第七話 誇りを懸けて
三十分も経てば、大通りにはバリケードが築かれつつあった。
東のギルドに居た中級以上の冒険者には、ペルティアが収拾していた物資が行き渡っていた。もちろん、資材は市民にも。
そして、バリケード完成まで魔物を足止めする為、北の通りに十五人程度の冒険者が展開していた。精鋭中の精鋭だ。
彼らを率いるのはペルティア。
彼女は目を閉じ、感知に集中して街全体の魔物の分布を探る。
集中力を必要とする作業だ。冒険者達は隙だらけのペルティアを囲い、万が一にも被害が及ばないように気を払う。
目と鼻の先では二柱の神が霞むような速さで戦いを繰り広げている。一瞬たりとて気は抜けないが、難しい話でもある。
雲を突き抜ける巨影は彼の振るう恐ろしく大きな武器であり、肉柱から伸びる細い触手を――実際にはそこらの家よりも太いであろう――埃を吹き飛ばすようにあっさりと刈り取ってしまう。
それだというのに聞こえるはずの音は小さく、空を切る剣はもちろんのこと足踏みの振動さえしない。
だが一方で、レンガや木の崩壊音、気の狂った女の嗤い声、命を奪い去る《死の音》、魔力の爆発音、魔物達の無数の産声が聞こえるのだ。
視覚と聴覚の不一致は、極端に現実性を奪っていた。
そして、北区に居る大半の市民は、見ている物が幻なのか本物なのか見分けがつかない。窓辺で、玄関先で、通りで、空を見上げ、真横に現れては刹那に溶けゆく魔物を見送る。
ペルティアは一瞬だけ北へ――彼らの戦いの足元へ感知の“目”を飛ばしたが、一秒ごとに何万という魔物が点滅を繰り返すため脳の処理が追いつかず、彼女は感知を即座に断念した。
(……あそこに居る人間は私達では救えないわ)
ペルティアは早々に、断腸の思いで見切りをつけた。感知の“目”は二十五万人の人々を避け、神々の戦いには近づかず、魔物を呼び寄せるような――あるいは邪神ニャルラトホテプに従う敵を探す。
そんなものが居なければ、ペルティアの考え過ぎで終わる話だ。
今だって、彼女はその可能性に希望を感じてすらいる。
血眼になって家屋の隅々を見渡しても新たな魔物の影は掴めない。
(もしかして、邪神は、本当は街の破壊に興味がないの……?)
そんな考えが頭をよぎった時だった。
不意に、彼女の知覚する感知の中に強烈な存在を感じ取った。
“目”は北へ飛び、頭が痛くなる程、二柱に近づいていた。
そこに神はいた。
吐き気を催す不浄の汚泥が積み上がり、毛の無いクリーム色のリングがその上に七つ重なっている。萎んだ灰色の果実のような球体がリングの上に座し、昆虫の複眼に似た目玉が四方を向く。
汚泥はリングの下から絶えず流れ落ち、泡立ち、虹の光彩を放つ。滴り落ちる汚泥はソレの足元で渦巻く汚泥の中に吸い込まれ、永遠に消えて無くなる。
其の名はPathiy・sunua・uu。“渦を呼ぶもの”。
ペルティアの頭の中に、頭痛と共に知識が浮かび上がってきた。
まるで、元から知っていたかのように。
(――っ! それが、こいつの名前……パティイ・スナ・ウー、殺すべき敵!)
“渦を呼ぶもの”はその複眼の奥にある瞳孔でハッキリと、彼女の感知の“目”を見つめ返した。
先手を打ったのは“渦を呼ぶもの”だった。
見られたと、気付いたときにはもう遅い。
彼の者の“存在”があっという間に街中に広がる。
『屈服せよ』
(やられたッ!)
口笛のように鋭く高い声、そして低く震えるラッパのような声が同時に響いた。まるで地の底から吹き上げる冷たい風だ。
声は前から後ろへ、右から左へ、渦を描くように頭の中を跳ね回る。
人ならざるその一言で、人間が絶望するには十分であった。
『頭を垂れよ。 我が齎す死に震え凍え堕ちよ』
濃厚な死と狂気が嗅ぎ取れる程、“渦を呼ぶもの”の“存在”は全ての者の耳元で感じ取れた。
“戦咆”とは真逆、絶望が這い寄る……。
冒険者達は武器を取り落とさんばかりに震え、恐怖し、下を向いて歯を食いしばっていた。
『貴様達の臓腑を喰らい脳を吸い出さんと、我が魔物は貪食に餓えておるぞ』
汚物を煮詰めた腐敗臭と共に品のない舌なめずりの音がやって来る。
見るに堪えない化物の吐息が、すぐそこまで迫っているように感じられる。
この街の全ての人間が恐怖に心砕かれ、暗澹とした気分に呑み込まれていた。
誰もが宛もなく駆け出そうとしたその時。
「――うろたえるな」
静かな冷たい声で、ペルティアの“戦咆”が街中に広がった。
恐ろしげな声色だが力強く、彼らの臆病に冷や水を浴びせる。
「隣を見よ、後ろを見よ。
互いを守る戦友と、守るべきものが居るはずだ。
勝つのは我々だ!
