第三話 誘拐犯と共犯者(ペイルティシア視点)
ペイルティシア視点
《門》を抜けると、私は薄暗い森の中にいることに気づいた。
”針鼠の肉屋”は丁寧に私を下ろすと、冒険者が身につける小汚いローブと革の防具、運動用の靴と下着を差し出してきた。
彼の頭は私よりも二回りほど高い位置にあったので、背中を目一杯反らして見下すように睨み付けた。
「身に着けろ、この先ドレスでは身が持つまい」
「下民の真似をする覚えはありませんわ。疾く私を学園へ返しなさい」
力及ばず粗暴な冒険者に誘拐されたが、心まで屈するつもりはない。
結婚前の肌を下卑な視線に晒すつもりもないし、モノを差し出してくれば噛み切ってやる心積もりだ。
(それに、私の位置を教える魔法のアイテムを持って来ているわ。捜索隊が直に辿り着いて、この者を八つ裂きに――)
脳裏に浮かんだ立食会での惨劇。
おぞましい評判の数々。
打ち立てられた英雄的な偉業。
果たして、”針鼠の肉屋”に勝てる者が領内に居るのか?
実力者を集えば時間が掛かり、私の純潔は……。
『追う者は居ない、ここはダンジョンだ』
「誰!」
背後から別の男の声がした。
落ち着いているが老獪な雰囲気を醸し出す、低い男の声だ。
「“ローグライク”よ、ペイルティシア嬢は誘拐できた。約定に従い努めを果たそう」
『努めを果たせ、“針鼠の肉屋”。それと、追跡の護符は破壊した。ここでは厄介なギミックが発動する』
“ローグライク”と呼ばれた男は暗褐色のローブに身を包み、フードを深く被っているので顔はおろか種族すら判別がつかない。彼の裾からは30センチ程の杖が顔をのぞかせており、恐らく魔術師だと推測できる。
……それにしても、追跡の護符を破壊した?
あれは領内一の付与術師に作らせたもの、木っ端な魔術師の戯言に惑わされてはいけないわ。
「……鼠が二匹、身代金が欲しいのかしら? それよりも命を大事にするべきですわ」
『……ふむ、お前の目利きにしては見る目がないな』
「心の気高さを見よ。折れず、曲がらず、突き通す芯こそ彼女の美しさだろう」
「私を無視しないで下さる!?」
折角、今解放するのなら許すことも考えると言っているのに!
「見よ、“ローグライク”。震えるこの身のなんと気丈なことか」
「……ぇ」
その瞬間、体の奥から寒気と恐怖が迫り上がってくる――!
「あ、あ、あぁ……」
本心を指摘された、見透かされた、貴族たるこの私が?
“針鼠の肉屋”の兜の奥の赤い目が、ギョロリと私を、見て、大きく――――怖い、怖い怖い怖いこわいこわい!
『更に怯えたようだ。収拾をつけるか?』
「……頼む」
『《獅子の心》』
“ローグライク”と呼ばれた魔術師が腕を一振りすると、先程の恐怖が嘘のように消え去った。
《獅子の心》はよく使われる魔法で、父上に盗賊の討伐に連れられた時に見たことがある。
効果は目の前の冒険者共に対する敵意が沸々と湧き上がってくる程で、敵に塩を送られた形になってしまうが寧ろ良かった。
貴族とは、切った張ったではなく弁舌と権威、権力と金と兵力が物を言うものだ。
優雅に、そして巧みな舌技で乗り越えてみせる!
『さて、面倒事の前に理解らせるとしよう。』
「何をする気だ?」
『自己紹介、そして此度の冒険の話を』
「“針鼠の肉屋”だ。“紫白”、“血塗れの”、好きに呼ぶといい」
「……本物なのね」
怯え、竦み、頭に血が上って冷静でなかったわ。小動物のように怯えるなど私らしくもない。
だけど、目の前に立つ“針鼠の肉屋”が恐ろしい人物であるのも確か。
気をしっかり保って、粘り強く交渉するのよ、私!
『俺は”大魔導師”、”総ての魔を知る者”、空白級にして頂点に立つ唯一の一、”白紙の地図を埋める者”である。そう、ローグライク、だ』
”ローグライク”、その男はさも当然のように名乗りを上げると、ローブの隙間の暗黒からこちらを一瞥した、ような気がする。
まぁ、ハッタリでしょう。
空白級は、それこそ伝説に詠われる勇者が持つ称号。
実質最上位である紫白級の上に存在するものの、形骸化した階級で冒険者がそれを名乗るなど不可能。
つまり嘘よ。
「…………こちらは胡散臭いのね。” 紫白” の冒険者よ、裏切られぬ内にこちらに味方しなさいな」
「強かな女だ。しかし不可能。《門》のスクロールに脱出の準備、そして知恵。恩義を返さなくては取り立てられてしまう」
『“針鼠の肉屋”よ、一つ教えておこう。我儘は取捨選択するものだ。故に出発するぞ』
「……同意する。守れぬほど腕は錆びていない」
そういって二人は示し合わせたかのように歩き始めた。
「え、あ、あの! どこへ行きますの!?」
『冒険だ。未知のダンジョン――ダンジョンの中に出来たダンジョンを攻略する』
「ペイルティシア嬢よ、貴女は既に俺のモノであるが、命惜しくば付いて来い」
そういえば、この森は夜だというのに夜目が効くように物が見える。
聖なる泉がある我が家の私有林よりも、マナが濃く見える。
怪しい魔術師の言葉を鵜呑みにする訳ではありませんが、私とて貴族の中の貴族。身の回りの環境を見抜けないわけないわ。
どうやら、本当にダンジョンに連れてこられたみたいね。
――ダンジョン、混沌から産まれ出た宝と魔物の巣窟だ。
二人の冒険者が木々の奥に隠された台座に手を置くと、地面がゴゴゴと振動し、地下へと通じる隠し階段が現れた。
二人を見送るべきか、付いていくべきか。
彼らは脅すような言葉を残していったが、私は貴族教育を受けた者。
多少は魔法の心得がある。
地面の揺れ動く音で近くの怪物が目覚め、襲ってきたとしても撃退できるわ。
低級ダンジョンなら一人で帰還する程度は余裕よ。
『動こうとしないが?』
「彼女ではこの付近に涌く魔物を倒せまい。耐性は皆無な上、経験も魔法の腕も足りん」
『見捨てるのか』
「否、頃合いを見て助ける。しばし待たれよ」
『良い。誘拐という冒険の、ささやかな報酬であるが故に』
腐っても冒険者、上位ダンジョンに出てくるような化物に来られては、私も敵わないわ。
いえいえ、ハッタリという可能性も――
「ッ!」
――この階層でとんでもないことが起きている!
私の直感が体全身に悪寒を伝える。
ここに、一人で居てはいけない。
「つ、つつついていくからた、助けなさい!」
「言質はとった。俺と共に歩む限りその身を救おう」
噂以上の、化物だ。
悍ましい程の力を感じてなお平然としている。
どうやら、単純に逃げ出すようでは意味がないわ。
『では、深淵へ足を踏み入れるとしよう。“針鼠の肉屋”は10フィート棒を持て。小娘はその後ろに隠れよ』
待ちきれないと言わんばかりの喜色の込もった声で、“ローグライク”は私をダンジョンへと誘う。
ああ、お父様、お母様、そしてお兄様。
私、ペイルティシア・マルトイ・ディセンブルグは必ずや無事に帰還してみせます。
どうかその日まで健やかに、誇り高く。
『ハック&スラッシュの時間だ』
“針鼠の肉屋”の先導に従って、私は階段を降りていった。