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全てが闇に包まれる夜。魔に飲まれる時間帯、人々が頼りにするのはファロティエが灯すランタンの、わずかな蝋燭の明かりだけだった。
とっぷりと日が暮れて、空が紺碧に染まりきる頃合い。
サンティエンヌがいかな国の首都とはいえ、日が暮れれば光源は月と星を頼りとするしかない。
そうした時間になると、リュシーの仕事が始まる。
今日もリュシーはランタンを手にして割り当てられた場所に佇んでいた。
サンティエンヌは楕円の形をしており、都を横断するように東から西へとブラウデル川が流れている。都の中心に当たる部分には上流階級の人々が夜毎に集う歌劇場や宮殿、カフェが点在しており、一帯は第一地区と呼ばれている。リュシーは第一地区で遊んで建物から出てくる人々を相手に商売をしていた。
既に何人かを連れて歌劇場へと向かい、今は出てくる人々を待っていた。
時刻は深夜の零時。そろそろ歌劇場から人が出てくる時間だ。
リュシーの読みはあたり、ドレスや燕尾服でめかし込んだ人々がパラパラと豪奢な建物から出てきた。馬車で帰る貴族もいれば、徒歩で帰路に着く中流階級の人もいる。リュシーが狙うのは徒歩で帰る人々である。
リュシーは今、自分が女だとバレないように男物のズボンとシャツを着て、さらには外套を羽織ってすっぽりとフードまで被っている。高くランタンを掲げて中で踊る蝋燭を見せつけると、作り上げた低い声でわざと荒っぽい口調で喋る。
「ファロだよ。そこの旦那様、道案内に俺をどうだい」
足を止めたのは、シルクハットを被りタキシードを着た五十代の男だった。小太りの中年男はきつそうに締めた蝶ネクタイを緩めながら、ポケットを漁る。
「ああ、じゃあ、頼もうかな。サントルド通りの五番街の家まで」
「お安い御用です」
リュシーは手袋をはめた手で硬貨を受け取り、歩き始めた。掲げたランタンがキィキィと音を立てて軋み、中の炎がゆらめく。真鍮製の黒いランタンは同業者が持つものに比べて大きく、中に入っている蝋燭も倍ほどの大きさがある。十二角形の立体的な作りは珍しく、四角いランタンよりも外に光を伝えやすい。それゆえ明るさもひとしおだ。客は感心していた。
「立派なランタンだな」
「親父から譲り受けたんです」
「ほう、お父上もファロティエだったのか」
「へい。このサンティエンヌについて知らない場所はありませんでした。華やかな南東のシルヴァ・ルイーヌ宮殿から都の北端の二十地区まで、頼まれればどこへでもお連れしていたものです。もちろんサントルド通りも」
「それは心強い」
男はステッキをつきながらリュシーの隣を歩いている。
歩き出してしばらくすると、道々に同じような人と出会う。客を連れている者、「ファロでござい」と言いながら客引きをする者。
首都サンティエンヌにはリュシーと同じランタンの灯りを下げて夜に道先案内をする、いわゆる「ファロティエ」と呼ばれる職業を生業とする人が大勢いた。
シルヴァ・ルイーヌ宮殿からほど近い大都市サンティエンヌは、夜な夜な中、上流階級の人々が大通りを闊歩する。舞踏会や夜会、あるいはコーヒーハウスでの集会を終えた人々に灯りを提供するのがファロティエの仕事である。
いかに華やかな都もひとたび夜が支配してしまえば様子は一変する。
暗がりに乗じて強盗、殺人、事故が頻発し、都は血に塗れた。これをなんとかしようと先代の国王が一つの職業を創設する。
それがランタン持ち——「ファロティエ」である。
ファロティエは誰でもなれるわけではない。夜間巡回している「夜警察」と連携をとっており、きちんと認可証を持ち一人一人に番号が授けられている。何かがあれば夜警官が飛んでくるため、犯罪者もファロティエを連れた人間は襲わない。
それにファロティエにはもう一つ、重大な役目があった。
中年の客はステッキでコツコツと石畳をつきながら空を見上げた。
「しかし今夜は曇っているな。月も星もよく見えない。『魔』が現れなければ良いんだが……」
「サントルド通りは歩いて十分もかかりません。路地裏にさえ行かなければ『魔』に会うことはないでしょう」
「だといいが……」
男が言いかけた瞬間、近くで乾いた発砲音が聞こえた。叫び声の後にもう二、三発の銃声、それから数人の走る音と怒鳴り声。男はあからさまに動揺し、ステッキを取り落とす。
「『魔』だ! 今のは近いんじゃないか、なあ、まずいんじゃないか」
「急ぎましょう。サントルド通りはすぐそこです」
リュシーは男のステッキを拾い上げると、動揺のあまりにその場で小刻みに妙なステップを踏んで回転する客の手に握らせる。男はシルクハットが落ちる勢いで首をブンブン振ると、倍速で歩き出した。
