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ランタン持ちの娘と魔憑きの王子  作者: 佐倉涼@もふペコ料理人10/30発売
三章 聖なる光の灯し方

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15/24

(今夜は新月か)


 アルフォンスは空を見上げて顔をしかめた。

 新月の夜には「魔」が多く出る。闇を好んで光を嫌う「魔」が、月明かりの弱い新月に活発になるのは都の常識である。にもかかわらず自分が「魔」に襲われることはあるまいとたかを括った連中が、外をほっつき歩いては魔憑きになるのだから始末に負えなかった。

 とはいえ新月の晩は、流石に営業している場所も限られる。中流階級向けの集会所やコーヒーハウスなんかは閉まっているので、やっているのは貴族邸の夜会くらいなものだ。アルフォンスは普段割り当てられている巡回場所とは異なる、パルマトレの丘付近を今夜は見回っていた。

 昼間にリュシー達と来た時はブラウデル川の水面が陽の光を反射して穏やかに揺れていたが、夜間は黒々とした水がざあざあと流れる音だけが聞こえてくる。

 橋の下は真っ暗で見えないが、「魔」に怯えながらもいく場所のない人々がひっそりと息を押し殺して身を寄せ合っているのだろう。無限に感じられるほど長い夜を生き延びられるかどうかはほぼ運と言って良い。もしも「魔」に見つかれば、その時は気の毒だが殺すしかない。

 リュシーはどうしているだろうかとふと考える。

 こんな危険な夜なのに呼び出すなど、王子だかなんだか知らないが危険な真似をしやがると内心で歯軋りをした。


(リュシーの身に何かあってみろ。相手が誰であろうがただではおかねえぞ)


 自分が一体いつからリュシーが好きなのか、そんなことはわからない。

 最初は隣に住む、ただの遊び仲間だったはずだ。

 夜毎に仕事に出かける父親を慕んで啜り泣くのが気になって、ボロボロの壁の隙間から話しかけた。内容はなんでもいい。今日はパン屋のゴミ捨て場からパンが丸ごと一つ見つかったとか、野良猫と落ちていたりんごを取り合って散々引っ掻かれたから傷口が痛えとか、そんなどうでもいいことばかりを話していた。すると鼻水を垂らして泣いていたリュシーはだんだんと楽しそうになるのだ。

 家の中は真っ暗だから、リュシーがどんな顔をしていたのかはわからないが、声からするときっと笑っているのだろう。どんな顔で笑ってんのかな、と考えるのも楽しかった。

 五歳のあの日、父の仕事について行ったリュシーが帰ってきた時、聖なる光を生み出せたと興奮して喋っていた。そしてファロティエになると言い出した時には一瞬彼女が何を言っているのか理解ができなかった。

 冗談かと思った。ファロティエは夜に道を案内する仕事で、危険が多い。夜には「魔」だけではなく強盗や殺人犯も多く行き交っている。女にできる仕事ではないのだ。

 しかしリュシーは本気だった。その日からサンティエンヌの町中を歩き回り道を覚え始めた。リュシーは驚異的な記憶力と方向感覚で、あっという間に地図もないのに道を覚えた。彼女の父親も特に止めておらず、むしろ応援している節がある。アルフォンスの母親の説得も無駄に終わった。

 そんな日々を過ごしていた数年前、リュシーの父親が病に倒れた。

 医者に診せればあるいはどうにかなったのかもしれないが、そんな金がリュシーの家にあるわけがなかった。かび臭いベッドに横たわり、日に日に衰弱していく父親を、リュシーは甲斐甲斐しく世話をしていた。水を絞った手拭いで額を冷やし、口元に食事を運んで食べさせてやる。

