第二話・前編 マジュリー・ソヴィエト国境紛争
聖歴2572年 9月30日 ウスターリア東部
その日はよく晴れていた。ゼロワンは、寝泊まりする首都ヴェーナより少し東にある研究所を訪れていた。
「こんにちは、テラーさん」
「あっ……こんちは」
若い学者『テラー』が暗く返事をした。
「アリオンの、テストに来たんですよね。……ホント、よく来てくれるんですね……へへ、あの子も、喜んでたりして」
「あの子だなんて、テラーもあの車に対する思い入れが随分強いようね」
「まあ……あなたみたいな人に……使ってもらう訳ですし」
2人は研究所の敷地内のガレージへと向かった。テラーがスイッチを入れるとシャッターが開き、光が中のマシンを下から徐々に照らしていく。
中にあるのは一台の、スポーツカーのような車——『アリオン』だった。全体的に角張った造形で、全長に対して幅が広く、SFか何かに出てきそうなロマンあるエクステリアだ。車内には着脱可能なサイレンが置いてある。
「すばらしい……これはどのモノを本当に私たちが使えるなんて夢みたい」
「ホント、デザイナーは、いい仕事しましたよね」
「あなたもでしょう?」
「へへ、いや、あの、まあ、そうなんですかね。量産なんて念頭においてませんから、エンジンは水冷、しかも過給機なんてモノをつけちゃってますし。まあ、この国のエンジニアが優秀なんですよ」
「あなたが兵器開発者としての役割を果たしたから、彼らだって力を発揮できたのよ。ちょうどわたしとアグネスのようにね」
「へへへ、そんな……ことないっていうかあるっていうか……」
「それで、また試乗——を兼ねたテストをしたいのだけど」
「あ、はい。じゃあ、こちらへ」
それからしばらくゼロワンは、テストコースでアリオンを思いっきり振り回した。彼女のテクニックは一流で、車を愛する気持ちも本物だった。特殊部隊の一員として“テスト”を行うのが、彼女の楽しみの1つなのだ。
「すごかったわ、十分すぎるくらいのパワーね。ただ、回転数が高くなるといきなりパワーが出るから、ちょっと扱いづらいわね」
「あ、そうですか。一応、別タイプの過給機あるんで、それで良くなるかも。……でもやっぱり、あなたこういうもの好きなんですね。なんかちょっと明るくなってるし」
「そう? まあ車は昔から好きだったわよ。故郷の家の近くに車の工場があって——」
そのとき、ゼロワンの言葉を遮って、持っていた通信機が鳴りだした。
「ゼロワン、こちらサクラです」
「何か緊急事態?」
「西部で労働者たちによる暴動が」
「何ですって?」
「とはいえ、陸相により国防軍の兵士がすぐに招集され、鎮圧が開始されたので、あまり長くは続かないでしょう。特殊部隊のうちフローリアンとカプチーノは万一に備えて向かいましたが、研究所にいる貴方まで出向く必要はありません。あくまでも念のために伝えました」
「そう……早く終わるといいわね——じゃない、いいですね」
「はい……それはそうと、通信するときだけ無理に敬語を使わなくてもいいんですよ?」
「……そのほうが気が引き締まるかと思っていたけど、やっぱり必要ないわね。じゃあ、何かあったら連絡して」
「分かりました」
サクラはそういうと、通信を切った。
「もしかして……共産主義者の騒ぎだったり?」
「その可能は高いわね。最近、小さな騒動をよく起こしてるから」
「……となるとやっぱり、マジュリーのソヴィエト政府が、なんかやってるんでしょうか」
マジュリーとはウスターリア東部の隣国で、1年前に共産党が権力を握り、『マジュリー・ソヴィエト』が成立している。
「断定はできないけど、十分あり得ると——」
ゼロワンの言葉は、またもや通信機の音で遮られた。
「どうしたの、何度も」
サクラは、いつになく焦った様子で応えた。
「ゼロワン、残念ですがまた緊急事態です!」
「また?」
「はい、今度は東部、マジュリー・ソヴィエトとの国境付近です。武装した労働者が国境の警備隊を制圧しようとしています。どうやら、マジュリー側からも何者かが侵入しているようです」
「それで、そっちは鎮圧できそうなの?」
「それが、軍は派遣されたんですが、貴方たちと同等の力を持つものがいるらしく、その1人だけに多くの兵が倒され、このままでは撤退せなばならないそうです」
「そんなに……分かったわ。私が行けばいいのね」
「お願いします。出来るだけ速やかに行ってください。他の3人にも連絡しておきます」
通信を切ると、テラーが話しかけてきた。
「あの、急ぐんですよね。もし、良かったら、隣にある試作型に乗って行きませんか」
「試作? アリオンの?」
「ええ、名前は、スター号といいまして。あの子もスピードはなかなかのものですよ。サイレンも付いてるし」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
「……マジュリーとウスターリアが争うのは、本望じゃないですから、僕にとっても。覚えてないかもしれませんけど、僕もマジュリー人ですから。えーと、つまり、頑張ってください」
ゼロワンはアリオンより少し小ぶりなスター号に乗って、ウスターリアの市街を東へと突っ切っていった。
今回は前後編の2つに分かれます。後編をお楽しみに。