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風の少女と呪いの絆3  作者: たき
4/7

(4)

 熱を出していた。何度つばを飲み込んでものどは渇き、唇はカサカサになっている。

 体が熱い。息が苦しい。涙が滑り落ちたとき、小さな水差しが口に運ばれてきた。

 頭の後ろを支えられ、少しだけ体を起こして水を飲む。

 薄くまぶたを上げた先にぼんやり見えるのは、あの日から常に冷えた光をたたえている茶色い瞳。それがほんのちょっとだけ、揺れていた。


“もうすぐ薬が効くからね、ルテウス……”

 額に冷たい布が置かれる。にぎった手はひんやりしていて、気持ちがよかった。

 これは、祖父母の家に引き取られて間もない頃の記憶だ。


“ごめんね、ルテウス……” 


 聞きたくない。


“お母さんは――を、絶対……”


“……テウス”

 ガタガタガタッ


 ――ウスゥ……テウスゥ……ルテウスゥ!

 ガタガタガタガタガタッ


 はっと気がつく。じっとりと汗ばんだ額から首筋にかけてを腕でぬぐいながら、ルテウスは寝台であおむけのまま天井を見つめた。

(夢……)

 まだぼうっとしていた意識が、先ほどから耳に届いていた音を拾い上げる。

 ガタガタッ、ガタガタガタッ

(だめだ……)

 見るんじゃない。

 ガタガタガタガタガタガタガタガタッ

 歯を食いしばってぎゅっと目を閉じる。

 見ても後悔するだけだ。

 ルテウスは枕の下に入れていた天空神の護符をそっと引っ張り出した。

 ガタガタガタッ、ガタッ

 音がやんだ。

 急に静かになった室内で、ルテウスは緊張に乱れた呼吸を整えようとしたが、一度速くなった鼓動はなかなかおさまらない。

 窓の外は無音だ。護符があれば奴も中には入ってこられない。

(あきらめたか?)

『死者の日』に強引にあちらの世界へ送らなくても、離れてくれればそれでよかったのに。

 もう、顔など見たくない。思い出したくないのだ。

 死んだのに。何年も前に、俺一人を残して勝手に息絶えたくせに。

 今さら何を恨むことがあるのか。

 静寂が続く部屋の中で、ルテウスは大きなため息を吐き出した。そしてゆっくりと視線を動かす。

 物音一つしない窓の外側で、茶色い瞳の人間のなれのはてが、じいっとルテウスをにらみつけていた。

 色のない、割れた唇は、ずっと言葉を吐き続けていた。

 ――スゥ……ルテウスゥゥ……ルテウスゥゥゥゥゥ

  


 夜明けとともにフォーンの町を出発したリリーたちは、『早駆けの法』で順調に荷馬車を飛ばしていた。

 天気はうっすら雲っているが、雨が降りそうな気配はない。『風の神が駆ける月』も後半のせいか、日中の気温は比較的高めになるので、今日は過ごしやすいかもしれない。

 ルテウスは母親の亡霊が部屋に入ってくるのを防ぐため、週末までキルクルスにもらった天空神の護符で何とかやり過ごしたものの、亡霊は消えることはなかったらしい。今は昼間だし、みんなもいることで少し安心したのか、荷馬車の中で横になってよく眠っているが、すっかりやつれてしまっていて、目の下にできたくまが痛々しかった。

 リリーはさりげなく斜め前に座るソールを見やった。今日のソールはいつも以上に口数が少なく、腕組をして流れる景色を眺めている。

『死者の日』だけは、武闘学科生のように普段霊魂が見えない人間にも見えるのだと、キルクルスは言っていた。

 ソールは、誰か会いたい人がいるのだろうか。

(……やっぱりお母さん、なのかな)

 思えば、レオニス火山でルテウスと自分の会話を聞いていた様子だったあのときから、ソールは何となくおかしい。

「なんだ、あれ?」

 荷馬車の手綱をにぎっていたオルトの疑問の声に、リリーも前を向いた。前方にたくさんの馬車や人が並んでいるのが見えた。

「アルクス市に入るために列ができてるんだよ。今年は多いな……」

 リリーの隣にいたキルクルスが眉間にしわを寄せる。

「アルクス市って、入るのに検閲でもあるの?」

 御者台でオルトの隣にいたセピアがふり向く。

「いつもは素通りできるんだけど、今日は『死者の日』だから特別なんだ。馬たちが怯えるから、市との境に預かり所を設けて、そこに置いていくことになる。管理はちゃんとしてくれるから、そこは心配しなくていいよ」

「じゃあ、ここからは歩いていくってこと?」

 フォルマの問いにキルクルスはうなずいた。

「泊まる場所はそんなに遠くないから大丈夫だよ。この人たちもみんな、この日のための宿泊場所に行くんだ」

 さすがに八人が泊まれる小屋をギリギリの日数で確保するのは大変だったんだからね、とキルクルスが腰に手を当てる。確かに、これだけの人が外から入ってきて一泊するとなると、準備に苦労しそうだ。

