筒抜けの告白
3年生の赤見宇佐子がクラスメイトの男子に告白するという話は、1時間目の休み時間に全学年に広がり、昼休みになる頃には、三ツ国坂高校全校生徒周知の事実になっていた。
なぜ、こんな噂が学校中に広まったのか、はっきりとした理由を知る者は誰もいなかった。ただ、校内で彼女とすれ違った生徒の中には、彼女の後ろ姿をじっと眺めたり、隣を歩いていた友人と彼女の噂話をする者が何人もいた。
赤見宇佐子は目立たない性格の生徒だったが、背が高く、クシを通せば折れてしまいそうなほど癖の強い髪を肩が隠れるまで伸ばしており、校内を歩く時には、なぜか両手に分厚い本を抱えていることが多かった。このような特徴的な容姿をしていたので、彼女の名前を知らない生徒も、一度は校内でその姿を見かけたことがあった。赤見宇佐子という生徒は、その外見の特異さから全校生徒に認知され、その外見の陰気さから、生徒たちのどんな会話にも取り上げられなかったのである。
そんな彼女の恋愛の噂が広がり、初めて赤見宇佐子が生徒たちの会話に登場するようになると、誰もが皆同じような反応を示した。「あの変わった見た目の先輩のことを知っているのは、自分だけじゃなかったんだ」という感想を抱いたのである。今までに彼女の話題が出て来なかったのだから、そう思ったのも仕方がない。そして、すぐにあれこれと噂は憶測や妄想を乗せて広まって行った。下級生の生徒の中には、教室にいる周りの生徒にもはっきりと聞こえるくらい大きな声で、彼女の噂を口にする者もいた。彼女の外見と告白という行為のギャップ、そこから来る驚きが、噂を次々と広めて行く要因となった。
しかし、この件について彼女に直接尋ねた者は一人も現れなかったし、告白しようとする彼女をからかう者も、励ます者もいなかった。それは赤見宇佐子のクラスメイトについても、事情は同じだった。この事実は、彼女がどれだけクラスから浮いていたのかを示す。夏休み明けまで所属していた合唱部では、それなりに交友関係が広かった彼女も、クラスには特に親しく関わる生徒がいなかった。その合唱部でさえ、彼女は嫌われたりはしていなかったものの、変わり者として受け入れられていた。これは、彼女自身も気付いていなかったのだが、教室でも部室でも、話し合いの場で彼女の提案が複数の生徒に支持されたことは、今まで一度もなかった。
自分の噂がこれほどまでに広がっていることを、彼女自身が知っていたのかどうか、はっきりとしたことは分からない。少なくとも、彼女は知られているのを気にする様子は見せなかったし、そのことについて、彼女に直接確認した生徒もいなかった。
噂自体に疑問を持つ生徒もたくさんいた。興味を示さない生徒はそれ以上に多かった。特に1、2年生の中で、彼女と面識がある生徒は合唱部の部員に限られていたため、この傾向は顕著だった。よって、赤見宇佐子が告白するという噂は、彼女の同学年である3年生と、それ以外の1、2年生とでは全く異なる受け取られ方をした。下級生たちにとって、この噂は他人の恋愛に興味を持つ生徒たちの間で広まった。一方、同級生たちにとっては、驚きが驚きを生む形で広まって行った。消極的な彼女の性格とどんよりとした外見、それらと相手を呼び出して告白するという行動のギャップが、どうしてもすぐには埋まらなかったからだ。
以上のような事情があったものの、この噂によって学校全体が盛り上がるようなことにはならず、教員たちや外部の人間からすれば、その日も普段通りに1日は過ぎ去って行った。ほとんどの生徒にとって、赤見宇佐子は縁のない人間だった。けれど、彼女にとって、告白は本当に勇気を必要とする行為だった。
ところで、赤見宇佐子の告白の相手は誰なんだろうか?
