星空観察
あなたには日課がありますか。
きっかけはなんですか。
大事な人のために、何かを続けられますか。
天体望遠鏡を担いで、階段を上る。
毎晩毎晩、凝りもせずに僕は病院の屋上に足しげく通った。
屋上の扉を開ける、少しぬるい風が僕の頬を撫でた。
さっきまで雨が降っていたせいか、屋上の夜風にはまだかすかに雨のにおいが残っている。
手すりギリギリ、一番空に近い場所に望遠鏡をセットする。
僕のこんな生活が始まったのは、彼女のある一言からだった。
「人は死んだら星になるっていうけど、私たちが窓から見える星なんて数個だよね。星になっても見てもらえないなんて酷い話だと思わない?」
彼女は病室の真っ白いベッドに座り、誰が見ても寂しそうな夜空を見上げながら呟く。
月明かりに照らされた彼女の横顔は、笑顔の中にも隠し切れない悲しみが垣間見えた。
僕が剥いていたリンゴは、少し熟れすぎて柔らかくなってしまっている。
どう反応すればいい、黙ってちゃダメだ。
彼女の吐いた言葉も、美しすぎる横顔にも、言葉が出ずにいた。
「なに、なんで黙ってるのよ。リンゴ温かくなっちゃうから早く剥いてよー!」
かわいらしいいつもの笑顔で僕をこ突く。
言えないよ、「消えていかないで。」なんて。
考えて考えて、僕は決心とともに彼女に告げた。
「僕がたくさんの星を見つけるから大丈夫だよ。」
夏の、切なさとともに夕立前の風が肺に入り込んでくる5時頃。
君はあっさりとあちらへ行ってしまった。
彼女はステージ4の末期がんだった。
なんだかまだ、君がそばにいるんじゃないかと錯覚しそうなくらい悲壮感がない。
違う、受け止め切れていないだけだ。
彼女はこのまま、時がたてばみんなに忘れ去られてしまうのだろうか。
この世は、割と人が一人いなくなったくらいじゃ何も変わらない。
僕も、彼女がいない生活を日常と感じてしまう日が来るのだろう。
けど、今の僕にはそれはできない。
ぼーっと考え事をしていると、空がうっすらと暗くなっていた。
僕はいつも通り家に帰り、天体望遠鏡を持って靴を履きなおす。
天気も景色も、何ら変わらない病院への道なのに。
僕の目からは大粒の涙が途切れることなく落ちていった。
気づくと、空気の冷たさで肺が痛む。もう冬だ。
望遠鏡を持つてはかじかんでいた。手袋を忘れてきてしまった。
白く舞う吐いた息で手を温めながら、望遠鏡をセットする。
寒くなると、夜空に散らばる星がよく見える。
あの日以来、一日も欠かすことなく、夜空を見続けた。
深く深呼吸をして、僕は夜空に手を伸ばす。
「地球から見える星は、数個なんかじゃないよ。」