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潮目

作者: Benima

浅口におさらばする前に、188cm反射望遠鏡の見学が可能だと知って親に岡山天体物理観測所に連れて行ってもらうのを楽しみにしていた。しかし、いくら待っていても結局、その日が来なかった。最初から何の約束がなかったかのように、家族全員が車に乗ってこの町を去っていった。親を咎めていない。本当にすっかり忘れてしまっただけだと思う。引っ越しの準備で忙しく、こんな些細なことを考えるどころではないだろう。実生活に大した影響を及ぼさないものを平気で跳ね除けるというのが大人の世界の根底なのだ。慌ててせかせかしている毎日。余裕のない生活。そして、余裕を奪い、その忙しい生活の服装を着衣させるのは、他でもない育児なのだ。父が疲れ果てた自分を頻りに隠そうとしているが、常に疲れが顔に出ているし、私と妹がまだ生まれていない頃の写真を見れば、当時、どれだけエネルギーに満ちた人間だったのか容易に想像できる。望遠鏡の見学室は本当に見たかった。何よりも一緒に見に行きたかった。四人でも二人でも。実は一人でもいいが、私の年齢を考えれば一人では到底無理だろう。それに、「今度、一緒に行こうよ」と言ってくれた人を置き去りにして勝手に一人で行くのはあまりにも卑怯な行為なのだ。でも、望遠鏡を見るより引っ越しの方がもっと重要で優先すべきもの、と親が考えたのだろう。私なら、そんなに急いで転居することはなく、望遠鏡との邂逅こそがが大切で、今後の人生に影響を与えるのではないかだと思うが、どうも正解は違うようだ。出発して、30分くらい経つと、母が観測所に行けなかったことを思い出したらしく、私のほうに向き直った。

「薫ちゃん、ごめんね。お母さんとお父さん、本当に悪かったわね、大事な約束を忘れちゃって。困った親よね。許してくれる?、落ち着いてからドライブにでも出かけた時また浅口に行けるのよ」と微笑みを浮かべながら言う。可愛らしく、どこか哀愁が漂っている微笑み。真似しても、私には絶対に再現できない微笑。母は岡山県の出身ではないので、方言で話せない。尤も、私と妹の澪も岡山県生まれ育ちの人ではない。なぜか父の代わりにいつも母が謝ってくれる。何故だろう。恐らく父には謝り方が分からないから、やむを得ず母が父の代弁者になるかもしれない。全く怒っていないので、謝って欲しいいうのもない。困った親か。寧ろ私こそがこの人たちにとって困った子供なのだろう。可愛くない少女を持つ親が可愛そうだから。

「うん」と以外には何も答えられずに、ぼんやりと車窓越しに景色を見ている。来週からの新学期と共にまた通学の日々が始まる。鬱陶しい。転校が嫌いなわけではない。もう慣れている。でも、やはり学校はどうも好きになれない。普段、授業が退屈だし、同年代のクラスメートの遊びの面白さも分からないのだ。行きたい場所には行けない、行きたくない場所に行かせられる。それが子供の世界なのだ。実に退屈でたまらない。でも、大人の世界は面白いとも見えない。

場所や環境を変えれば、自分も変わる云々といった陳腐な格言なら誰しも聞いたことがあるだろう。しかし、内面的な座標が変わらない限り、移住にも何の意味がない、と自分の経験でよく知っている。新しい居住地に着いたからといって、私の人生の方向性が大して変わってくるなどは決してない。外から覗いてみると、新生活が始まったと言えば、始まったのだが、それは錯覚に過ぎない。どこに来てもこの私は相変わらず余計者。疎外感を抱いてはいないものの、事実として誰からも敬遠されている。まるで生まれた時からずっと無声映画の上映を余儀なくされているような人生。同じ映画館で同じ映像が絶え間なく無音のまま流れ続けている。何の趣のない脚本なのに、試写会の観客一同が笑ってばかりいる。その虚ろなユーモアは堅物の私には残酷さの権化にしか見えず、理解の外だ。同じ白黒の映画を鑑賞するのはどこが面白いのか、さっぱり分からない。生きた人間、要するに活動弁士がいてくれさえすれば、いくら見に来ても、飽きることはなかろう。場所が同じであっても、同じだとは感じないはず。しかし、それを必要としているのは私だけで、周りは、映像で閉じ込められた死者の饗応を見る度に、相変わらず感嘆の声を上げる。どこに行っても観客の憧れの的は変わらない。