 しかしリュシーの看病も虚しく、幾らも経たないうちにリュシーの父はこの世を去った。

 遺体は燃やすのがこの国の定めだ。

 貴族であれば立派な墓が建てられるが、数も多くてすぐに死ぬ平民のためにいちいちそんなものは用意されなかった。

 死んだ平民の体は燃やし尽くされたあと、サンティエンヌの都から近い平野に持って行き、灰を空に撒くのだ。

 燃えて灰になった父の遺体が、風に乗ってサラサラと流れていくのを見つめていたあの時のリュシーの顔を、アルフォンスは生涯忘れられないだろう。

 別れの切なさと、悲しさとが混ざった表情。瞳は潤んで膜を張り、それでも泣くまいと唇を血が滲むほどに噛み締めていた。

 アルフォンスは初めて、リュシーを引き寄せて胸に抱いた。ほっそいな、と思った。ろくなものを食べていないから、体には無駄な肉どころか必要な肉さえも全くついていない。少し力を強めれば折れてしまいそうなほどに華奢だった。


「……泣いていいぜ」


 そう言えば、リュシーはアルフォンスの胸で、嗚咽を漏らして泣いていた。アルフォンスは右手をリュシーの頭にそっとおくと、杏色の髪を梳くようにして優しく撫でた。

 辛い時は泣けばいい。寂しい時には話し相手になってやる。

 泣いて泣いて、また明日から前を向いて生きればいいんだと思った。


「ありがとう、アル」


 泣き腫らした目で見上げられ、濡れた唇で言われたお礼の言葉に、胸が少しむずむずとした。

 父が亡くなってからのリュシーは、それまで以上に一心不乱にファロティエになるための努力をした。まるで父の背中を追いかけているかのようだった。

 程なくリュシーはファロティエになるための許可証を手に入れてしまった。誇らしげに許可証を見せてきたリュシーを見たその時、アルフォンスは心に決めたのだ。

 リュシーがファロティエになるというのなら。自分はリュシーを守るため、夜警官になろうと。

 毎夜毎夜、拳銃を握って闇の支配する街を警邏しながら、どうかリュシーの身に災いが降り掛かりませんように、と願っている。

 悲鳴が聞こえるたびに心臓がうるさく音を立てて鳴り響くし、現場に駆けつけた時に魔に取り憑かれているのが彼女であったらと嫌な妄想が胸の内を支配して、気が気ではない。変わり果てた姿の人間を撃ち殺す度に、リュシーの姿を重ねてしまう。

 そうして朝が来て無事なリュシーの姿を見ては心の底から安堵している。

 リュシーがファロティエという仕事にどれだけ誇りを持っているのか、それを知らないアルフォンスではない。だが悪魔に成り果てた人間の無残な死体を見るたびに、もう辞めてほしいと思ってしまう。目の前の死体が、いつリュシーのものになってもおかしくはないのだ。

 こんなにも想って、いつでも彼女のことを考えて。きっと物心がついた時にはリュシーのことが好きだったのだと思う。

 ずっとずっと、一番近くで見てきた。

 だからこそ、ジルベールのことが許せない。

 あんなぽっと出のわけのわからない野郎にリュシーを取られてたまるかという感情が腹の底から込み上げてきた。

 なんでも持ってる王族のくせに、この上貧乏人の平民である自分から、己の命よりも大切なリュシーを奪われてたまるか。

 アルフォンスは昏い気持ちで銃に手をかける。

 リュシーが無体を働かれたら、王宮に踏み入って眉間に鉛玉を打ち込んでやる。何度も魔憑きの人間を葬り去った銃の腕前は誰にも負けない。平和ボケした王子の一人や二人、隙をついて殺すなんてわけもない。

 そうしてアルフォンスが思考に耽りながら歩いていると、悲鳴が聞こえてきた。

 はっと顔を上げて耳を澄ます。

 悲鳴は、近い。どこかの細道だ。しかもこの声は、聞き覚えがある。

 細く高くあどけない声は、まだ子供の、少年のものだった。


「……オリバー!?」


 まさかという思いを胸に、アルフォンスは夜の帳が下りた都を走った。


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