってきた服を、使用人たちが着せてくれる。自分で着替えをしないというのは不思議だったが、胸元から腰までを覆う下着を着せられ、紐で縛り上げられたので、これを一人で着ろと手渡されても不可能だっただろう。

 ただただ両手を横に上げてカカシの様に立っているだけで、どんどん着付けが完成していく。

 ふわりと広がる服は、リュシーが今までに着たことのないドレスだった。

 薄紅色のドレスは少し動くとふわりと揺れ、裾のフリルが愛らしい。胸元には小さな宝石が散りばめられており、見るからに高価な代物だった。

 化粧台の前に座らされ、化粧を施され、髪に香油を塗り込み整えられる。


「さ、出来上がりましたよ」


 全身鏡に映っているのは、リュシーの知らない自分だった。


「これ……」

「よくお似合いでございます。殿下がお待ちですので、参りましょう」


 使用人は戸惑うリュシーの足に繊細な装飾のついた靴を履かせると、歩くよう促す。リュシーは立ち上がった。

 細いヒールに支えられた靴は、かかとの接地面積が小さすぎてとても歩きにくい。それになんだかつま先も窮屈で、可愛いけれどもなんて実用性の乏しい靴なのだろうと思った。細い靴に無理やり押し込められた足を動かし、目の前をさっさと歩く使用人についていく。無駄口を一切聞かない使用人に連れられて長い廊下を歩き、一つの扉の前で止まった。

 使用人が扉をノックすると、入るように言う声がする。

 開けられた両扉の脇に使用人は控え、リュシーに入るよう手で示した。どうやらここから先は一人で行かなければならないらしい。

 宮廷作法の何もかもを知らないリュシーは、「失礼します」と言って部屋に踏み入った。途端に扉が閉められ、閉じ込められた。

 部屋の中は、まるで昼のように眩い光に満ちていた。

 シャンデリアに何十本もの蜜蝋が灯り、甘い香りが部屋中に漂っている。のみならず壁掛けの燭台にも立派な蝋燭が据えられ、赤々とした炎が灯っていた。既に深夜を回っているはずだと言うのに、この明るさはどうしたことだろう。

 リュシーが暮らしている集合住宅の部屋が丸ごと二つは入りそうな広さの部屋には、ふかふかの絨毯が敷き詰められている。踏むのも恐れ多く、なるべく隅っこでじっとしていたら、ソファに座っていたジルベールが立ち上がり近寄ってくる。

 扉に張り付くようにして立っているリュシーを見つめ、目を細めて柔らかく微笑んだ。見惚れてしまいそうなほどに美しい微笑である。


「似合っているね」

「ありがとう、ございます……」

「今度は君のこの髪に似合う、杏色のドレスを仕立てて用意しておくよ」


 ジルベールはそう言って、リュシーの髪を手に取って口づけを落とした。それからそっと手を取る。


「おいで、座ろう。お菓子は好きかい?」

「は、あ……」

「好みが分からないから、たくさん用意させた」


 ジルベールが手で示す先、低めのテーブルの上には所狭しと皿が並べられている。リュシーが見たことのない色鮮やかなお菓子に目を奪われた。


「好きな紅茶の銘柄は?」


 リュシーはこの質問に首を横に振った。

 紅茶というのがお茶の種類だというのは知っているが、飲んだことはなかった。紅茶は上流階級の飲み物だ。平民は井戸で汲んだ水を沸かして飲むか、安い酒を呷るくらいで味のついた茶は飲まない。そんな贅沢をしている余裕はなかった。

 なすがままにジルベールの向かいのソファに座る。想像以上にふかふかなクッションにバランスを崩し、「わっ」と小さく声が出てしまった。そんなただ座るだけで慌てふためくリュシーを見て、ジルベールはくすくすと笑う。恥ずかしくなったリュシーは俯いて膝の上で拳を握りしめ、カタカタと震えた。


