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風の少女と呪いの絆3  作者: たき
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(1)

 寝台が規則正しく何度もきしむ。脇にある燭台でともる一つの灯りが背中に残る無数の傷跡をなめるように照らす中、恍惚とした荒い吐息が漏れた。

「ブレイ……もっと……お願い」

 灰緑色の長い髪を敷布に広げた少女の求めに、あせることなく応じる。

 少女の快楽は我が(しゅ)に届くだろう。供物として受け入れられるだろう。

 だが、自分は?

 我が主を喜ばせるほどのものを差し出せているだろうか。


 答えは『否』だ。


 この身で作り出すことができないのなら、つかまえるしかない。

 我が主が望む者を必ず手に入れる――それが一族の願いだ。

 先に達した少女が上気した顔で自分を見る。普段はほとんど感情のこもらない褐色の瞳に宿る熱を冷静に見つめ返しながら、ブレイも果てるまで動き続けた。 



 弓の練習場は学院の敷地外にある。後から新設されたため学院内にはもう空き場所がなく、近くの廃屋を取り壊すことで建設が可能になった。

 法塔や闘技場に比べればずっと新しい練習場で四限目、自分の番が済んで拾ってきた矢の状態を確認していたフォルマは、バシンッとうなる音とともに聞こえた叫び声にふり返った。

 騒ぎの中心にいるのは弓専攻一回生代表のブレイ・ビッテンだ。まだ一度も的をはずしたことがないブレイがついにやらかしたのかと一瞬思ったが、顔の左半分を覆っている手の隙間から流れ落ちているのが血だとわかり、フォルマは駆けつけた。

「ブレイ、大丈夫!?」

 弓の弦が切れている。はずみで跳ねた弦が顔を打ったのだ。

 未使用の布をポケットから引っ張り出してブレイの手をどける。縦にざっくりと肌が裂けていた。

「目は?」

 布を傷口に押し当てながら尋ねると、「わからない」とあっさりした口調でブレイが答える。射手にとって視力に影響が出るのは大問題だというのに、ブレイはまったく動じていない。

「すぐ治療室で手当てしてもらわないと」

「僕一人で行くよ。君は副代表なんだから、後を頼む」

 背中を押してうながそうとしたフォルマはブレイにたしなめられ、確かにそうだと足をとめた。

 平然とした様子で練習場を出ていくブレイを見送ったフォルマは、ブレイが置いていった弓に視線を落として眉をひそめた。

「これ、ブレイの弓じゃないよね」

「あ、俺のなんだ。ブレイに調整してもらおうとしたら、いきなり弦が切れて、それで……」

 決まり悪そうにケルン・ポーリョが名乗り出る。

「自分の弓くらい自分で張りなよ」

「そうなんだけどさ。ブレイにやってもらうとよく飛ぶから」

 俺も頼んだことがある、と数人が言いにくそうな顔で同じく挙手したので、フォルマはあきれた。

「それにしてもブレイ、ケロッとしてたな」

「あんなに血まみれだったのに」

「見ているこっちが気絶しそうなくらいだったよな」

 それはフォルマも思った。普通なら出血量の多さにうろたえてもおかしくないほどなのに。

 痛みに強いというより、ほとんど何も感じていないみたいで奇異に映ったのだ。 

「……俺、こないだ着替えてるときに見ちゃったんだけどさ。ブレイの背中、何ていうか……ひどくて驚いた」

 まるで何回も鞭で打たれたかのような跡がびっしりと刻まれていたというケルンの話に、皆が言葉を失った。

「もしかして、虐待されてたとか……?」

「そういえば、ブレイの親って参観日に来てなかったよな」

「ごめん、やっぱり様子を見てくるから、終わりのあいさつは誰か代わりにしておいて」

 ざわつく同期生に告げて、フォルマはブレイを追いかけた。

 学院に戻って一番に治療室をのぞいたが、ブレイの姿はなかった。中にいた水の法専攻生に確認したが、来ていないという。念のためきれいな布を何枚かもらってから捜していると、大地の女神の礼拝堂のほうへ向かうブレイの後ろ姿を見つけた。