大通りを折れ曲がりサントルド通りへと入り、家まで辿り着くと、男はあからさまにホッとした顔をした。
「ヤァ、よかったよかった。無事に帰れたよ。じゃ、君も気をつけたまえ」
「ありがとうございやす」
リュシーは男が家に入るのを見届けると、その場を後にした。
戻る途中でまたも銃声が聞こえる。通りを行き交うファロティエ連れの人々はみな一様に早足だ。
リュシーは路地裏から走り出してきた一人の警官とぶつかりそうになり、足を止めた。
「おっと、悪い……って、リュシーか」
「しぃー、その名前で呼ばないで。女ってバレちゃうでしょう」
「あぁ、悪い悪い」
リュシーはちっとも悪いと思っていなさそうな警官に向かって、声を顰めて話しかける。
「ねえ、アル。『魔』が出たの?」
「そう。これで今日はもう十件目だ。全く嫌になるぜ」
警官帽を取って癖のある黒髪をくしゃりと握りながら言うこの警官は、リュシーの幼馴染であるアルフォンスだ。リュシーと同じ十七歳であるにも関わらず、銃の腕前に優れており、夜間巡回する夜警官の中でもとりわけ優秀。最近は女の子に人気があるのだが、それはきっとこの警官服と帽子のおかげだろうとリュシーは思っている。
黒い警官服とえんじ色のネクタイ、腰に下げた拳銃はアルフォンスを五割り増しカッコ良く見せている。それに癖のある黒髪を隠してくれる警官帽も。
「お前も今日はもう家に帰ったほうがいいぜ。『魔』に憑かれたお前を銃殺する羽目にでもなってみろ。夢見が悪い」
アルフォンスはリュシーを見下ろしながら憎まれ口を叩いた。
「心配ありがとう。でも私、まだ今日は三人しかお客さんを送ってないから帰るわけにはいかないわ」
「どうせ二束三文にしかならないんだし、帰れ帰れ。つーかこんな仕事辞めちまえよ」
「こんな仕事とは何よ、こんな仕事とは」
リュシーはムッとして言い返す。
「夜な夜な男装して、やっすい賃金で都中を歩き回る仕事の何が楽しいんだ?」
「アルにはわからないかもね」
「なあ、リュシー。こんな仕事辞めて、俺と……」
その後に何を言おうとしたのかはわからなかった。ちょうど悲鳴が聞こえ、二人は弾かれたように声のした方角を見る。アルフォンスは舌打ちをした後、持っていた警官帽を被り直して苦々しそうに言った。
「またか……おいリュシー、いいか、絶対に路地裏に入るんじゃねえぞ。程々にして、さっさと帰れ」
そうして腰に下げたホルダーから銃を引き抜くと、走り去って行った。
残されたリュシーは一つ嘆息し、客を取るためにまた歩き出す。
強盗、殺人、事故。
それら人為的な犯罪とは別に、夜の都にはもう一つ、人々を脅かすものがあった。
――「魔」と呼ばれる存在だ。
「魔」は実態のない影のようなもの。夜に生まれ、朝には霧散する。夜毎に現れ人に取り憑き、取り憑かれた者は人ならざる「悪魔」に変わり果てて人を襲うので特に恐れられていた。こうなってしまえばもう、魔に取り憑かれた人間ごと殺してしまう他に方法はない。
光や炎を嫌うので、「魔」に取り憑かれないためにはファロティエを連れ歩くのが夜の都を歩く最低限の防衛方法だった。
「魔」とは人間の怒りや憎しみといった負の感情が凝り固まって集まって出来上がったものなのだという。だから農村部よりも人が多く集まる都に「魔」はたくさん現れる。
サンティエンヌの都に住む人々は、幼い頃から寝物語に「魔」の話を聞かされる。
いい子にしていないと「魔」が現れて悪魔にされるぞ、と脅されるのが定番だった。
今のリュシーには正しい知識があるので、夜道であっても蝋燭の光を絶やさず、路地裏に入らなければ「魔」には出会わないと知っていた。
(ただ……力のある「魔」だと、ランタンに灯る炎くらいものともしないのよね)
アルフォンスが心配しているのはその点だ。「魔」にも力の差があり、蝋燭のちっぽけな炎など恐れないものもいる。特にこうした月も星も出ていない夜には強い「魔」が出現しやすかった。
ただ一つ。どんな「魔」でも寄せ付けない存在がいる。
リュシーはちょうど向かいからやってきた馬車を見た。二頭立ての立派な四輪車は貴族が乗る馬車だ。馬を操る御者の隣には一人のファロティエが腰掛けており、掲げるランタンにともった光が一際明るく周囲を照らし出している。
蝋燭の炎とは異なる、眩いばかりの明かり。白く発光するそれは聖なる光と呼ばれている。
「魔」に対抗しうる唯一の「聖なる光」の持ち手、ルナ・ファロティエ。
リュシーは通り過ぎる馬車を憧れに満ちた眼差しで見つめた。
ルナ・ファロティエならばどのような「魔」も撃退する。王侯貴族のお抱えとなり、夜道を明るく照らし、馬車に乗って移動する彼らは全てのファロティエの憧れだ。
リュシーは去って行った馬車から目を離すと、ランタンを掲げ持ち次なる客を探した。
その日は夜通しずっと、悲鳴と銃声が夜の都に響き続けていた。




