第五話 ローグライクと黒竜
十日が経過した。
ダンジョン攻略後は“ローグライク”に連れられて別のダンジョンに《テレポート》し、一度も外へ出ることなく第四十九階層まで探索し終えた。
最初の日、ペイルティシア嬢は「まぁこの程度余裕ですわ」と守られながら歩いていたが、日が経つにつれて疲労し、髪や肌の手入れ、特にトイレに関して長々と文句を吐き出していた。
だが、今やその面影もなく、無言のまま歩き続けている。
彼女は足の裏に出来たタコを隠して堂々と歩き、筋肉痛で顔が歪まないように表情を整え、ふらついた時には「ダンスの練習です!」などと言って無理にでも弱みを隠した。
安全地帯に着けば、「テントを張りなさい! この愚図!」と、強気の言葉で準備させ、聞いてもいないのに「私は貴族なのですから一番最初に休むのが当然です」と自己保身に走る。
「この諦めの悪さ、素晴らしいとは思わないか」
『……素人がこの探索速度に付いてこられた事実には、同意しよう』
「……はっ。ちょっと、夕食はまだなのかしら?」
コクッと一瞬だけ船を漕いだペイルティシアが食事の催促をする。
“針鼠の肉屋”は焚き火で炙った*美味しい肉*を串に刺して手渡す。
「んっ、まぁ中々、ふむ、冒険者にしては、はむ、良いものを出すわね」
彼女は肉を小さく齧り、上品に食事する。
泥に塗れても貴族、腐っても鯛だ。
対する二人の冒険者だが、“針鼠の肉屋”は様々な穀物と小麦を混ぜて圧縮して油で揚げたものに砂糖をまぶした固形物を食している。“ローグライク”は、口元が見えず、何を食べているのか不明だ。
食事が終われば、彼女は寝物語をねだる子供のように――演技であることはバレている――二人について聞きたがっていたのだが、今日は違うことを述べた。
「それで、街には行くのかしら? 私持病の“街に行って五日以上療養した後旅芸人の話を聞いて名物を味わった後のんびりと三ヶ月別荘で過ごさないと死ぬ”病が発症しそうですの」
ダンジョン探索の途中、“針鼠の肉屋”は頻繁に脇道に入っていた。
聞けば魔物が出たらしく、ペイルティシアを守るために遠くで倒したとか。自分の命がそれなりに“重い”ものだと理解した彼女は、自分自身の命を交渉材料に彼を脅す事にした。
死ぬ気は毛頭ないが、この程度の二枚舌はお手の物だ。難癖をつけるのも忘れない。
「……死なれるのは困る」
「そう、私もですわ。いい加減野蛮人のような生活を続けるようでは、名誉の自死を選ぶ必要がありますもの」
「お前は俺のものだ。生きろ」
「まぁ、怪物に身を投げて、あまつさえ八つ裂きにされてしまったらどうしましょう?」
「魂を捕まえて劣化を防止した後、肉体を再構成する」
「そうですよね、困りますよね? 分かったのなら私を早く街に――――え?」
「肉体の死は生命の一つの状態でしかない。精神の教育は受けていないようだな。《蘇生》程度ならできるが」
要求を通すための策は、並大抵の相手なら成功しただろう。
ちょっと死ぬ程度なら問題無い、という相手でなければ。
「……………………」
「そして、予定の変更は無い。“ローグライク”の探索の都合による」
『私はお前のように筋力があるわけではないのでな、ザックか地図が埋まれば帰還する』
「そうか。魔法のポーチは重量を9割も減らすが、埋まるのか」
見るに見かねた“ローグライク”が、この程度の釣果はいいだろうと救いの手を差し伸べる。
『必要なものは必要なだけあれば良い。《座標》を残し、探索を切り上げて帰還するとしよう』
「まぁ! どこの都市へ行くのかしら?」
帰還する、という”ローグライク”の言葉にペイルティシアが食いついた。
『帝都だ』
「て、帝都? あの帝都パルスなの?」
『そうだ』
「ひょっとしてそれは冗談で言っているの?」
『くどい。帝都だ』
「他国の貴族をその首都に送り込む愚行がありますか!」
『であれば、勝手にどこへでも行くがいい』
