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ランタン持ちの娘と魔憑きの王子  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
三章 聖なる光の灯し方

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20/24

 閃光がパルマトレの丘上から見えてしばらくした後、光は徐々に収束して消えた。

 周囲にいる人々も何事かとしばし立ち尽くして、ジルベールと同じ方角を見ている。あれほどまでに大きな光は珍しい。

 ジルベールは光源が何であるか、わかった気がした。

 ルナ・ファロティエの灯す聖なる光は幾度となく見たことがあるが、今目撃したものはそれらとは一線を画する力強さを有していた。

 神々しい光は、かつてジルベールが命を救われたものと同じ。いや、あの時以上のものだった。

「……リュシー」

 きっと彼女は無事だ。安堵の気持ちが全身を駆け抜け、鉄柵を掴んでいた手がずるりと垂れ下がる。短く安堵の息を吐く。

「僕のファロティエが戻ってきたら、すぐに呼んでくれ」

「はっ」

 門番にそう告げてから、公爵邸の中へと戻った。

 リュシーが戻ってきたのは程なくしてからだった。庭先に佇むリュシーに駆け寄る。少し服が汚れていたが、どこにも怪我などなさそうで、ジルベールはほっとする。

「無事でよかった。心配したんだよ、おいで」

 ジルベールはリュシーの手を引いて馬車の中へと誘おうとしたが、リュシーはその手をさりげなく振り解き、自分で中へと入って行った。

 向かい合う馬車の中でリュシーが頭を下げてくる。

「勝手にいなくなって、申し訳ありませんでした」

「いいや。君が無事でよかった」

「勝手ついでにもう一つ、お願いをしてもいいでしょうか」

「何だい」

「明日の午後から日没まで、私のために時間を頂けませんか?」

 顔を上げたリュシーの表情は真剣だった。

 先ほどまでの彼女とは決定的に何かが違う。覚悟を決めた者の表情に、ジルベールは少したじろいだ。

「……君のためなら、いくらでも時間を作るよ」

「ありがとうございます。では、いつも私を迎えにきて下さる、第一地区にてお待ちしています。なるべく地味な服で来ていただけますか」

 なぜだろう。距離を感じる。

 いつもならば躊躇いなく触れられる杏色の髪も、細い肩や腰も、今は触ってはならないもののように感じた。

 リュシーの態度は暗にジルベールを引き離そうとしていた。

 このまま彼女がどこかへ行ってしまいそうな気がして、ジルベールは思わず縋るような口調で問いかける。

「今日もこの後、僕の部屋にいてくれるだろう?」

「……恐れながら、本日は少し疲れてしまいまして……帰らせていただきたく」

「……そうか」 

 ジルベールは王太子で、リュシーは平民だ。命じれば逆らえないだろうし、引きとどめる方法など山のようにある。

 それでもジルベールはそんな無理強いをさせるつもりになれず、リュシーはジルベールを部屋まで送り届けた後、あっという間にシルヴァ・ルイーヌ宮殿を立ち去った。

 彼女が掲げていた白く華奢なランタンの中に灯る、ジルベールが与えた蜜蝋の甘く芳しい香りだけを残して。

 翌日。

 約束通りにジルベールが第一地区に行くと、リュシーが立っていた。

 彼女は質素な麻のワンピースに身を包んでおり、外套を手にしている。馬車を降りるとリュシーは外套を差し出してきた。

「どうぞ、これを羽織ってください」

 くたびれた外套を手渡され、ジルベールが何か反応するより先に御者が眉間に皺を寄せ、苦言を呈する。

「殿下にこのようなものを着せるとは……」

「良い」

 ジルベールは短い言葉で御者を押しとどめると外套を受け取って羽織った。最初に出会ったリュシーから漂っていた、獣脂の臭いが染みついていた。リュシーが背を伸ばし、フードを目深に被らせ、前のボタンを留めた。そうして少し姿を確認してから、頷く。