「そんなに緊張しなくてもいいよ。もっとくつろいでくれ。言っただろう、僕は君に感謝をしている。お礼をしたいんだ」

「はあ……お礼ですか」

「そう。まずは紅茶とお菓子をどうぞ。その後に話をしよう」


 ジルベールは入ってきた使用人が甲斐甲斐しく茶の用意をするのには目もくれず、リュシーだけを見ていた。いかにもおとぎ話の王子様といった容貌のジルベールに熱っぽい視線を向けられ、居た堪れない。いくら命の恩人とはいえ、たかが平民の自分をこんな風に見つめるものかしらと内心で首を傾げた。

 使用人に差し出されたカップを手に取ると、飲み物とは思えない華やかな香りに驚いた。まるで今が盛りと咲き誇る大輪の薔薇のような香りがカップの中から漂ってくる。


「あの、これ、本当に飲み物ですか?」

「そうだよ。薔薇の香りの紅茶だ。フレーバーティーは初めてかい?」

「はい」


 フレーバーティーも何も、紅茶を飲むのが人生で初めてだ。

 恐る恐る口にすると、まず口当たりの滑らかさが衝撃的だった。次に、微かな渋みとまろやかな喉越し、そうして最後に爽やかな味わいが残る。


(これが紅茶……なんて美味しいんだろう)


 人生初の紅茶にリュシーは心の底から感激した。


「お菓子は何がいい?」

「えーっと……」


 リュシーはカップから目を離し、テーブルを見た。

 果物をふんだんに乗せているものや、何やら白いクリームがたっぷりと塗られているもの、焼き菓子、こんがり焼かれた小さな茶色い四角いもの。どれもこれも美味しそうだが、リュシーにはどれひとつとして名前すらわからない。

 震える手で、苺がふんだんに使われた菓子を指差す。黄色いパンのような生地に苺が挟まれ、クリームが塗られたお菓子は一際華やかでリュシーの目を奪ったのだ。真っ白いクリームの上に乗っている苺が、まるで蝋燭の炎みたいな形をしていたというのもある。


「ショートケーキだね」


 ジルベールはにこりと微笑む。使用人がケーキの一切れを皿に乗せ、フォークと共にリュシーに手渡してくれた。銀で作られた食器とフォークを受け取り、一口分をフォークに刺して食べてみる。


「…………!」


 口の中に幸せが広がった。未だかつて味わったことのない感覚がリュシーを襲う。クリームはふわふわしていて口の中でとろけてしまったにも関わらず、もったりとした甘味が残り、そこに苺の酸味が加わって爽やかな味わいを加える。

 黄色い部分はいつも食べている固くてパサパサしたパンとはまるで違う、柔らかくて優しい味がした。

 これが天上の食べ物か、とリュシーは思った。


「美味しいかい?」

「はい!」


 リュシーは二つ返事で頷き、食べ進めようとして、ジルベールは何にも手をつけていないことに気がついてフォークを下ろした。


「殿下は……」

「ジルでいいよ」


 美しい顔に笑みを浮かべながら、ジルベールは即座にそう言い返してきた。

 流石にその呼び方はできない。国の第一王子といえば、王位継承権第一位の王太子。ゆくゆくは国王になるような方を、どうしてリュシーのような市井に暮らす一介のファロティエごときが呼び捨てになどできるだろう。

 呼び方に困って会話が止まってしまうと、ジルベールはほっそりした指を顎に当て、少し思案してから言った。


「ならばジルベールと」

「えっと……ジルベール様」

「うーん。まあ今はそれでもいいか」

「ジルベール様は、食べないのですか」

「僕はいいよ。君のために用意したものなんだ」

「はぁ……」


 王太子そっちのけで、一人だけお菓子を貪るのはいかがなものなのか。

 本当ならば並んでいる皿全部に手をつけたいところだったが、あまりにも不作法が過ぎるだろうと考え、兎にも角にも切り分けてもらったこの「ショートケーキ」なるお菓子をちまちまと味わう。