……作業を続けなさい」
“戦咆”の為の“存在”の放出を止めた途端、ペルティアの身体からどわっと汗が吹き出す。
士気はなんとか持ちこたえた。
ペルティアのお陰で冒険者達は自分の作業に戻ることができ、彼女を囲う者達も瞳に意志を宿す。市民もなんとか逃げ出さなかった。
しかし、消耗が激しい。
(二度も三度もできないわよ……!
こんな事をっ、戦いの最中にやられたら、ただでさえ薄い勝ち目が無くなるじゃない!)
「魔物が来るわ。今の“戦咆”で、私の方へ向かってくる」
澄まし顔でペルティアは述べた。疲れはおくびにも出さない。
「私がこの通りの北を受け持つわ。貴方たちは脇道から来る奴らを相手しなさい。
死にそうになったらさっさと逃げるのよ、私一人でも持ちこたえられるわ」
「ああ、やってやるぜ!」
「任せてくれよ」
冒険者達は口々に意気を込めて、路地の方で待ち構える。彼らは緊張に汗を垂らし、己の感知と感覚器官に集中している。
ペルティアの感知にも、多数の魔物が引っ掛かった。
“渦を呼ぶもの”がランダムに《召喚》を繰り返している。そのペースは、非常にゆっくりだ。
十秒ごとに二,三体。強さはピンからキリまである。とは言え、上はたかが古代の竜、下は巨大ノミだ。
(……手加減しているの? どう考えても…………いえ、今は戦いに集中しましょう)
感知がハウンドを捉えた。
ハウンドどもはペルティアの居る通りではなく、他の冒険者が待ち構える通路の方へ走っていく。だが、その姿を易易と晒すことはない。
ハウンドは暗がりや曲がり角で敵を待ち構えたり、死角から襲い掛かったり遠距離でブレスを吐いて逃げる魔物だ。今の状況、力押ししてこないだけマシな部類の魔物だ。
(……いつだったかしら、あんなのを上級相当の魔物だと思っていたのは)
ペルティアにとって、それが悪い時期であったわけではない。
しかし、今の彼女にとっては、外面だけを装い、貧弱で、時代に流されるだけの弱者だった頃だ。
ペイルティシアは歯車としての道を望み自らの望む道を選ばなかったが、ペルティアはそうではなかった。
今、彼女はハウンドの処理を冒険者に任せる。
別に逃げたわけではなく、単なる役割分担だ。だが、その役は逆転している。
ペルティアは目の前を――より強い敵を見据える。
夜の闇から犬のように、あるいは猪のように四つん這いのまま駆けてくる魔物が一体――古代の雷竜だ。
概念を抱えていても意志のない魔物にとって、翼は有事の飛行ユニットでしかない。
地面に大きな穴が開かない限り彼らは飛ばないし、飛ばない限り迷宮壁の向こうに居る冒険者を目視することもない。目視しなければ、彼らは独自の法則に従って迂回するだけだ。
尤も、ペルティアにとってはただの古代の竜など敵ではないのだ。
彼女は目にも留まらぬ速さで飛び出して竜の鼻っ柱を蹴り上げると、抵抗させぬまま頭を三閃。
祝福された『勇気凛々の』短剣《竜殺し》は、その名の通り竜に対してはナメクジに塩を撒くのと同じようによく効く。
死体になって塵に帰った竜の跡には幾つもの宝石や武具装飾品スクロールなどが現れるが、そんな物にかまっている暇はない。
ペルティアは《鑑定》したいと後ろ髪を引かれながらも、“存在”を強く放出する。
絶え間なく放たれる刺客達は彼女に惹かれ、次々と押し寄せてくる。
迷宮壁のバリケードが完成するまで時間を稼がなければならない。あと三十分か、一時間か、何れにせよ“渦を呼ぶもの”が舐めてくれているうちに。
*
「随分とっ、楽じゃないか!」
「このペースなら、我々だけで大丈夫ですね!」
バルライカが大盾とメイスを、ヴェローチェが両手剣と魔法を振り回して、ハウンドや不死者を蹴散らす。