「”紫白”の冒険者! あなたはいつまでこの魔術師に付き合うつもりなの?」
「このダンジョンの攻略までだ」
『あと何層降りるか分からんぞ。体力の持つ内に寝ることを推奨する』
「……ふわぁあ。淑女を夜遅くまで話に誘うなんて無礼、次は許しませんわ」
ペイルティシアはわざとらしく小さな欠伸をしてから、テントに潜り込んだ。
頭に血が上っていたが、今の彼女は生き汚い。
それにしてももう少しうまくやる方法があるだろうが。
「後1層で最下層だが、言わないのか?」
『……お前が種明かしをするとばかり思っていたが』
「依頼人が言わない事だ、黙るのが賢明だろう」
『ふむ……最下層には《エクスカリバー》というアーティファクトがある、と言われている』
「……そうなのか。それを取りに行くつもりか?」
『違う。《エクスカリバー》を引き抜けば、滅びが放たれるという伝説がある。何もなければそれで良し、滅びがあれば滅ぼす。そういう冒険だ』
クックック、と”ローグライク”は噛み殺したような笑いを漏らした。
次の日。
『この部屋で最後だ』
最下層の大きな扉の前で”ローグライク”が杖で地面をカツンと叩いた。
「俺の感知では、竜がこの先に居る」
『だろうな』
「ど、ドラゴン!?」
「足手まといはどうする」
「ちょっと!」
『我が背に』
「聞いているの!?」
「では俺がひと当たりしよう。彼女に目隠しと遮音をしてくれると助かる」
「私を無視するなど――」
『《盲目》《静寂》《耳栓》』
「――――? ――――!!」
「助かる」
“針鼠の肉屋”が軽く頭を下げ、鎧の背部だけを外す。すると、肉体が変容を始めた。
『凄まじいな』
「扉を開けたら接近する。巻き込むなよ」
『ふむ。では、生き残るとしよう』
***
状態異常の魔法が解除され、黒い竜の死骸を見て、ペイルティシアは理解した。
「……先程の無礼は許しましょう。我が身を守る働き、大儀であったわ」
黒竜の首を刎ね飛ばした“針鼠の肉屋”は何時も通りの格好で、竜の血を空き瓶に詰めていた。
「……あなた、何をやってますの?」
「血の採取だ。そのまま飲めば炎、冷気、雷、暗黒、混沌への耐性を一時的に得ることができ、加工しても良い品ができる」
「……ドラゴン、これ、持ち帰れません?」
ペイルティシアの目が金に眩んだ。
ドラゴンはそれ一頭が宝の山である。
血、爪、瞳、鱗、脳みそ、皮膚、肉、ありとあらゆる物が素材であり、希少な効果を持ち、莫大な金を産む。
(竜に関する言い伝えはいくつかありますが……これの一部を領地に持ち帰れたのなら、多少の損失は取り戻せますわ!)
尤も、帰る領地があればの話だが。
「全ては不可能だ。頭だけなら、努力しよう」
「まぁ、私に下さるのね? 嬉しいわ」
「いや、そんなことは一言も言ってないが」
「……」
彼女はギロリと“針鼠の肉屋”を睨みつける。
日常であれば、大抵の貴族も平民もこれでイチコロなのだが、相手が悪い。頭のおかしな冒険者相手に何を今さら強請ろうというのか。
恨めしい視線を受け流しながら血を採取し終えた彼は、部屋の奥にある台座の前に立つ“ローグライク”の元へ行く。
彼は台座に刺さった古めかしい一本の剣を観察していた。
『これが《エクスカリバー》だ。私では抜けなかった』
「《*鑑定*の巻物》。……付加効果はいいが、イマイチなアーティファクトだ」
*鑑定*の巻物に《エクスカリバー》の性能が記される。
“台座に刺さった一振りの剣である。剣を振りかざし、軍勢を召喚できる。それは元素では傷付かない。それは筋力・耐久力・器用度・知能に影響を及ぼす。それは元素への耐性を授ける。それは暗黒への耐性を授ける。それは破邪への耐性を授ける。それは劣化への耐性を授ける。それは時空への耐性を授ける。”
『これは使い所に悩む、といったところだろう。俺は使わぬが、買い取るか?』
「いずれ役立つだろう。アーティファクトと交換したい」