「平民とまではいかずとも、お忍びの貴族様くらいには見えますね。少なくとも王子様であるとは気づかれないはず。では、参りましょうか」

「どこへ?」

 この問いかけに、リュシーは良い笑顔を浮かべながら短く答えた。

「ジルベール様の知らない、サンティエンヌを見に」

 変装したジルベールを伴ったリュシーは迷いのない足取りで歩いて行く。第一地区からどんどんと離れて、界隈は整然とした作りの建物から雑多な雰囲気へと変わった。舗装された通りしか知らないジルベールは、割れた石畳に足を取られそうになる。

 変わったのは建物や石畳といった目に見えるものだけではない。

 獣脂や汚水の臭いが鼻をつき、澱んだ空気が都を支配している。かつて路地裏に放り出された時の記憶が刺激され、ジルベールはフードの下で整った顔をしかめた。

 耐えがたくなったジルベールはリュシーへ問いかける。

「リュシー、どこまで行くんだい」

「私が住んでいる十五地区です。角を曲がってすぐですよ」

 そうして曲がり角の先にあったのは、おおよそ人が住めるとは思えないような場所だった。

 大人二人が並べばぎゅうぎゅうになってしまう窮屈な道。

 その両側に密集する煉瓦造りの建物はまるで子供が粘土細工で作ったかのようにツギハギだらけで、上に行けば行くほど斜めになっており、今にも崩れそうだった。その崩れそうな建物の窓から窓へと縄がかけられ、洗濯物がはためいている。

 どの衣服も着古されて色褪せ、穴が空いていたり袖が破れたりしている上に汚れが染みついていて、とても洗濯したてとは思えないような色合いだった。

 狭い道を行き交う人々は、皆一様にみすぼらしい服装をしているし、中には靴さえ履いていない者もいた。

 リュシーもひどい格好だと思っていたが、この中ではまだマシな部類なのだということに嫌が上でも気付かされる。

「リュシー!」

 呆然と立ち尽くしているジルベールの横にいたリュシーに、誰かが窓の上から声をかける。子供のようだった。顔を引っ込ませたかと思うと、ドタドタと階段を下る音がして、集合住宅の一角から煤まみれの顔をした十歳ほどの子供が飛び出してきてリュシーの腰に抱きついた。

「よかった! アル兄ちゃんから無事だって聞いてたんだけど、顔を見るまで心配でさ!」

「オリバーこそ、昨夜はちゃんと戻れていたみたいでよかったわ」

「うん。リュシーのくれた蜜蝋のおかげさ。……あれ? その人は? アル兄ちゃんじゃないよね」

 オリバーと呼ばれた煤まみれの少年は、ジルベールを見て少し警戒したような表情をした。外套の下から覗いている服や靴などで、平民ではないと気がついたのだろう。あどけない顔立ちに、猜疑心を浮かばせている。

「私の雇い主。いい人だから心配しなくてもいいわ」

「ふぅん……」

「じゃ、また今度ね。オリバー」

「うん。あっ、リュシー。アル兄ちゃんに聞いたよ」

 オリバーはリュシーに向き直ると、先ほどまでの疑い深い顔を引っ込めて年相応の笑顔を浮かべた。

「へへへ……お幸せにね!」

「うん」

 意味深なオリバーの言葉にリュシーははにかみながらそう答えた。ジルベールの前では見せたことのない、幸せそうな表情に胸がざわめく。何が、とか、どういう意味だい、と聞いてしまえば、リュシーが遥か遠くに行ってしまい、もう永遠に手に入らなくなるような気がした。

「さ、こちらにどうぞ」

 リュシーはオリバーに手を振ると、再びジルベールを案内し始める。狭い住宅街の上階を見つめながら、この建物が今崩れ落ちてきても不思議ではないだろうと思う。恐る恐る尋ねてみた。