敵の質は変わっていない。
攻めは単調で、彼らの心に余裕が生まれていた。
魔物は北の通りで完全に引き付けられており、ペルティア達は目的を達成しつつある。
戦闘時間は三十分も掛かっていない。だが、このまま五時間六時間と、同じ場所で戦っていられるわけではない。そのためにバリケードを築いているのだが。
「油断をするな! 今の目的はバリケード完成までの時間を稼ぐ事だ!」
ペルティアは警告を飛ばしつつ、竜や女王の駒の魔法生物を斬り伏せ、北方を見やった。
邪神ニャルラトホテプの化身達とアズが、延々と戦い続けている。
今やあの肉柱は空を埋め尽くさんばかりに増殖しているが、アズは奴らを決して南に立ち入らせない。
切り飛ばし、弾き飛ばし、魔法で消滅させる。
最早、彼女達には何が起こっているのかすら分からないが、対岸の火事のように現実味のない光景であった。
『ィィイイィイイイィイァアァァアァアアアァアアアァアアアア!!!』
『オオオォォオオォオ"オ"オ"オ"ォオオァアァオオォォオゥゥゥウッゥウ"ウ"ウウウウッ!』
『ガァァアァアアァアアギギィィィイィィイイィイィッ!!』
『ァァァァアアァァッアァア"ア"ア"ァッァアアアッアアアアアァァア"ア"ァア!!』
――彼の鉄を引き裂くような絶叫が木霊する。
それに続いて肉柱が一本を残して消え去り、アズが崩れ落ちた。
「は?」
ペルティアが思わず声を漏らす。
彼につられて巨大な腕が街を薙ぎ払い、冒険者達の目と鼻の先を――そう見えるほど彼の腕は長い――横切った。
瞬間、積み上げた石の山を蹴飛ばしたかのように建物が飛び散った。迷宮壁は小さな石ころに変わり、レンガや木材は空中で分解し――。
「今すぐ建物に隠れなさいッ! 頭を守れ――っ!」
カオスゲート全域に響いた“戦咆”に尻を叩かれて、外に出ている冒険者と市民は脱兎の如く屋内に飛び込む。
しかし、ペルティアは広域の“戦咆”による凄まじい疲労で左の膝をつく。
ひゅるひゅると気の抜けた音が聞こえると、弾丸と化した廃材が雨霰のように降り注ぐ。
土砂降りの雨より激しく音を立て、にわか雨より早く過ぎ去る濃縮された嵐だ。
浴びれば間違いなくミンチに早変わり。
ペルティアはとっさに真紅の円形盾を頭上に掲げたので、軽傷で済んだ。
盾で守れる範囲から僅かに外れた左腕の肉と両足の膝から下を礫で潰された。アーティファクトは無傷だが、衝撃で足首などは跡形もない。痛みに姿勢を崩していればあっという間に地面の染みと化していただろう。
彼女は額に青筋を浮かべたまま魔法のポーチを素早く探り、*体力回復*の薬を取り出す。蓋をガラスごと親指で弾くと、ガラス片の混じった中身を飲み干した。
瞬く間に再生された手足で何事もなかったように立ち上がり、その場にいる全員の無事を確認する。
その最中、誰かが呟いた。
「……終わったのか、戦いが?」
何を言ったのかその人でさえ理解していないだろう。
だが、その言葉は真の心から出た不安だ。
なにせ、空を埋め尽くしていたあの肉柱は残り一本だ。四頭八腕八本脚の彼は倒れているが、あの悪夢のような戦いは過ぎ去ったと考えても――。
誰もが終わったと、否、終わって欲しいと思っていた。
ペルティアの側で戦っていた者達でさえも、残り僅かな魔物を平らげれば“終わり”だと無意識のうちに思っていた。
“渦を呼ぶもの”の《召喚》が途絶え、今まで押し留めてきた魔物の流れが丁度止まった。
ペルティアでさえ安堵のため息を吐きそうになった。
死を覚悟していた勇士の顔が、徐々に徐々に変わっていく。
(……まずい、今の雰囲気を維持してはいけない!)