真庭市に引っ越してから友達と名乗る者は、誰もいない。いや、一匹のザトウムシを除けばいないと言った方が正確だろう。友達の有無を聞かれる親との話にはうんざりしたので、放課後は、すぐに家に帰らず何時間も一人でこの町を散策する習慣を身に付けた。呰部小学校には私がいてもいなくても何も変わらない。そして、ある日、その辺りをぶらぶら歩いていたが、何かを珍しそうに眺めながらわいわいと騒いでる三人のクラスメートの姿が目に留まった。最初は彼らに気が付かないふりをして、早々に引いていくつもりだったが、突然、蝶番が哀れに軋むような不思議な声が耳に入ってきた。「助けて。お願いだから、どうか助けて」と。人間の言葉を使って懇願しているのに、人声ではない。しかも、その声は、湖の底から浮き上がってくるようにも木霊した。確認しなくても、近くには湖などがないはずと思いつつ、なぜか恐る恐る辺りを見回した。湖どころか水溜りすらない。しかし、声の持ち主がまた私に呼びかけたら、自分が具体的に何をしたいのか自覚しないまま、足が自ずと群がっている連中のところに私を連れて行かれた。ここか。この子たちは何をやっているのか知らない。にも関わらず、既に彼らに向かって怒声を浴びせた。この雄叫びは私の声ではない。私の体から発しても私のものではない。どうやって、何が起きたのかは分からないが、声帯までこの身体が人間の能力を凌駕する何か力の器となり、私の意志に関係なくその力の操り人形として勝手に動いていた。口から言葉が出てくるはずなのに、耳が詰まっていてどんなに力んでいても私には何も聞き取れない。外部から完全に塞げられている。子供たちはめそめそ泣きながら撤退していった。真っ青になった三人の少年が何を言い付けられたのかは不明だが、そんなにびびった人間は今まで見たことがない。その泣き声は石に押しつぶされた蛙のお気の毒な悲鳴のように響き渡り、不憫にさえ思った。彼らが追い払われるや否や、自分の体を乗っ取った声も、助けを求めた声が雲散霧消した。みな消えた。さっきの子供たちも見知らぬ声も。私以外には、ここにいたのは一匹のザトウムシだけだ。なるほど、私が現れてきたのは、ちょうどその三人組がこの無防備な虫を遊び道具にするところだったわけだ。幸いに虐めゲームがおじゃんになり、彼らはあぶれて立ち去ってゆくしかなかった。私の出現とともにいつも雰囲気がしらけてしまう。どう考えても、遊びが大好きな子供とはどうしても反りが合わないのだ。と同時に、遊び心によって生み出された醜い無慈悲をあっさり許してあげる大人も気が合う存在ではない。

危ういところを助かったザトウムシを見ると淡々しく、おぼろげだが、懐かしい気持ちがした。親近感も沸いてきた。初対面というのに。翌日、図鑑や虫眼鏡の欠片を持ってきて、オスとメスに関する識別欄を読みながらじっくり新しい知り合いの腹部を眺めていた。どうやらメスのようだった。私と同様に、独りぼっちの女の子。尤も、独りぼっちかどうか確かめる術がない。しかし、言葉が通じないとはいえ、気持ちが通じる。この子の様子を観察した限りでは、何となくそのような予感がした。メクラグモは、天敵である人間との親睦の絆を結ぶことを大いに喜んでいるように、私の方に華奢な脚を一本動き始めた。私も軽く左手を差し伸べた。メクラグモは用心深くその手を見つめていたが、暫くしたらもう一歩近づいてきてくれた。