「小屋ってことは、キルの住んでいた家に泊まるわけじゃないんだ?」

 レオンに聞かれてキルクルスはかぶりを振った。

「僕の村には()()入れないよ」

「通行止めにでもなってるの?」

 セピアが首をかしげる。

「まあ、そうだね」

 話している間に順番が来たので、八人は荷馬車を降りて管理人に荷馬車を預けた。その際、管理人がキルクルスをじっと見てから、はっとしたさまで丁寧に頭を下げるのをリリーは目にした。

「お急ぎなら……」「大丈夫、待つよ」と管理人とぼそぼそ話してから、キルクルスが七人をふり返った。

「さあ、並ぶよ」

 オルトたちが動きだす。リリーはキルクルスに対して抱いた違和感を本人に確認すべきか迷ったが、「リリーも行くよ」とキルクルスに笑顔で腕をとられ、結局機会をのがした。

 大勢の人の列は少しずつ少しずつ進んでいった。待ち時間の長さに苛立っている男性もいれば、形見の品か何かを大事そうに胸の前でにぎりしめながら静かにしている老婆もいる。まもなくアルクス市との境界線らしき看板が見え、あと数人で自分たちの番というところで、先頭にいたセピアがキルクルスをかえりみた。

「キル、みんな何か札のようなものを渡してるけど」

「あれは通行許可証だよ。今日だけはそれがないと市に入れないから」

「私たちの分はキルが用意してるの?」

「うん、もうじき来ると思う……ああ、来た」

「え?」とみんながそろって不思議そうな顔をしたとき、アルクス市側のほうからやってきた人物が手を振った。

 れんが色の長い髪を後ろで一つに束ねた緑色の瞳の人物は、キルクルスよりは背が高いが、色が白く、非常に整った顔立ちをしている。そして何より、キルクルスに似ていた。

「……男? 女?」

 誰もが思った疑問をレオンが口にする。そのときちょうど、八人が通る番になった。

「代表者の名前と人数と通行……」

「おいっ」

 通行許可証を調べていた番人の一人が何度も繰り返すことにうんざりした口調で言葉を吐きかけたのを、もう一人が慌てて制止する。キルクルスの顔を見た番人が目を見開き、二人そろって恭しく一礼した。

「し、失礼しました」

「やあ、キル」

 二人の謝罪と、現れた謎の人物の声が重なる。二人の番人は相手を見てさらにぎょっとした顔つきで一歩下がった。

「申請は出したけど通行許可証が間に合わなくて……彼が許可証の代わりとして来たので、それで頼むよ。僕を入れたら八人で」

 彼ということは男性のようだ。キルクルスの話に、二人の番人が「どうぞ、お通りください」と頭を下げた。

「キルってもしかして、偉い人?」

 半信半疑のさまで尋ねるセピアに、「本当に偉い人なら、いちいち申請なんかしないよ」とキルクルスが苦笑する。それでもやはり彼らの態度は仰々しすぎて、ただごとではないと思いながら境界線をまたいだリリーは、アルクス市に踏み込んだとたん空気が変わるのを感じた。

「すごいね」

「なんか、ゾクゾクしてきた」

 セピアとレオンも腕をさすりながら周囲を見回している。通行人の邪魔にならないところまで移動してから、キルクルスによく似た人物がくるりとふり向いた。

「聞いたときはびっくりしたが、まさか本当に全員で来るとはな」

「どうやら次の試練が始まったみたいでさ」とキルクルスがため息をついてから、リリーたちに彼を紹介した。

「彼はエスキー。僕より四歳年上のいとこだ」

「よろしく」

 エスキーが完璧な微笑を浮かべる。

「キルの家系って、みんなこんな感じなの?」

「そうだよ。顔面にはこだわって結婚相手を選ぶからね」

 セピアの質問に、キルクルスが冗談とも本気ともとれる返事をする。そのすきにエスキーが端から七人を一人ずつ眺めて回った。 

 フォルマでしばしとまった視線がオルトのときには長い凝視になり、最後にリリーを瞳にとらえたエスキーがずいっと顔を近づけた。

「君がリリーか」

「あ、はい……」

 どうしてわかったのだろうととまどうリリーに、エスキーが薄く冷笑した。

「祝福の血に絡みつく忌まわしい絆が見える」

 リリーは目をみはった。かろうじて悲鳴を抑えたリリーを背にかばい、オルトがエスキーをにらみつけると、エスキーの緑色の双眸が細くなった。オルトを見るそのまなざしには嫌悪と侮蔑が濃くあらわれている。

