さようなら、この世界よ ~今までありがとう、これからもたまによろしく~
迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのおうちはどこですか?
「異世界にゃ!!!」
そして、コージンとチコは異世界で暮らすようになったのです。
この世に数多と溢れる異世界ファンタジーに慣れ親しんだ皆様なら、この三行で粗方察してくれることでしょう。
え?展開が早過ぎるって?
早く異世界での暮らしをみんなにも知ってもらいたいのだけれど……。
それじゃあ、2人のプロフィールや諸々の設定を知ってもらいたいので、きちんと説明するね。
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202×年1月19日、午後5時過ぎ。
日は伸びてきたけれどまだまだ薄暗く、朝よりはマシだがそれでも震える寒さの中、仕事終わりのちこは自転車で帰宅する途中だった。
「昨日カレーは作っておいたし、ご飯食べてお風呂入ったら、映画見ながらお菓子食べようねー!」
右耳にワイヤレスイヤホンをし、通話をしながら軽やかに自転車を漕ぐちこ。
話し相手は、半年前に結婚した13歳年上の夫、光仁だ。
仕事終わりの通話は、2人の大事な日課である。
例え10分後に家で顔を合わせ、目を見て話すことができるとしても、その10分、いや1分でも無駄にはしない。
可能な限り一緒にいたい、側にいられないのならばせめて電話を繋いで声を聞いていたいのだ。
もちろん、どちらかが家を出てから始業前までも毎日通話をしている。
土日祝のお休みも常に一緒。
そんな夫婦である。
現在、夫の光仁も車で帰宅途中だ。
2人はこの後の予定や、今日あった出来事などを楽しそうに話している。
毎日毎日よくもまあ、話題が尽きないものだ。
そんな感じで5分経過した頃、
ちこの視界に黒い物体が映り込んだ。
急ブレーキをかけるちこ。
キキーーーッと甲高い高音が響き渡る。
「何あれ!?」
『どうした?』
自転車を止めて降りたちこが、黒い物体に近づきしゃがむ。
黒い毛で覆われたものが、力なく横たわっている。
腹部に多少の動きが見えるので、生きてはいるようだ。
「猫……?こーちゃん、黒猫が弱ってる!!!」
『え、どうしよう!?病院に連れて行くか!?』
すると、黒猫は力を振り絞るように立ち上がり、ちこに擦り寄った。
そしてポケットに反応したようだ。
「どうしたの、猫ちゃん?何が気になるの?」
ちこがポケットの中を確認すると、可愛くラッピングされたクッキーが出てきた。
帰り際、お菓子作りが趣味の同僚に貰ったものだ。
「もしかしてお腹が減ってるの?」
˹にゃーん˼
『ちこ、大丈夫か?』
「こーちゃん、黒猫お腹が減っているみたい!ポケットに入ってたクッキーに反応した!」
『猫にクッキーをあげちゃいけません』
黒猫はちこの足元にまた横たわる。
呼吸は浅く、もう自力で動くことは難しいだろう。
大の猫好きの二人が、何もせずにいられる訳がない。
「急いで家集合!至急ペットショップへ向かいます!!!」
『おう!了解!』
そして20分後、車内にて―――
ペットショップに事情を説明し、猫のおおよその年齢と体調に合ったキャットフードとミルクを見繕ってもらい、購入したちこと光仁。
「黒猫ちゃん、食べれる……?」
ちこが、スプーンにキャットフードをのせて、白猫の口元へ運ぶ。
光仁の腕に抱かれた白猫は、匂いを嗅ぐ仕草を見せると、ペロッと一口舐めた。
そして、上体を少し起こし、スプーンに乗った分を食べ切ったのだ。
『「やったー!」』
その後も、ちこがスプーンに盛り、キャットフードとミルクを交互に、ゆっくり食す黒猫。
そしてお腹が満たされて安心したのか、光仁の腕の中でくつろぎ始めた。
『お腹いっぱいになったか~?』
光仁が仏のような笑みを湛えながら黒猫の頭を撫でる。
「チコ嫉妬」
『落ち着きなさい』
今度は、しょうがないなという顔をしながらちこの頭を撫でる光仁。
そして満足げなちこ。
そして耳をピクッとさせ、何かに反応した黒猫。
˹にゃーーー!!にゃ、にゃ、にゃーーー!にゃーーーーー!!!˼
突然黒猫が光仁の腕の中から飛び出し、車の窓をガリガリ掻き始めた。
˹にゃーーーーーーー!!!!!!!˼
外に向かって、鳴き叫ぶ黒猫。
空を見れば、雲が切れて綺麗な三日月が浮かんでいる。
「どうしたの?お外は寒いよ?」
ちこが黒猫を抱えて車を降りる。
美しさに魅了されたのか、黒猫はその青い瞳に三日月を映し、ピクリとも動かない。
しかし次の瞬間、
˹にゃーにゃっ!˼
『「!?!!?」』
短き言葉と共に、黒猫は光となり夜空へ舞い上がっていった。
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――
その晩、二人は不思議な夢を見る。
満天の星がきらめく夜空の中、ふたりは手を繋いで立っていた。目の前には、綺麗なブロンドの髪に白いワンピース風ドレスを纏った、絵に描いたような女神様がいた。
その女神の腕の中には、見覚えのある黒猫が抱かれている。
「猫ちゃん!!!」
ちこがふわふわそーっと女神と黒猫に近づく。
光仁も、ちこの後を追う。
˹この子を助けてくださって、ありがとうございます。˼
女神が二人に頭を下げる。
顔を見合わせる光仁とちこ。
「ここ夢じゃないの?」
『なんだ、ここは』
「こーちゃん」
『ん?』
「大好き♡」
『知ってる』
「こーちゃんと会話ができるということは、夢じゃないな」
˹斬新な確かめ方ですね。˼
苦笑いの女神の腕からするりと抜けて、黒猫がチコの顔の前で浮く。
˹ここは異世界にゃ!˼
『「しゃべった!!!」』
黒猫はくるりと身を翻し、ちこと光仁の周りを踊るようにふわふわ回る。
˹月明かりが無いと、僕は2つの世界間を移動できないのにゃ!それなのに、最近お天気が悪くてなかなか帰れなくて……。お腹が減って死にそうだったのにゃ。助けてくれて、ありがとうにゃ!˼
『あーここんとこずっと天気悪かったもんな』
˹この子は私の使い魔です。助けてくれて、本当にありがとう。お二人の願い……聞かせてくれませんか? どんな願いでも、叶えてあげましょう˼
そう話す女神の瞳には、キョトンとするちこと光仁の姿が映っている。
「なん……でも……?」
正直、全く現状を理解できていない。
現実味も無い。
しかし、口にするだけならタダなのだから……!