「リュシーの家はどこだい?」

「あの茶色い建物の上から二番目、洗濯物糸が吊り下がってる窓です。ちょうど、黒い夜警官の服がたなびいている」

 見上げると、確かに夜警官が着用している黒い上着と白いシャツ、えんじ色のネクタイが太陽の光を受けて風に揺られてはためいていた。

 夜警官はファロティエ同様、サンティエンヌの都に欠かせない夜の巡回役だ。

 「魔」に加えて強盗や殺人犯が跋扈する夜の都をなんとかするべく、ジルベールの祖父が設けたこの役職は今ではサンティエンヌに欠かせない重要な職業だった。

 彼らは鉛玉を込めた銃の携行を許され、犯罪者の捕縛の他に魔に憑かれて悪魔となった人間を銃殺する権限さえ与えられている。国お抱えの役人であり、給金も良いためこんな場所に住む必要などないはずだ。

 疑問を見越したかのようにリュシーが言葉を続けた。

「あの夜警官の持ち主は、口は悪いけど心は優しくて正義感に溢れている人なんです。さっき会ったオリバーみたいな小さい子たちに護身術を教えてあげたり、たまにパンをご馳走したり。ここを出てもっと良い暮らしができるはずなのに、そうしない。十五地区は貧しいけど、皆で支え合って生きているだけ、他の地区よりマシなんですよ」

「…………」

 リュシーの言わんことをなんとなく理解して、ジルベールは黙った。

「さあ、次に参りましょう」

 リュシーは迷いのない足取りで、ジルベールの知らないサンティエンヌの都を案内した。

 十五地区に始まり、身寄りのない子供たちが集まる孤児院、住民たちが日々の祈りを捧げる教会、雑多な市場。

 リュシーは、いつもジルベールが馬車の中から見ていた都とは全く異なる景色を見せてくれた。そして今目にしている光景は、サンティエンヌの都のありのままの姿だ。

 都中を練り歩いたジルベールは、やがてリュシーの案内でポンドール公爵邸のあるパルマトレの丘にほど近いブラウデル川のほとりで腰を下ろした。手には、リュシーが来る途中の店で買った水飴が握られている。口にすると、宮殿でいつも食べているのとは違う、大雑把でねばつくような甘味が広がった。

「お口に合わないでしょう」

 ジルベールの内心を読み取ったリュシーがそんな風に声をかけてくる。横に並んだ彼女を見て、「そんなことはないよ」と咄嗟に言うが、首を横に振られてしまった。

「良いんです。私もジルベール様にいつもご馳走になっているから、わかります。でも先ほど十五地区であった煤まみれの男の子……オリバーは、その水飴をとても大切に食べていました。それこそ、水飴がなくなってしまっても、まだ棒をしゃぶっている程。水飴だけじゃありません。串に刺さった肉を一本丸ごと食べた時も。麦粥を口にした時には『生まれて初めてあったかいごはんを食べた』と喜んでいました」

「…………」 

「あの橋の下をご覧ください」

 リュシーが指差した橋の下には、数人が集っていた。全員がこれまで見てきたどの平民よりもひどい格好をしており、痩せこけている。人間というよりは、布を被った人形とでも形容した方がしっくりくるような有様だ。

「あそこに集うのは、住む家もないような人たちです。ゴミ捨て場を漁るか、物乞いをするかでしか命を繋ぐことができません。働きたくても仕事がない。仕事がないからお金を得ることができない……サンティエンヌの都には、そういう人たちが溢れている。ジルベール様たち王侯貴族の方々が大通りから見ている、見栄えのいい店や綺麗な石畳はこの都のほんの一部だけなのです。平民の大多数は、税の取り立てに苦しみ、明日の食事を気にしながら必死に生きている」