「ブレイ!」

 声をかけると、ブレイがふり向いた。

「フォルマ? どうしてここに?」

「それはこっちが言いたいよ。なんで治療室に行かないの?」

「いや、思ったより流血してるから、このまま行くとびっくりされそうで。もう少し血がとまってからにしようかと――」

「そんな気づかいしなくていいよ。だいいち、それならそれで歩き回ってないでじっとしてなよ」

 フォルマは近くにあった長椅子にブレイを押していき、座らせた。自分が最初に渡した布をそっと取ると真っ赤に染まっていたので、新しい布で押さえ直す。

「もう少しで授業終了の鐘が鳴るから、そうしたら治療室に行くよ……何?」

 本当は今すぐ治してもらったほうがいいんだけどとぶつぶつ言っていたフォルマは、不思議そうに自分を見つめるブレイに首をかしげた。

「副代表の務めを放棄してまで気にするようなことかなと思って」 

「号令なら誰でもできるよ。それにみんな心配してたし」

「でも、わざわざ追いかけてきたのはフォルマだけだ」

「大勢で治療室に押しかけるのは迷惑でしょ」

「だから一人で行くって言ったのに」

「行ってないじゃない。もしかして余計なお世話だった?」

 何だかかみあっていない気がして、フォルマは急に不安になった。

「いや、そうじゃなくて……こんなふうにかまわれるのって初めてだから」

 ブレイが目を伏せる。

「痛みは我が主への捧げ物であり――」

「は……?」

 何のことかとフォルマが眉をひそめると、ブレイは口を閉ざした。じっと凝視してくるこげ茶色の双眸に鼓動が速まる。見てはいけないと本能が訴えているのに、フォルマはそのまま動けなくなった。

「……どうやら僕は、フォルマたちからするとずれたところがあるみたいだ」

 ブレイが顔をそらすと同時に奇妙な呪縛が解ける。肩の力が抜けてフォルマはほっとした。

「ああ、うん……そうだね」

 思わず正直に答えてしまい、しまったと口を押さえるフォルマに、ブレイが吹き出した。 

「フォルマの言葉は軽いね」

「えっ……」

 ひどい言われように凍りつく。しかしブレイは「違う。ごめん、誤解させた」とすぐにあやまった。

「軽率とかそういう意味じゃなくて、棘がないっていうか、えぐるような嫌なしつこさを感じないんだ。まっすぐに刺してくるから、根に持つほどの怒りが生まれない」

 フォルマにどれだけ叱られてもみんなが不満を溜めないのはそのせいだとブレイが笑う。

「僕も……フォルマの言うことなら素直に耳を貸せそうだ」

 だからもしおかしな言動をしていたら注意してほしいと頼むブレイに、フォルマは「それじゃあ、さっそく」と腕をつかんで立たせた。

「治療室に行くよ」

「まだ鐘は鳴ってないけど」

「私の言うことなら聞けるんじゃないの?」

「それとこれとは――」

「つべこべ言わない。手遅れになって目が使えなくなったら困るよ」

 うちの大事な代表なんだからと手を引いて歩くフォルマに、あきらめたのかブレイもおとなしくついてきた。逃げる気配がないのを見て、さすがに子供扱いしすぎかとフォルマは手を放そうとしたが、逆にブレイのほうがしっかりとにぎり返してきた。

「ブレイ……?」

 もう一人で歩けるだろうといぶかるフォルマに、こげ茶色の瞳が面白そうにきらめいた。

「治療室まで連れて行ってくれるんだろう?」

 からかわれている。フォルマは羞恥に頬を赤らめた。

「連れて行くから放してよ」

「先に手をつないだのはフォルマなのに」

「そうだけど、こんなところを見られたら勘違いされるよ」

「僕は別にいいよ」

 さらりと口にされたことにフォルマはますます赤面した。

「根に持つほど怒ってないとか言ったくせに」

 やっぱり仕返しする程度にはむかついていたんじゃないかと、フォルマはむくれた。

 冒険仲間はもちろん、レオンに目撃されると後でどれだけひやかされるかわからない。

 せめて学院内で堂々といちゃついている恋人同士にだけは間違われないよう、フォルマはあえて早足でブレイを引っ張り、その意図を読んだのかブレイは治療室に着くまでずっとくすくす笑っていた。



 幸いなことに目に傷は入っていなかった。かなりの出血に当番だった水の法専攻生はぎょっとしていたが、『治癒の法』のおかげでけがは跡形もなく消え、フォルマはブレイとともに水の法専攻生にお礼を言って治療室を出た。