「お住まいはどこなの?」と私は思わず挨拶した。聞いたところで答えてくれるはずがないと想定していてもついその言葉を口にした。

「鍾乳洞の入り口の近くに住んでいらっしゃるのかしら」と独白に没頭している私が質問責めに諦めない。道端で昆虫と話しかける少女なんぞ何とバカバカしい事であろうか。すると、その子は空中に何かを描き出し、ちゃんと見てごらん、という合図を送った。私の目に映ったのは、爽やかな透明色で書かれた「諏訪洞」という漢字だった。透明色には様々な色彩があり、それが実感できるものという事自体は大発見だったが、それよりそのメクラグモが本当に鍾乳洞を自分の仮住まいにしていることに非常に驚いた。自分の狂った推理が当たったのだ。若しくは単なる幻想だったかもしれないと訝りながら、愛想よく話を進めることにした。

「諏訪洞なの?私、まだ行ったことないわ。たった一ヵ月ほど前に家族がこっちに引っ越ししたんだから、この土地に詳しくないの。一人でもう色んなところまで足を運んだけど」とひたひたと流れる言葉は奇異な音がした。父親譲りの無口という私が意外と喋れる人間だったのか。普段、話し合える相手がいないので、既に自分の声音がどういう風な響きがするのかという心像もなかった。聞いてみたら、喪服を纏ったような、橡色をする声だった。相手のどんぐり眼が私の顔に見入っていた。そして、ほんのりと頷いてまた会いに来てくれるようにお願いした。でも、明日、依然としてここにいるのかと疑問に思って、私は早速一つの提案を出した。

「この間、私の妹ほたる公園に遠足に行ってその感想を母に話したんだけど、鍾乳洞周辺をゆっくり歩いてみたいと母も言うんだから、来週末、ドライブすることになったの。もし、貴女が元のところにお帰りになりたいのであれば、私がお送りするわ」と、何故か自分のくだらないお喋りが恥ずかしくなった。メクラグモが悲しい溜息を漏らしたかのような音を立てて私の提案を受け入れてくれた。その日から、毎日、会いに来ていたが、その子と一緒に時間を過ごせば過ごすほど、自分は果たして人間なのであろうか、とまで疑わしくなった。人間でもない、動物でもない私はどこから来たのか、どこへ行こうとするのか。なぜこんな自己形成不足になったのか。ひたすらそのことを突き止めようとすると、もう致死量に達した狂気に溺れつつあるような感じがした。十歳の女の子にしては、あまりにも大人びた雰囲気が出るせいか、ここの子供たちが私を子供として見なしてくれない。子供を可愛い幼子という目でしか見られない大人にとっても、子供らしからぬ私は扱い難く、どこか不気味な存在のようだ。ちょうど昨日、近所のお婆さんが私と視線が合った瞬間にあたかも呪詛を吐く如く「忌々しい老婆の目のやつじゃ」と呟いた。そのお婆さんはかつて、小学校の担任の先生だったらしいが、手垢を連想させるその嗄れ声を聴くだけで、酷い寒気がする。当時、私がまだこの世にいなくてよかった。老婆で「老婆の目をしている」とやら言われるなんて自家撞着で、ちょいと面白いと、訳の分からない自己満足感も覚えた。それでも、いくら老婆の目をしているとは言っても、体はやはり十歳の子供の体なので、大人ではない。ましてや、老女だとか。しかも、同級生より身長が低く、背中からではいつも六~七歳の子と間違えられてしまう事もしばしば。背骨は曲がっていないが、乳児期に軽度のくる病を患っていたそうだ。八歳の妹でさえ私より少し背が高い気がする。低身長などはどうでも良いことだが、見た目でも異質だと思うと、なぜか悔しくなる。成り損ねた子供でありながら、大人を超えた私。正直、子供と大人とではどこが境目かもよく分からない。その差異があるとしても、紙一重のようなもので、明確ではない。どれも、反射的に行動をし、残虐な戯れを好み、我儘な心の欲求を満たすのを究極の目的にする。ゲームの好みや様式だけが違うかもしれない。そもそも子供が選べるゲームは大人によって制限されているが、大人の方には選択肢が多いように見える。後者は全ての遊びの中では社会人たるものというゲームが特に好きで、反省や責任追及には夢中のようだ。それ以外には何かがあるのだろう。子供の世界にしろ、大人の世界にしろ、それらの集団の仲間入りが出来ない私のごとき生き物にはどちらも大した違いが見出せない。そう考えているうちに、父が部屋に入ったことを感知した。いつもと変わらない、物音のしない例の足取りで。言葉を交わさなくとも向こうが何を言いに来たのか、それは分かり切ったことだ。この人が面白い話をしてくれた覚えはない。まず用事がある時にしか話し掛けない。しかも、その用事というのは、大体、母からの指示であり、自分の意志で私と顔を合わせたいから来るのではない。今日も、そろそろ出発するところだから、早く降りて来いということを知らせるために、わざわざと二階まで上がってきたに相違ない。だったら振り向かずにいてもいいのだ。父親は部屋に入ったと思いきや、実はそうではない。上半身だけを軽く傾け、敷居を跨がずに扉の前にじっと立っていたようだ。入ろうとしたのだが、途中でその動きを止めた。そして、すぐに背中を向けて「もうみんな、待ってるんだ」と言い捨ててから踵を返して降りていった。私も目を側めた姿勢で、まるで後ろにはまだ誰かがいるかのようにちょっとの間、その遠ざかっていく足音に耳を澄ませながら佇んでいた。降りてきて外に出てみると、口数が少ない父親の言った通りに、母と妹はもう車に乗っていた。乗客には一匹のザトウムシも加わったのだが、それは言うまでもなく私の秘密だった。車は走り出した。