これが誰にも分からなかった。彼女の外見はあまり華やかではないが、比較的高い身長と癖の強い長い髪のため、遠くから見ても一見して彼女と分かる容姿をしていた。前髪は重たく、声は低い。内向的な性格で、クラスに友人は1人もいないが、部内での交友関係はある程度広かった。
このような彼女の外見と性格を根拠として、相手の男子が誰なのか、様々な憶測が行われた。しかし、その憶測も具体的な人物を絞るところまで行かずに、すぐに下火になった。一応、数名の名前が上がったのだが、クラスメイトでないという理由で候補から外れたり、先生と恋愛するなんて有りえない、第一、噂になっている時間と場所に向かうのは、その先生には不可能だ、なぜなら彼は陸上部の顧問をしているから…などの理由で却下されたのだ。しかし、彼らがリストから除外された本当の理由は、「噂している女子生徒の好みに、それらの人たちが合わなかったから」だったのだが、それは噂されていた元候補者はおろか、噂している女子生徒たちにも気付かれることはなかった。
もしも、赤見宇佐子が多くの生徒から注目されるような存在だったら、告白の相手探しがもっと熱心に行なわれたかもしれない。しかし、彼女はそういう存在にはほど遠かった。
では、赤見宇佐子が告白する時間と場所についてはどうだろうか。それについては大方の意見が一致していた。今日の夕方、校舎の北側に広がる住宅街の中に作られた小さな公園(砂場とすべり台とシーソーとベンチしかない)、彼女はそこに男子生徒を呼び出したと言う。しかし、その運命の瞬間を目撃しようと現場に押し寄せた者はいなかった。それは、空気を読んだからと言うよりも、恋愛の噂話が好きなだけで、事実として起こる恋愛には興味がない生徒が多かったから、と言うべきだろう。
その後、彼女の思いが受け入れられたかどうかについては、誰も知らなかった。と言うか、翌日になると誰もがこの話を忘れていた。授業中に「そう言えば、あれどうなったんだろう?」と、集中力を切らし、うとうとし始めた生徒が思い出したことはあったが、その話題を口にし、結果を知ろうとする生徒は一人もいなかった。不思議なことではない。前日、憶測や妄想をたくましくさせた生徒たちは、それに1日で飽きてしまったのである。また、変えることが出来ない過去の出来事よりも、これからどうなるか分からない未来の出来事に興味を持つのは、決しておかしなことではない。昨日は昨日のニュースに、今日は今日のニュースに、皆飛びついたのだ。
その日、クラスメイトの1人が、放課後の教室で自分の席に座り、小さなメモ用紙のようなものを両手で包むように持ち、じっと眺めていた彼女を確認している。そこに何が書かれていたのか、その生徒には分からなかったのだが、普段はどこかぼんやりとした雰囲気をしていた赤見宇佐子が、その時だけは、珍しく真剣な表情をしていたので、いつも以上に話しかけづらかったという。
学生鞄を片手に教室から出て、おそらくは告白の場所へと向かう彼女の姿をたくさんの生徒が見ていた。彼女の様子は、普段と変わらなかったようだが、部活で交流があった生徒が、廊下ですれ違った時に挨拶すると、返事をした時の笑顔が少し強張っていたそうだ。
校門を抜けてから彼女を見かけた生徒は1人も見付けられなかった。告白の相手が先に公園で待っていたのか、それとも彼女が先に着いて待っていたのか、もしくは公園に向う途中で鉢合わせしてしまい、その場所まで2人並んで歩いて行ったのか、それについても、はっきりしたことは分からない。もしも、彼女に親しい友人が1人でもいれば、もっと色々なことが分かっただろう。けれど、そういう人物はいなかった。
最後に、私が見た出来事について書いて終わりにする。見た、と言っても暗闇の中でのことなので、大事なところは分からないのだが。
赤見宇佐子が告白したその日、日が完全に沈み切った頃、私は自転車を漕いで自宅に向かっていた。その時、車道を挟んだ向こう側の歩道に三国坂高校の制服を着た男女の姿を見付けた。2人はしばらくの間そこで話をしていたようで、私が通り過ぎる時、ちょうどお互いに背を向けて反対方向に歩いて行くところだった。辺りが暗く、自転車に乗っていたということもあって、2人の顔までは確認できなかったのだが、あれは赤見宇佐子と彼女の告白の相手だったのだと思う。きっと、公園からそこまで2人で並んで歩いて来たのだ。恥ずかしそうに笑顔を浮かべながら。
次の日、赤見宇佐子は普段と同じように登校し、普段通り授業を受けていたという。もしも、彼女に親友が1人でもいれば、彼女の微妙な変化にもきっと気付けただろうし、祝福の言葉も遅れただろう。しかし、そういうことにはならなかった。本当のところは、彼女と彼女の告白の相手にしか分からない。だけれども、告白をする時、彼女の足は震えていただろうし、相手の男子生徒も返事をするのに勇気が必要だっただろう。そして、2人は交際を始めたに違いない。これは私の推測や妄想でしかないので、忘れてくれて構わない。