「世界最強の力を持ち、何不自由無く、冒険とかしながら、ずーっとこーちゃんと二人で楽しくいたい」
『魔法が使える世界で、仕事とか時間とかお金とかに囚われず、ちこと一緒に幸せに過ごしたい』
二次元大好き夫婦の願いを丸っと詰め込んだ。
˹素敵な願いですね。ならば――異世界で、二人だけの新しい人生を始めましょう˼
ちこと光仁は手を繋ぎ、女神様の次の言葉を待つ。
˹まずは、二人を暮らすのに不便の無い、豊かで安全な世界へ送りましょう。そして、こちらを授けましょう˼
二人の背中にお揃いのボディバッグが現れる。
黒を基調に赤と白が差し色になった、光仁好みのデザインをしている。
『かっこいいな、これ』
˹このバッグは、容量無制限で時間停止機能付きにゃ!ちなみに中身は共通になっているにゃ!このバッグの中で暮らすこともできるにゃ!˼
『バッグの中で暮らせる???』
光仁の眉が八の字になる。
「じゃあ、このバッグに家電家具や車や服諸々、私たちの物を全て入れておいてください!」
ちこは目を輝かせながら手を挙げた。
˹更に、二人に私の加護を授けましょう。˼
『「??????」』
表面上は何も変わっていないが、二人のステータスはHP、MP、魔法全属性全てカンストの世界最強となったのである。
˹これでお二人は、どんな魔法でも使うことができます。“どんな”魔法でもです。魔法を使うのに必要なのは、【想像力】ですよ˼
『「想像力……」』
二人は、お互いの顔をじっと見つめた後に首を傾げた。
˹また、現世での2人に関わる記憶・記録を全て消してよろしいですか?˼
「全く困らないので、お願いします!」
光仁は両親が年を取ってから生まれて子なので、二人ともすでに天寿を全うしている。
ちこは幼い頃に両親が離婚、母親に引き取られたが、再婚相手である義理父と合わず、10代で社会人となってからは両親とは疎遠である。
2人とも兄弟もいない、親戚との付き合いも無し。
仕事はお金を稼ぐ手段でしか無く、職場の人間関係に何の思い入れもない。
交友関係も無い。
この世から、自分の形跡がなくなるのなら好都合であった。
『行方不明等問題にならないように、全て消してください』
˹他に願いはありますか?˼
「新しい世界で、読み書きに困らないようにして欲しいです!」
˹全て日本語で対応できるようにしましょう˼
『こっちの世界のアニメ見放題、マンガ読み放題は絶対』
˹スマートフォンやテレビ等、全ての持ち物を今後も変わらず使えるようにしましょう˼
「携帯とアマプラとネトフリが使えるなら無敵じゃん!」
『こっちの世界の様子もリアルタイムで見れるな、面白い!』
˹こちらの世界に戻りたくなったら、私が与えたものも含めて転移魔法でいつでも戻れますよ˼
「えっ!?常に行き来可能?」
『でも、こっちでの身分証明書がなくなるから、戻ってきてもできることの範囲が狭まるな』
「こっちに戻っても散歩と食事くらいになりそう」
˹それではこちらも授けましょう˼
2人の手元に、名前や生年月日、顔写真等が記載された金色に光るカードが現れた。
˹これは、こちらの世界で言う、免許証やマイナンバーカード、住民票、保険証、パスポートと言ったものに当たるものです。これからお二人をお送りする世界では、ギルドカード、住民カードと言ったものになります˼
『「ギルド」」』
˹これは、両世界共通で使える身分証明書です˼
『「すっご!!!」』
˹それでは、二人に未来永劫幸多からんことを˼
˹お幸せににゃー!˼
女神様と黒猫が遠ざかっていく。
私たちが何十年と生きた世界が遠ざかっていく。
今でも、これはただの面白い夢なのではないかと思う。
でも、もし本当に私たちの願いが叶うなら……。
今は希望に満ち溢れ、心が踊る。
「どこにたどり着くんだろう」
『地獄だったらどうする?』
「こーちゃんとなら、地獄でも毎日楽しいよー♪」
『ばーか』
向日葵みたいにニッコニコなちこと、柔らかく微笑む光仁。
「こーちゃん」
『ちこ』
『「大好きだよ」』
2人は手を取り合い、目を閉じ、揺蕩うように時空の流れに身を委ねるのであった。