また諏訪洞への遠足の感想を述べている妹の澪をひそかに横目で見た。頬がふっくらとしており、全体的に肉付きの良い子供。無邪気で、素直だが、既に女らしさを誇示して、そういった振る舞いの秘訣を心得ている。今日も、洞窟を見に行くというのに、舞踏会にでも参加するように、お気に入りの枇杷色の晴れ着を着ている。母は少し諭そうとはしない。私のしかめた顔を見ても「まぁ、その恰好でいいんじゃない?ハイキングだったら、服の着替えが必要だったと思うけどね」とのんきなことばかり言っている。澪は顔立ちや仕草も母に似ているので、親子だと誰にも分るはずだ。笑い方からして瓜二つ。この二人に「山陽のお二方」というあだ名を付けた。無論、内緒で。陽気な彼女たちにお似合いだから。誰からも好かれるお母さんに可愛い娘さんが生まれるというのは、ごく自然で、それ以外のことを誰も期待していないと言っても過言ではない。しかし、時々、例外的に私のようなぎすぎすしたやつもこの世にやってくる。私は生みの子ではなく、ひょっとしたら養子ではないかと、真剣に検討したひと時もあった。この家族にとって私が異分子のような存在であり、また逆も然り。彼らにある種の愛着を持っていてもこれが私の本当の家だと感じた事がない。彼らは優しい。どこの家族より優しいかもしれない。素っ気なく、無口な父親でさえそれなりに優しくしてくれる。彼らに出来る範囲で私を受け入れてくれていることにも感謝し切れない。へとへとに疲れた流離人に無償で部屋を宛がって、世話をしてくれる真心に感動するときと同じようにこの家族の親切さや温もりを忘れられまい。されど、それだけで彼らの元が私の真の家と言えるのに不十分なのではないか。彼らとはそんなに強い絆で結ばれているのだろうか。生きているうちに優しさや血縁は大事だが、人間の体を頂く直前、またそれを返す直後は、優しさなどは最強の束縛に過ぎず、帰るべき生まれの岩屋の在処を晦ましている小細工だけかもしれない。本当は私も山陽のお二方と同じ人生を送っていればばよかった、いや、人間である以上その人生を送るべきとさえ思っているが、「暗い日陰で育てるアオキのように日差しの眩しさに耐えられないのだ」母が澪と何とか話をしている。先日、虫明焼の中古茶碗を購入したきっかけでその製法についても生き生きと語っているが、澪はろくに聞かず虫明牡蠣を食べたいから専門店に連れていってもらいたいとせびり始める。煩くはないが、力づくで自分の言いなりにしようとする姿は見っともない。芝居じみていて気色が悪い。枇杷色の美しいドレスも薄汚い橙色に変色し、使い古した風呂敷のきれっぱしにしか見えなくなったが、気のせいかな。とにかく可愛い子供の影もない。しかし、甘えんぼの次女から目を離せない母の顔には寧ろ「何て可愛い子なんでしょ」と書いてある。そこが私にはどうしても理解しがたいところなのだ。なぜ子供資格のあるものは、あのような態度を取らなければならないのか。あのような態度はどこが可愛いのか。可愛い子供でなければ、子供として認めてもらえないのか。少しも異常なことがないのに、この二人のやり取りを観察している最中に、なぜか泣け叫びたくなるくらいに切ない気持ちがした。車窓に寄りかかって無表情のままでぽろぽろ涙を流している自分にはこの三人の中で誰も気が付かなかった。その方が都合が良い。しかし、ポーチの中に入れておいた小柄な友達には私の動揺が見て取れた。膝の上に載せているカバンの中で何か動いていると感じたのだから。そして、驚いたことには、あの日に聞こえた声、あの湖の声が催眠を掛けるような調子でカバンの奥から囁いてきた。「大丈夫、もうすぐ辿り着くから。心配は要らない。諏訪洞の見学をやめにして、その代わりに日咩坂鐘乳穴神社に行きたいと伝えておけば、必ず新見市まで連れていってもらえる」という命令を受けたが、これを言ったのは紛れもなく友人のザトウムシなのだ、と今回ははっきりしていた。そして、あの日も直接、私に呼び掛けたのはこのザトウムシ。前回もそうだったが、澄んだ湖の止水のような話し声だった。虫なのにどれの人間よりも遥かに美声で、その心地の良いリズムの響きに心酔している自分に気が付くと、恐ろしさのあまりに鳥肌が立った。あの時助けてあげなかったら、この子は確実に命を落としたのだろう。と言っても、私自身が助けたわけではない。この体を通して、何かがあの三人の虐めっこの予定を狂わせただけなのだ。それにしても、あの日、私のではないのに私の口から出た、もう片方の声の持ち主は誰なのか、全く見当がつかない。聞き覚えのあるようで、思い当たる節がないような玲瓏たる声。そして、これもやはり不純物混入のない湖水の匂いがした。大抵の人には馴染みのない香りのはずだが、この香りを嗅いだ途端に、ずっと昔から続いていた昵懇の仲が想起された。尤も、旧友とおもしきものを一人思い出せない。なぜ日咩坂鐘乳穴神社まで行かないといけないのかも謎だ。別に行こうとは思わなかったし、理由なしで親にそんなことを頼むなんて、私には出来ないのだ。その考えに至った瞬間に、カバンの中からのザトウムシの声がまた言葉を挟んだ。