 ジルベールは理解した。

 リュシーはファロティエだ。

 サンティエンヌの都で中流階級以上の人々を相手に商売をする一方、彼女自身は平民で、帰る場所はあの狭く汚らしい十五地区。

 都の光と闇を誰よりも見ているのだろう。

 そしてそれを、他の誰でもない自分に知ってほしいと思っているのだ。

 この都に横たわっている深く長い溝を埋めてほしいと、ジルベールに期待を寄せているのだ。

 ジルベールは橋の下の平民をじっと見つめ、それから水飴に視線を落とした。

「彼らはこの銅貨五枚で買える水飴すら、口にすることができないのだろうね」

「銅貨が五枚あれば、パンを二つ買えますから」

「そのパンというのも、きっと僕が普段食べているものとは違うんだね」

「固くてパサパサしているので、きっとジルベール様の歯が折れてしまいます」

 ジルベールはしばし水飴を見つめたまま思考に耽り、ポツリと語り出した。

「……僕は次期国王という座にいながら、宮殿の鼻先に住まう人々のことを何も知らなかった。いや、あえて知ろうとしていなかった」

「…………」

「十二年前のあの日に攫われ、路地裏に捨てられた時に本当はわかっていたんだ。宮殿から見える景色が全てではないと。けど、あの日の恐怖が脳内にこびりついて、僕はどうしても都の真実の姿を目にするのが恐ろしかった。こんなにも薄汚い場所があるのだと知りたくなくて、現実から目を背けていたんだ。でも」

 ジルベールは目線を上げ、リュシーを見つめた。

 夕暮れの柔らかな橙色の光に照らされた彼女は、長い杏色の髪を靡かせており、この世のものとは思えない美しさだった。胸が切なくなるほど苦しく締め付けられるのを感じつつ、ジルベールは言葉を紡ぐ。

「このままでは、いけないね」

 リュシーはゆっくりと頷く。両手を胸の前にかざした。何もない空間に光が生み出され、黄昏に沈む周囲を照らし出した。ジルベールは息を飲む。

「それは……聖なる光」

「昨夜、私は聖なる光を生み出すことに成功し、コツを掴みました」

「都の一角が、まるで昼間みたいに明るくなっていたのを僕は見た。もしかしてあれは、君が?」

「はい、そうです。あの時私は、大切な人を助けるためにポンドール公爵邸を離れました。私の大切な人は、パルマトレの丘にほど近い都の路地裏で、魔に憑かれて悪魔になる寸前でした。彼は私を見た瞬間、私に危害が及ばないようにと、自分の頭に銃を突きつけて自殺しようとした。間一髪、聖なる光を生み出せたので助けられましたけど、そうでなければ彼は死んでいました」

 リュシーは聖なる光を灯し続けながら、なおも語る。

「『魔』が体から消え去った彼は言ったんです。私を傷つけなくて良かったと。自分が助かることよりも、私に危害が及ぶことを恐れていたんです」

 ジルベールは十五地区の窓辺で揺れていた、夜警官の制服を思い出した。もっといい場所に住めるはずなのにそうしない夜警官の心情を考えて、複雑な気持ちになる。

「君はその人のことが、好き?」

「はい」

「そうか」

「すみません、ジルベール様。私はジルベール様の気持ちには応えられません」

 申し訳なさそうな声音で、しかしキッパリと放たれた言葉に、ジルベールは少しの胸の痛みと共に納得も感じていた。

 リュシーはジルベールの与えたものを、心の底から喜んで受け取っているわけではなさそうだった。いつも申し訳なさそうに、戸惑いがちに手にしていた。ありがとうございます、という言葉の裏に若干の戸惑いが隠れているのにジルベールは気がついていた。

 それすらも見て見ぬふりをして、香油で髪を整え、彼女を綺麗に着飾らせ、華奢なランタンを持たせて蜜蝋に明かりを灯させた。「きっとこうすれば喜ぶだろう」というジルベールの気持ちを押し付けていたに過ぎないのだ。

 リュシーが大切に想っている夜警官は、ずっとリュシーに寄り添い続けていたのだろう。ファロティエであるリュシーを守るために夜警官になり、蓄えがあってもあの地区を離れず、そうして己の身が悪魔に成り果てるその瞬間も彼女のことを考え、彼女に害が及ばないようにと命を捨てる決断をしたのだ。

