7
ジルベールは舞踏会場の片隅でため息をついた。
煌びやかな空間に集う華やかな人々。
さんざめく笑い声に乗せられてジルベールの耳に心地よい美辞麗句が届けられる。
――今日の殿下も相変わらず凛々しうございますこと。
――聡明な殿下が王位を継げば、国も安泰ですわ。
――ポンドール公爵とも繋がりが強い殿下であれば、国中の貴族も一致団結いたします。
けれどもどんな言葉にもちっとも心は躍らない。
六歳の時に魔に取り憑かれてから、もうずっと昼も夜も光の中で生きている。
光が消えるとたちまち記憶の中の闇が呼び覚まされ、ジルベールの心と体を蝕んだ。あの時に取り憑いた「魔」が再び自分の中で暴れ出すような気がして、まだ残滓が身の内にこびりついているような気がして、恐ろしくてならない。
光のない都。路地裏の吐き気を催すような臭い。暴力的な衝動に支配される恐怖。
光の申し子なんて大層な名前がついているが、今のジルベールには皮肉にしか聞こえなかった。
光の申し子。
闇を恐れる臆病な王子。
日没とともに暗くなる空に恐怖を覚え、朝日が昇るのをひたすら待っているだけの自分には嫌気が差している。
(リュシーに会いたい……)
グラスの中の葡萄酒を覗き込みつつ感傷に浸っていると、ふと、無性にリュシーに会いたくなった。
魔に取り憑かれて死ぬ運命だった自分を助けてくれた、たったひとりのかけがえのない存在。なぜか聖なる光が使えたのはあの一度きりだったらしいけど、そんなことはどうでもよかった。
六歳のあの日に出会ってからずっと、彼女だけに恋焦がれ続けていた。
神々しいまでに輝く聖なる光を生み出した、杏色の髪を持つ少女。
ずっと会いたくて会いたくて、夜毎に探し回って、そうして出会えた運命の人。
リュシーといると心が安らぐ。杏色の髪に触れ、彼女の声を聞いているだけでジルベールは幸せな気持ちになった。
本当ならば宮殿に囲ってずっと自分のそばにいてほしいのだが、ジルベールの置かれている立場がそれを許してくれなかった。
平民であるリュシーがずっと宮殿にいては嫉妬の対象ともなろう。変な危害を加えられるとも限らないし、会うのが夜だけというのはむしろ都合がいいかもしれないと最近では思うようになった。
ファロティエとして連れ歩いているのであれば、奇異の目で見る者も少ないはずだ。
そうしてゆっくりと彼女の気持ちをジルベールへと向かせればいい。
ゆくゆくはジルベールが国王になった際、離宮に住まわせ、夜ともなれば共に過ごそう。
考えれば考えるほど、会いたい気持ちが募っていった。
こうしてはいられない、今日はもう帰ろうと踵を返して外に出るが、いつもは馬車で待機しているリュシーの姿が見当たらない。
ジルベールは御者に問いかけた。
「リュシーはどこだ?」
「それが……妙な子供と一緒に、どっかへ行ってしまいまして。アルがどうこうと騒いで血相を変えており」
御者の要領を得ない話に眉を顰める。すると隣で待機していた、別の貴族に雇われているファロティエが補足説明を入れてくれた。
「知り合いが『魔』に追いかけられているから、助けに行くと言っていましたよ」
思ってもいなかった言葉に、ジルベールはさあっと全身の血の気が引いていくのを感じた。その場にいる者たちを見回し、大声で問い詰めた。
「一人で行かせたのか!?」
「止めたのですが、助けを呼びに来ていた子供と一緒に飛び出してしまいまして」
「無茶だ、リュシーはルナ・ファロティエじゃないんだぞ……! 後を追う!」
「しかし殿下、新月の夜に都へ降りるのは危険です」
「うるさい、リュシーの身に何かがあったら、僕は君たちを許さないぞ」
「殿下、あのようなファロティエ一人にそうも執着を見せるのはおやめくださいませ」
「あのような? 彼女は僕の命の恩人だ!」
周囲の言葉はジルベールを諌めるどころか苛立たせるばかりだった。いつでもにこやかだと評判のジルベールは今、整った顔立ちを歪めて御者に詰め寄る。その様子を周囲の人々は、呆気に取られて見ている。
ジルベールは焦燥していた。
せっかく再会できた彼女を失うかもしれない。その恐怖は、喪失感は、計り知れない。
リュシーは言っていた。
十二年前のあの日以来、一度も聖なる光を生み出せていないのだと。
今の彼女は普通のファロティエ。
知り合いを助けるために新月の夜に都に行くなど、正気の沙汰とは思えない。
ジルベールは「魔」の恐ろしさを誰よりもよく知っている。心の底から湧き上がってくる憎しみや怒りといった感情。自分が自分でなくなっていく感覚。
もしもリュシーが魔憑きになどなったらと考えるだけで、耐え難い気持ちになった。
ジルベールは肩にかかった金髪を振り乱し、翡翠色の瞳に結然とした色を宿して宣言した。
「リュシーを探しに行く」
「無茶です」
「君たちが来ないのなら、僕一人でも行く」
「殿下、おやめください」
「止めるな!」
護衛たちの制止を振り切り、ジルベールは鉄門まで早足で歩いた。
夜の都に行く恐怖より、リュシーを失ってしまうかもしれない恐怖の方が勝っていた。
「次期国王ともあろうお方が、たかがファロティエのためにお一人で新月の都に降りるなど、あってはなりません!」
「たかが?」
護衛の言葉はジルベールの逆鱗に触れた。細い眉を跳ね上げ、その顔に明確な怒りを滲ませた。
「たかがなど! 僕は彼女のことをーー!」
その時、闇夜に覆われた都で、光が爆ぜた。
都の一角、このポンドール公爵邸が存在するパルマトレの丘にほど近い、雑多とした界隈が煌々と輝く。
なんだ、とその場にいた一同が視線を集中させる。
それはまるで真夜中を照らし出すーー太陽のようだった。