「行きたいとお願いするだけだから、そうしなさい。理由などは気にすることはない。あの声の持ち主に会いたいなら、日咩坂鐘乳穴まで行くしかない。会いたくないなら、行かなくてもいいけど、湖を見なければ気が済まないでしょ?」とちょっとむっつりとしていて一本調子で説明してくれた。湖か。確か洞窟の中に地底湖があるらしい。遥拝ならいいが、ご神体とされる洞窟の中に入ると思うと冷や汗をかいて物怖じする。諏訪洞の方がよほど楽しそうだと、自分に言い聞かしてみたら、あの得たいの知らない力がまた私に乗り移った。そして声を占領して助手席に座っている母に話しかけた。母の表情からすればかなり困惑させるようなことを言われたに違いない。父親が振り返って、恐怖に満ちた眼差しで私を睨んでいる。澪も身動きもせずに一所懸命に目の前の空間を凝視している。彼らは心の底から怖がっている。この声の申し付ける事を。いや、黄泉の国から吹鳴したかのようなこの声自体を。母が必死の努力で例の微笑を楯にして小声で言い出す「でも、観光用の洞窟じゃないらしいし、この格好では無理なのよ」と。実のところ、私は母と同意見だ。澪は「嫌だよ、吸い込み穴なんか、嫌だよ」とすすり泣いている。吸い込み穴と呼ばれるか。この異名が初耳で、あまり気持ちの良い響きではない。しかし、いくら反論しても、どんなにだだを捏ねても、この声のとてつもない力には誰一人として敵うものはいない。手向かったところでは勝利を得るはずがない。それで、本来の予定が台無しになり、どこにも止まらず、真っ直ぐ日咩坂鐘乳穴の方へ経路を変えざるを得なくなったのだ。私が口を開けて目に見えぬものの意志を伝えたとは言え、この声の目論見はどういうものかなどを知っているるわけではない。入洞したら家族はどうなるか、私自身はどうすべきか、先のことについては何一つ分からない。あの日と同様にいやでも応でもこの声の媒体になっただけで、今後の成り行きは予想だに出来ない。ただし、他の者と違ってこの声に対して何の恐れを抱いていない。かえって果てのない信頼感を覚えていると断言できるのだ。人質になっている私こそこの声を恐れるべきかもしれないが。神社が見えるところまで着くと、声が再び主導権を取り、どうやら車を止めることを命じたようだ。そして、私だけが降りて、神社を目当てに千鳥足でゆっくり歩み始めた。なんだか本当に疲れた。人間と一緒にいるのに疲れたか、この声との付き合いに疲れたかは区別できないが、処刑台に送った犯罪者がじたばたするように、私も前に進むのに抵抗していた。一歩ごとにその妙な疲労感が喉に突き上げてくる。家族は車に残っていて、私が遠ざかってゆくのを見ている。「吸い込み穴か」と身震いしながら別れの挨拶を告げたように父の唇が微かに動いた。最後の流し目で彼らの様子を確認した。そして、その時、吸い込み穴というのは、ひとでなしの処分の隠語だったかもしれない、と思い付いた。