「……キル。今回はこいつじゃないのか」

「うん、違うみたいだ」

 じっとオルトを見据えるエスキーに答えてから、キルクルスがそっとリリーの肩に触れた。

「怖がらせてごめん」

 リリーがこくりとうなずくと、エスキーはようやくオルトから目をそらした。

「本当にこいつらで大丈夫なのか?」

「……わからない」

「だろうな」

 少しだけ視線を落としたキルクルスに、エスキーがそう吐き捨てる。

「でも彼女の父親は了承したよ」

「面倒事を持ち込んだんだ。当然だろう」

 あきれ顔で片方の眉をはね上げたエスキーは、肩をすくめた。

「まあ、これだけ見事な器だと、連中が欲しがるのも無理はない。かなり厳しい引っ張り合いになりそうだな」

「おかげで気が抜けないんだよ」

「お前の仕事だ。やるしかない」

 にやっと笑ってから、「小屋はこっちだ」と歩きだす。呆然としていたリリーたちを、キルクルスがうながし、全員でエスキーの後を追った。

 

 

 目当ての小屋は、途中過ぎてきた道沿いに並ぶ小さな小屋や天幕に比べるとずっと大きかったが、かなり古くからあるような木造の建物だった。外も中も傷は多かったものの、掃除されていたせいか思ったよりきれいで明るい。

 一番興味をひかれたのは、全方位に大きな窓がはめられていることだ。きょろきょろしている七人にキルクルスが言った。

「外がよく見えるように作られた小屋だからね」

「『死者の日』のために建てられたってこと? 直前で小屋を押さえるのは大変だったって言ってたのに、よくこんなところを取れたね」

 感心するリリーに、エスキーは別にたいしたことではないと答えた。

「もともと俺たちの村が建てたものだから、ここを使う優先順位は一番高いんだよ。キルの連れてきた者ならなおさらだ」

 顔立ちは似ていても、エスキーのしゃべりかたは少しそっけなかった。おまけに自分たちが優遇されることに慣れているという響きを感じる。

 やはりキルクルスたちはこの地域で特別なのだろうか。リリーがちらりとキルクルスを見やると、目があったキルクルスは気にしなくていいよと言いたげな苦笑をにじませた。

「夕方までそんなに時間がないから、君たちは食事を取りに行ってきて。その間に僕は準備をしておくから」

 今日の夕食と明日の朝食は、宿泊する人々のために簡単な食事が用意されているのだという。エスキーの案内で料理のある場所に行った七人は、必要な分だけを持って小屋へ戻った。

 キルクルスは東側の露台で床に何かを書いていた。のぞいてみると、どうやら天空の法陣らしい。

「何も見ないで書けるなんてすごいね」

 手をとめることなく文字や記号を書き込んでいくキルクルスをリリーがほめると、キルクルスがにこりと笑った。

「そうでしょ? 惚れ直した?」

「リリーはキルが好きなのか?」

 隣に来たエスキーに聞かれ、リリーはあせった。

「嫌いじゃないけど、でもその好きじゃなくて……」

「うんうん、わかってるよ。友達として好きなんじゃなくて、異性として好きなんだよね」

「全然わかってないじゃない」

 かみあってない二人にエスキーが吹き出した。

「まだ押しがたりないようだな、キル」

「やっぱり? リリーって、かわいい顔してけっこう頑固なんだよ」

 どう見てもキルクルスはぐいぐい押しすぎだと思うのだが。そもそも、本人を前にして頑固とは失礼ではないのか。ほんの少しふくれるリリーを横目にとらえ、エスキーがくくっと笑った。

「後は任せる。俺は一度村へ帰るから」

 また明日顔を出すと言って、エスキーは去っていった。

「――よし、できた。はあ、やっと休憩できるよ」

 首と肩を回しながら息をつくキルクルスに、リリーは「お疲れ様」と言って露台と部屋を結ぶ扉を開けた。

「ご飯を食べたらもうひと踏ん張りしないとね。リリー、これが終わったらめいいっぱい僕をねぎらってね」

「そうだね、ここに来られたのはキルのおかげだもの」

「本当? じゃあ、膝枕がいいなあ」

「睡眠不足なのはキルじゃなくて、ルテウスだと思うけど」

 すり寄ろうとしたキルクルスをリリーがさっとかわすと、キルクルスがむくれた。 

「ルテウスに膝枕をするつもり?」

「それはさすがにしないけど……そうそう、クルスにお土産を頼まれてるの。何かいいものあるかな?」

「えー、クルスより僕をかまってよ」

「キルは一緒にいるでしょ? クルスは今回ちゃんと言うことを聞いて留守番をしてくれてるから。あの子、本当に賢いよね」

「僕だって賢いよ」

「キルってば、クルスと張り合ってどうするの」

 リリーは笑ったが、キルクルスはますますふてくされた。

「あーもう、失敗したな」

「何が?」

「おいしいところは全部クルスにもっていかれてるってことだよ」

 意味がわからない。リリーは首をかしげたが、キルクルスは答えず、みんなが広げている夕食のほうへ足を向けた。 


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