 ジルベールの稚拙で自分勝手な愛情表現とはまるで異なる。

「参ったな。僕の負けだ」

 会ったことすらない、平民の夜警官相手にジルベールは素直に負けを認めた。

 無理やりリュシーを攫って行って宮殿に囲い込んでも、彼女の気持ちは手に入りはすまい。一方通行の想いを抱えたままリュシーと共にいることは、ジルベールには出来なかった。

「リュシー。僕はいい王になるよう努力するよ。君の見ているサンティエンヌの都の光と闇の垣根を、なるべく低くするように」

「はい、期待しています」

 きっとそれが、ジルベールがリュシーに出来る唯一のことだから。

 ブラウデル川沿いを歩いて、第一地区まで戻る。太陽が沈み周囲は徐々に薄闇に呑まれて行ったが、リュシーの灯す聖なる光のおかげでちっとも恐ろしくなかった。

 リュシーはジルベールが与えたあの白いランタンではなく、出会った時に使っていた無骨な黒いランタンに聖なる光をいれて掲げていた。

「そのランタンは、お父上の形見だったっけ」

「そうです」

「お父上もルナ・ファロティエだったのかい」

「いえ、父は普通のファロティエでした。私が聖なる光を生み出せたと聞いてとても喜び、ファロティエになるのに賛成してくれたんです」

「女性がファロティエになるのは珍しい。理解のあるお父上だったんだね」

「はい、とてもいい父でした」

 こうして並んで歩きながら、リュシーの身の上話を聞くのも初めてだったなと思う。ジルベールはリュシーを好きだと言いながらも、彼女のことを何一つ知りはしなかった。住んでいる場所も、生い立ちも、普段どういう暮らしをしているのかも、聴こうともしなかったのだ。

 こんなんじゃ、「魔」が増えるのも当然だなとジルベールは皮肉な笑みを浮かべる。

 都を夜ごと跋扈する「魔」は人々の負の感情の凝縮だというのなら、きっとそれは暮らしにあえぐ平民たちの声なき怨嗟の形なのだろう。目を背けてはならない。時期国王としてジルベールは、サンティエンヌに現れる「魔」の数を減らす努力をしなくてはならない。

 やがて第一地区の大通りに待機していた馬車の前まで辿り着くと、ジルベールは外套を脱いだ。

「ありがとう。とても有意義な時間だった」

「ジルベール様の今後のご活躍を、サンティエンヌの都からお祈り申し上げます」

「うん。僕が国を変えるところを、見ていて欲しい」

 本当は隣で、とは口にしなかった。

 馬車の扉が閉まる。窓からリュシーが見えた。

 無骨なランタンの中に聖なる光を灯す彼女は、杏色の長い髪を風に晒しながらこちらを見ていた。質素なワンピースと黒いランタンは、ジルベールが与えたドレスと白いランタンよりも彼女に似合っていて、この都で生きる力強さを感じさせた。

 馬が石畳を蹴って馬車を引きながら進んで行く。

 この通り一つとっても、リュシーが案内してくれた都を思い出すと紛い物に見えてしまう。

 ひび割れた石畳に足をとられ、裸足の指を怪我する人々を想像する。

 ジルベールにはやるべきことがある。

 リュシーはそれを、教えてくれたのだ。

「……ありがとう」

 一人になった馬車の中でジルベールはポツリと礼を言った。

 十二年前のあの日に命を救ってくれた彼女は、今度はジルベールのやるべきことを自覚させてくれた。

 彼女を追って夜毎に社交界に顔を出すのはもう終わりだ。

 募らせ続けていた恋心を静かに終わらせる決意をしたジルベールは、窓の外を流れる景色を見つめ続けた。

 馬車から見える闇に沈むサンティエンヌの都は、貴族の邸宅や歌劇場の明かりのみが目立ち、幻想的な雰囲気を醸し出していた。



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