“渦を呼ぶもの”やニャルラトホテプの悪意を思えば、ペルティアは冒険者達の緊張を過度に緩めたくはなかった。それどころか、奴らがこれを仕組んでいたとしてもおかしくないとさえ考えていた。
儚い希望を与えてはならない、時に大いなる絶望の糧となるからだ。
断固として“戦え”と命じなければ彼らは抗えない。
ペルティアはその予兆を誰よりも早く察知した。
一度引いて、他の味方も元気づけなければならない。両翼のケイオーラゲオス市長とダーリニッツが上手くやっている事を期待しつつ、ペルティアは命令を下す。
「全員、この通りを封鎖するわよ! 《壁生成》で八段二重の壁を作って、バリケードの方に後退する! 真ん中は八メートル空けなさい!」
「……大丈夫なのか?」マリメラが不安げに囁く。
「私が居る限りね。全員! 駆け足!」
冒険者達は反射的に行動し始めた。バシュタールの経験がなければ、彼らはペルティアの言うことに耳を貸さなかっただろう。
「キット!」
「はいはい、何の用かい。何でもいいけどサ」
ペルティアはキットに――“愛の星”の斥候なのだが――バリケードの完成具合を調査する事と、完成間近であれば第二のラインを敷くよう命じる指示を出した。
「分かったヨ。それだけかい?」
「そうね、終わったらすぐに戻ってき――」
――唐突に、夜明けが訪れた。
誰もがその眩い輝きに目をくらませた。
腕で遮りながら恐る恐る見上げれば、神々しいほど真っ白な空に暗黒の太陽が鎮座していた。
降り注ぐのは朗らかな光ではなく、腹の底を焼き焦がす憎悪の輝きだ。
それは光を奪い、影を真なる闇にし、角灯の光を曇らせる。
恐るべき熱気で大気が歪み、錆色の雲が急速に渦巻くと雷鳴が轟いた。
雲間に隠れてなお、暗黒は衰えずギラギラとペルティア達を照らしていた。
ジワリと、冬とは思えない暑い風が吹き荒び、ペルティアは喉の乾きと砂粒の食感に眉をひそめた。そして、事態が楽観視など出来ないほど深刻化していることを悟った。
(そんな、まさか……)
ペルティアの感知は、北にある一切の生命が消え失せたことを感覚器官にひしひしと伝えている。
その代わりに現れたモノも。
キットは事態が尋常でないことを鋭敏に感じ取ると、急いで駆けていった。
「おい……見ろよ!」
冒険者の一人がバリケードの上に乗り出して北を指差した。
彼らはつられて手を止め、見た。
砂漠になった街を。
黒炎で切り取られた街を。
「う、あ……」
「何だよこれ、何なんだよ!?」
「俺達の街が、消えた?」
「火事……なのか?」
「ぁま、魔物だ!! 魔物が!? 魔物が!!」
彼らはほとんど悲鳴のように叫んだ。
砂漠を覆う黒い影――それは何千何万という魔物の群れであった。とてもではないが、ちっぽけな壁では押し留めようもないような。
それは砂煙を上げながら全速力でこちらに向かってくる。
「う、あ、ああああああああ!!」
「無理だ、無理だ……こんなの勝てっこないぞ」
「ど、どうするんですか!?」
一斉に、怯えた目が彼女に向けられた。
誰もがペルティアの次の言葉を待ち、沈黙を保つ。
「バリケードの、建築を、止めるな」
一語一語丁寧に、極めて冷静な言葉を投げ掛ける。
砂漠では地獄の星々が降り注ぎ、想像を絶する威力の魔法が吹き荒れる。
「いい? 何が起ころうとも選択肢は決して変わらない。戦うのよ! 命の限り! そのためのバリケードよ」
冒険者達の目を見つめ返し、ペルティアも《壁生成》の魔法棒を振って作業を再開する。
手早くバリケードを築いた後、大通りの方まで撤退する。
“渦を呼ぶもの”はとっくに《召喚》を再開しており、先の倍以上の数が街に解き放たれている。
北の通りと東西の大通りを結ぶ十字路は、北側がほとんど完全に封鎖されていた。
戻ってきたペルティア達を出迎えたのは、非常にオーソドックスな対魔物用のバリケードだ。【憎悪の太陽】のせいか、松明が掛けられている。
迷宮壁の列は十字路の中心十メートルだけ途絶えており、その両端は通路のように突き出して真横からの視界を遮っている。その通路にも、身を隠せる逆凹型の迷宮壁が幾つか配置されている。更に、半円状のバリケードが五つ、間隔は広いが視界を遮るように北側に配置されている。