「フォルマ、昼食はどうするんだ?」

「私はリリーたちと一緒に食べる約束をしてるから」

「君たちは本当に仲がいいな」

 目立つ人間ばかりの集団なのにとブレイが薄く笑う。

「まあね。オルトとルテウスが頻繁に喧嘩してるけど、何だかんだで――うわっ」

 そのとき視界に入ったものに、フォルマは思わず身をひいた。

 向こうからオルトと剣専攻副代表のグラノが歩いてきたのだが、「よう」と片手を挙げるグラノの頬は、ブレイに劣らず痛々しいまでに裂けていた。

「また派手にやったね」

「ああ、演習のときはたいていこうなるんだ。オルトの奴、全然手加減しないから」

「お前のよけ方が下手なんだよ」

 オルトがあきれ顔で言い返す。

「今日の治療室の当番はちょっと気の毒だね。さっきブレイも血まみれで訪ねたし」

「ブレイも大けがしたのか?」

 グラノがちらりとブレイを見やる。

「弓の弦を直そうとしたら切れて顔に当たったんだ」

「それは災難だったな」

 同情口調のグラノに、「優しくて面倒見のいい副代表が付き添ってくれたから、そう悪くない」とブレイが微笑む。

「へええ」とにんまりしたグラノに視線を向けられ、フォルマはあせった。

「ほら、グラノも早く行ってきなよ」

「いや、いい。俺には専属の水の法専攻生がいるから。あ、来た来た、おーい、セピア!」

 グラノが手を振る。フォルマがふり返ると、セピアがやってきた。

「うわあ……今日もひどいね」

「だろ? お前の幼馴染の仕業だ」

「だから、人のせいにするなって」

 オルトが眉間にしわを寄せてグラノの腕をひじで小突く。

「セピアってグラノの専属なの?」

 フォルマの問いに、グラノを『治癒の法』で癒やしたセピアが目をみはった。

「誰がそんなこと言ったの? 時間割の関係でいつもこの日はこのあたりで出会うから、グラノがけがをしているときに治療してるだけだよ」

「俺に会いたくてここを通ってるんじゃないのか?」

「すっごい見当違いだよ、グラノ。どこにそんな確信できる要素があるのよ」

 突っ込むセピアに、「おかしいなあ」とグラノが鉛色の髪をかきなでる。

「セピアは絶対、俺に気があると思ったんだがな」

「残念でした。私に治療を頼むのはグラノだけじゃないんだから」

 笑うセピアにグラノがうなずく。

「お前、モテるもんな」

「そ、そんなことは……ないけど」

 セピアはオルトを一瞥してから、恥ずかしそうにうつむいた。

「なあ、オルト。やっぱり俺も入れてくれよ。セピアにフォルマにリリーにキルクルス。お前らだけで人気のある女子をこれだけ独占するってずるいぞ」

 指を折って名前をあげるグラノに、オルトはますます渋面した。

「だから、もう誰も参加させられないって何度言えばわかるんだよ。そもそもキルクルスは仲間じゃないし、女でもないだろうが。ていうか、リリーには絶対手を出すなよ」

 オルトの念押しにセピアがかすかにこわばる前で、「噂をすれば」とグラノがあごをしゃくる。

 中央棟二階廊下を、リリーを真ん中にしてキルクルスとソールが歩いていた。もっぱらしゃべっているのはキルクルスのようで、それに応じるリリーの隣でソールは相槌を打っている。何の話題なのか、リリーとソールが同時に笑った。

 その後ろからレオンとルテウスが追いついて合流する。一階のフォルマたちに一番に気づいたのはレオンで、他の四人の視線も向く。

 リリーが笑顔で手を振ってきたが、オルトはむっつりとした顔でただリリーたちを見つめていた。

「ブレイ、昼は食堂か? 一緒に食わないか?」

 このままここにいても邪魔になると判断したのか、グラノがブレイを誘う。「ああ、別にかまわないけど」とブレイも承諾し、二人は去っていった。

「グラノとブレイは行っちゃったの?」

 階段を下りてきたレオンが周囲を見回す。

「気を使ったんだろう。しれっと混ざる誰かと違って、一応それくらいの分別はあるようだ」 

 オルトの睥睨に、キルクルスはにこりとした。

「僕のことは気にしないでいいよ。末席にちょこんと座って静かにしておくから」 

「それが目障りだって言ってんだよ」とオルトが舌打ちしてぼやく。そしてオルトは最後に複雑な表情でソールをちらっと見てから、昼食場所の確保のために歩きだした。

 

 



 

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