道順が知らないので、全面的に同伴してくれるザトウムシに頼りっきりになり、どこに漕ぎ着けるのか、いつこの旅を終焉を迎えるのか、そんなことはどうでもよくなった。メクラグモと呼ばれるが、実際には私こそがメクラだったかもしれない。吸い込み穴に一旦潜り込んだらもう来られまいと覚悟した方がよかろう。やるせない。やるさなくて仕方ない。もう洞窟にいる事には全く気が付かなかった。どうせあの声が私の体を動かしているのだから、目を瞑ったままで歩いても差支えないだろう。ザトウムシも案内してくれるので、心配事は一つもない。もう抵抗する力は残っていない。それでも、ずっと暗がりの中にいた陰気な私はこのような情けない形で消えると思うと、陰々滅々たる気分になる。

「消えるの?そんなことないでしょ。あたしたち、今、家路につく途中なのさ」と左肩に乗っているザトウムシの笑い声が私を慰めながらも、どこか冷やかしているように感じた。ちょっと酷いのではないかと思った。彼らは何もかも知っているくせに何も教えてくれない。しかし、もう後戻りできない。その上に彼らのほか、私には誰もいない。急に足が止まった。さらに、あの声やザトウムシの気配も消えた。こんな変なところに連れていかれた挙句に見捨てられてしまうなんて。目を閉じたままで私の身の安全を委ねたのに、こんな風に裏切られるとは思ってもみなかった。悔しくて悔しくて、生命のあるものは皆、憎いとしか思えない。迷子をからかっているこの世界が憎いのだ。憎しみのあまりに憤慨しそうになった。地団駄を踏もうとした矢先に、水音が聞こえてきた。そして、勇気を絞って目を開けると、眼前に凛々しい静謐の音しか立てない湖が広がっていた。洞窟の中だとは信じられないほど広漠たる地底湖。外部からの光が差し込んでいない。が、地下水から月光でも流れているかのように美しく照らされていた。誰にも知られていないこんな場所に居合わせた私は人生では初めて故郷する時の静かな喜びを味わった。水面に投影している自分を見てみると、白無垢の装束を身に包んだ女の垂れ目に合った。万華鏡をくるくる回す度に映像が変わるのと同じように、この女は見る側の視点によって容姿が全く異なる。ある時、蒼白な老婆のような顔を見せたり、またある時、瑞々しい乙女のようにも見える。年齢の付かない、真っ白の女。これが私の素顔なのだ。あの声の持ち主に会えないと気が済まないのでは?と言われて挑発に乗ったが、一度だけ会ったらもはや人間の世界に帰られなくなるという事も、やはり私は最初から知っていたのだ。



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