魔物は単純な動きをするため、通路を制限するだけで詰まり、簡易的なボトルネックを形成できる。さらに言えば、遠距離からの魔法攻撃やブレスを遮断できる。高さが足りていれば。
ペルティア達が戻ると、キットが駆け寄ってきた。
「第一バリケード構築完了! 第二バリケードは冒険者道を使って既に構築中だヨ! 両翼はもう戦闘準備を完了! 隘路も作ったってサ!」
「報告ありがとう。……中央はどうかしら、どれくらい動揺している?」ペルティアは声を潜めて言った。
「駄目だ。今すぐにでも、その、“戦咆”で……」
キットは言い淀む。
極論を言えば、ペルティア一人でもかなりの時間持ち堪えることができる筈だ。
キットは最も重要な人間――ペルティアの疲労について気を遣った。短期間に二度も、街全域に届く規模の“戦咆”を使ったのだ。彼女が隠そうとしても、見る者が見れば分かる。次は過労で動けなくなるかもしれない、と。
無数の弱者より、一人の強者が狂おしいほど頼もしいのだ。どの冒険者も同じことを思っているだろう。
彼女の決断は早かった。
「この場に立つ者達よ! 今、己の戦いに挑まんとする者達よ!」
彼女の“戦咆”が届く。魔物と戦うべく集まった冒険者や有志の市民、壁の修復班に、火事に備える男衆や駆け回るギルド職員に救急隊――中央に立つ者全てに届いた。
「私は貴方達の勇気に敬意を表するわ。今から、戦いが始まる。激しい戦いになるわ。怪我する者も、帰ってこられない者も居るでしょう。もしも、あなたが逃げ出したいと思えば、後ろへ下がりなさい。
引いた分だけ私が食い止める。怪我をした分だけ私が踏み留まる。死んだ者の分、私が死力を尽くす。
もし、人に仇なす魔物から、人々を守らんとするのなら! その両足で立ちなさいッ! その勇気の限り叫んでみなさいッ! 神の御下に届くほどッ!」
烈火の如き闘志の咆哮が木霊すると、聞く者の血は沸き立ち、心を熱狂に預けた。背中を押す力強い者の存在を感じるのだ。
彼女は誰よりも強く、誰よりも前に立ち、決して誰も見捨てないだろう――その気概がありとあらゆる者に伝わった。
最初に叫んだのは、なんてことのない普通の市民だった。
「おおおおおおおおおおおおお! 俺は戦うぞ! おお! おお! おおおおお!」
【憎悪の太陽】に制圧された空の下、彼らは“戦咆”に後押しされて力の限り叫ぶ。
都市中に鬨の声が響き渡る。大地が震え、前に、隣に、背後に仲間がいるのだと彼らに思い知らせた。その熱が彼らの心に炎を灯し、波紋の様に広がっていく。
「戦神よ、御照覧あれ!」
「おおおおおあああああああ!」
両翼もつられて爆発のような雄叫びをあげ、彼らの戦意は今や最高潮に達していた。
(よし、よしっ! 持ち堪えたッ、これからよ! 戦えば、あとは私次第よ!)
この異様な熱気にはペルティアも興奮させられていた。過度な疲労も乱れそうになる呼吸でさえも、高揚した精神のお陰でなんとか抑えられている。
ようやくスタートラインに立つ事ができた。
一つの要素が食い違えば、ペルティアも“愛の星”も、この場にいる誰であろうとも無事では済まなかった。
あとは戦うだけだ。
押し寄せる魔物の軍勢を跳ね除けて、アズがニャルラトホテプを打倒すれば終わり。
(何か……力を感じる。大きな、抗いようのない流れが私達を押している……)
ペルティアは運命じみた、何か大いなる力の後押しを感じ取る。
邪神の覚醒を察知したのか、人類側の善なる神々の息吹がそこかしこで察せられる。
大きな流れの終着点に向かって、事態が収束していくような――風が、背中を押している。
着実に、しかし勝利は迫っている。
だというのに、ペルティアは先の見えない恐怖や不安――本能的な危機感に押しつぶされそうだった。
今まで彼が歩んできた暗闇を、今度はペルティアが切り拓く番だというのに。
そこにあった選択を間違えたのではないか、と。
(このまま流されて……本当にいいの? 何かとんでもない、取り返しのつかない事が起こっている……?)
心臓が高鳴り、押しつぶされそうな重圧に彼女の腕は震える。
だが、選択は終わり、戦いは始まってしまった。
あとは戦うだけだ。
例え、抗う術無き絶望が襲い来るとしても。