 ジルベールは紅茶を飲みながらリュシーの様子を機嫌よく見つめていて、それがまた落ち着かない。落ち着かないので、話をすることにした。


「ジルベール様は、私をずっと探していたんですか」

「そうだよ。あの日に君が僕を助けてくれてから、ずっと」

「そもそも、なぜあのような場所にいたんでしょうか」

「……誘拐されたんだ」


 ジルベールはソーサーにカップを置くと、肘掛けに腕を乗せて頬杖をついた。仕草の一つ一つが絵になり、思わず見惚れてしまう。翡翠色の瞳を縁取る金色の長いまつ毛までもが美しかった。


「父である国王には三人の妃がいる。僕を産んだ母は第三妃。ところがあの日の少し前に、第一妃が男の子を産んでね。王位継承順位は生まれた順だ。僕を邪魔に思う第一妃派の連中が僕を誘拐し、路地裏に放置。魔憑きにして処分させようと考えたのだろう。そうすれば自分達で手を汚さずに済むし、死体の処理にも困らない。魔憑きとなった者は銃殺と決まっているから、殺した後に第一王子であると判明したら、責められるのは手を下した夜警官になるというわけだ」

「そんな……」

「よく考えられていると思うよ。手の込んだ暗殺方法だ」


 ジルベールは肩をすくめてこともなげに言った後、視線をリュシーへと送り、口の端を持ち上げた。


「でも、君のおかげで僕は助かった」

「私は、何も。自分が助かりたかっただけなんです」

「それでも命を救われたのには変わりない。あの時の光は何ものにも勝る輝きだった。今もまだ、胸の内に灯って消えないんだ。ねえ、リュシー。僕からのお礼は、こんな些細なもので終わらせる気はないよ。君はルナ・ファロティエだろう? だから君に、頼みたいことがある」


 ジルベールは冗談を言っているとは思えない声音で、短く告げた。


「君に僕だけの、専属のルナ・ファロティエになってほしい」

「…………専属の、ルナ・ファロティエに?」


 リュシーは何度目かの思考停止に陥った。

 専属ということは、ジルベールのみに仕えて働くファロティエということだ。

 王侯貴族お抱えになれば今の何十倍もの収入を得ることができるし、わざわざ男装して客を取るなんてことをしなくてもよくなる。ただし、リュシーにはどうしても言わなければいけないことがあった。


「ジルベール様、私、実はルナ・ファロティエじゃないんです」

「ルナ・ファロティエじゃない? そんなわけがない。だって君はあの時、確かに僕を助けた。『魔』を払う力を持っているのは、ルナ・ファロティエが生み出す聖なる光だけだ」

「そうなんですけど……聖なる光を生み出せたのはあの時の一度きりで。あとは全然……今はただのファロティエとして働いています。だからジルベール様の専属にしていただくほどの者じゃないんです」


 話が意外だったのだろう、ジルベールは先ほどまで浮かべていたにこやかな笑みを崩し、少しだけ真剣な顔を作る。部屋に入ってからずっとリュシーを見つめ続けていた視線を外すと、何かを考えているようだった。

 数秒ののちに、「うん、納得した」と呟き、再びリュシーを見て笑顔を浮かべる。


「つまりきっと、あの時の光は偶然でもなんでもない。君は僕の側にいなければ聖なる光を作れないんだよ」

「は、はあ……?」

「だから僕の元で働けば、きっと君は聖なる光を作り、ルナ・ファロティエになれるはずだ」

「はあ……」


 一人で納得して話を続けるジルベール相手に、リュシーは「はあ」としか言えなくなった。


「悪い話じゃないだろう? 聖なる光を生み出せるまでは、普通の蝋燭を使ってくれて構わない。だから僕専属のファロティエになってくれ」


 提案のような形になっているけれど、相手は王位継承順位第一位の、王太子ジルベール殿下だ。

 リュシーの気持ちや良し悪しなど、関係がない。

 ここで頷かなければ首が飛ぶかもしれない事態に、リュシーはただただ首を縦に振るしかなかったのだった。


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