『良い。見せてみろ』
“針鼠の肉屋”が魔法のポーチからいくつもの杖を取り出すと、“ローグライク”に性能を片っ端から説明していった。
彼が取り出したものは素材がアメジスト、または黄金、ダイヤモンド、龍鱗、世にも珍しい世界樹の枝、と多種多様な物からできており、並々ならぬ力が込められていた。
ペイルティシアは金目のアーティファクトに目を奪われながらも、《エクスカリバー》の方へ歩みを進めていた。
「台座に何か彫ってあるわね……古代王国語みたい。『選ばれし……の……手に…………、世界…………』文字が掠れていて読めないわね、他には『聖な…………ぜし……剣、ここに……する』ね。銘は《エクスカリバー》、聖剣かしら?」
台座の文字を訳し終えると、二人の交渉が終わった。
『では成立だ。あれは譲ろう』
「祝福された『螺旋模様の』世界樹の長杖《ラッキースターセブン》だ、恐らくこれ以上のものは無いだろう」
『確かに、祝福された『螺旋模様の』世界樹の長杖《ラッキースターセブン》を受け取った。《エクスカリバー》は好きにすると良い』
“針鼠の肉屋”が《エクスカリバー》の柄に手をかけて引き抜こうとするが、どれだけ力を込めてもびくともしない。
「ぐっ……抜けん。筋力が足りぬのか」
彼は素早く手甲や装備を変えて*筋肉増強*を発動、再挑戦する。
メリメリと石畳が割れて足がめり込んでいくが、《エクスカリバー》は抜けない。
「筋力ではないな。《*解呪*の巻物》……これも駄目か」
《*解呪*の巻物》は失敗と共に燃えた。“針鼠の肉屋”は燃えカスを踏みつけると、”ローグライク”を睨んだ。
『《*鑑定*》。……これはどうやら、“台座に刺さった”剣だ』
「台座ごと運ぶしかない」
「だ、台座ごと!?」
『呪いやマイナス効果は無い。重いだけだ』
「ふむ……無用の長物だ。先程の取り引きは中止だ」
『自己紹介はしたはずだ。“ローグライク”と』
“ローグライク”は祝福された『螺旋模様の』世界樹の長杖《ラッキースターセブン》を手放そうとしない。
「……全力なら、やれるぞ」
空気を揺らす小さな波紋のような殺意がビリビリと肌を刺す。
『高い授業料だと思え。ハック&スラッシュ、そうとも言った』
「……浅慮を認めよう。持っていけ」
『フハハハハ!』
高らかに笑う“ローグライク”を見て、ペイルティシアが悪魔のように囁いた。
「“紫白”の冒険者、殺ってしまいなさいな」
「ペイルティシア嬢が真っ先に死ぬ。貴女よりも大切なものはない」
「……それなら、待遇の改善を要求するわ!」
「拒否する」
「ケチで臆病な冒険者ね。男であれば女に良いところの一つでも見せなさいな」
“針鼠の肉屋”の体が僅かに揺れた。
「……《ゴーレム生成の巻物》《ゴーレム生成の巻物》《ゴーレム生成の巻物》《ゴーレム生成の巻物》《ゴーレム生成の巻物》」
彼は魔法の巻物を立て続けに発動して石のゴーレムを呼び出す。指で竜の死体を指せば、三メートル程の大きなゴーレム達は首のない黒竜を持ち上げ、ペイルティシアの前に運んできた。
「まぁ! 殊勝な心がけね」
「これは帝都の市場に流すものだ」
「……は?」
「帝国の貨幣を持っていなくてな。すっかり忘れていた」
彼女はポカンと口を開けてあっけにとられた。
「勘違いも甚だしいな。お前は俺のものだ。故に、お前そのものが在れば文句はない」
「こっ、こ、このっ! 下民がっ! 私を誰だと思っているの!?」
耐え兼ねたペイルティシアが激怒するが、その反応こそ“針鼠の肉屋”の好むところ。
「やはりお前は生まれながらにしての貴種。その誇りこそお前であり、最も美しいものなのだ」
彼は聞こえないような小さな声で内心を呟く。
「いつか跪かせて縛り首にしてやるわっ! ふんっ!」
『漫才は終わったか。帰還するぞ』
“ローグライク”が『帰還』の呪文を唱えると、3人と大荷物の姿は消え去った。