第八話 異界の者ども
三日目のバシュタールはつつがなく終わった。
多少の怪我人はあれど死者は居なかった。
帰路では暗雲が立ち込め、冒険者たちの火照った体を北からの風が容赦なく冷やす。
あと数日のうちに厳冬期がやってくると、どの国の人間も確信することだろう。
間引きの最中、冒険者たちとは離れた場所で暴れ回っていたアズは、車列に沿って歩く中級冒険者を遠目に見ながらペルティアに耳打ちする。
「“祈りを捧げる者達の教会”の者たちは――彼らの意識を乗っ取った者たちは、人間という種族について知らないようだ」
「それ、本当? 私にはよく分からなかったわ。彼らは指示に従ったし」
「耳を澄ませてみろ、奴ら異なる言葉で会話をしているぞ」
「……少し寄るわ」
二人は歩くペースを落とし、追い越される形で車列の後方へ下がる。
『おい、あいつらこっち来たぞ』
『大丈夫だって、俺らには気付いてないし日本語だってわかりゃしねぇって』
『でもよ、予知能力貰ったやつが今日殺しに来るって言ってたじゃねーか』
『その話ならマシになったって言ってたわよ』
『そうなの?』
『安心だってさ』
『なぁーんだ』
最後尾で、二人はまた顔を寄せ合う。
初めて聞いた未知の言語にペルティアは身震いがした。
得体のしれぬ者が同族の皮を被り、傍から見れば親しげな友人同士のように語らい合っている。
神から始まる人類の系譜に無理矢理入り込んだ異物の存在は、ペルティアの常識を打ち壊すほど冒涜的であった。
彼女は“祈りを捧げる者達の教会”の者達が邪神に連なる異端であり、人類の社会に存在することを許してはいけないと本能的に悟った。
誰にも気付かれずに誰かが異端に成り代わる。
――在ってはならない
ペルティアは腰の短剣に手を伸ばしたが、思いとどまった。
「決行する、しかし今夜だ」アズが念押しし、
「……そうね、切っ先ばかりが先走っていたわ」
「理解はできる。己の根底を揺るがす出来事に、人間は取り乱さずにいられない」
「よし、反省したわ。行きましょ」
それからバシュタールの一団は何事もなく帰還した。
冒険者たちは東の冒険者ギルドに集まって、各々報酬を受け取る。
もう間もなく厳冬期がやって来るので、外からやって来る人は冒険者以外にはもういない。
だが厳冬期の安全を最後に保証するのは彼ら冒険者だ。市民たちは労をねぎらって料理や酒を提供し、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが始める。
ペルティアは人々の輪の中に混じり、アズは物陰から“祈りを捧げる者達の教会”を見張る。
だが宴が盛り上がってしばらく経った頃、“祈りを捧げる者達の教会”の一団はこの場を抜け出して帰路についた。
「ペルティア、往くぞ」
「! ええ、それでは――」
彼女は会話を切り上げ、アズと共に彼らの跡をつける。
とはいえ、二人の隠密能力を超えた感知能力の持ち主はいない。
バシュタールの時から分かっていたが、もはや弱い者いじめだ。過剰戦力すぎる。
騒ぎながら帰還する彼らの姿は、まるで本当の人間のようだとペルティアに印象づけた。
しかし、人の意識を乗っ取り潜む常識外の化物でもあるのだ。
ペルティアはアズの纏う空気から、これから向かう先が“祈りを捧げる者達の教会”の本拠地であることを察した。
既に邪神との関与は示唆されたが、名前を呼べない者■■■を倒せば解決する。
そう、彼は言った。
(これで終わるのよね? アズ……)
歩みを進める度、ペルティアの中で歯車が噛み合わなくなるような違和感が強くなる。
果たして本当に解決するのだろうか、と。
(アズでさえ勝てない敵がいるとは思えない……でも私はその域に達してはいない。邪神の強さだって分からない、彼だけが知っているから――)
結局の所、アズはペルティアが知りたいものを独占している状態だ。彼女はそれが原因でヘソを曲げたりしないが、不満と不甲斐なさを感じてはいる。
彼は人類では誰よりも強い。
それが故に、誰もアズを助けることはできないし、血に塗れた道が彼を孤立させる。
(二人で建国なんて言ってはいるけれど、どこまで行っても一人と一人よ……このままなら)
そうこうしているうちに、アズとペルティアは北の区画まで辿り着いた。
都市の壁に近い住宅街だが、“祈りを捧げる者達の教会”の冒険者たちは本拠地と思しき長屋に入っていった。
二人は無言で視線を交わし、彼らの跡を追って長屋に侵入した。
中には幾つか部屋があったものの、簡素な2段ベッドが並べられているだけだ。帰ってきて寝るだけの場所としてしか機能していない。
喧しいと感じる声量で話していた彼らであったが、内部では話し声がしないどころか、影も形もない。
「消えた……?」
「地下への階段がある。しばし待て、気取られずに侵入する」
1分ほど待って、どこをどう観察したら見つけ出せるのか、アズは下段のベッドの毛布を引っ剥がして床板の扉を開けた。
アズは黄金の鈍器を魔法のポーチに仕舞うと、とっとと梯子を降りていった。
ペルティアは彼が知っていたのだろうとあたりをつけつつ、後に続いて地下へ降りていく。
彼が小さな部屋の扉を開ければ、そこは地下空間とは思えないほど広い部屋に出た。
明かりの魔道具が天井に吊り下げられ、石壁を橙色に染め上げていた。
24人の中級冒険者と、バシュタールには参加していなかった者が4人。
普通ならアズの侵入にも気付けない筈だったが、偶然にも扉の方を向いている者がいた。
『なんでコイツが地下ホールにいるんだ』
彼の素朴な疑問にわざわざ答えるほど悠長なアズではない。
「去ね、異界の住人」
アズは素早く得物を取り出し――直径2メートルはある歪な球体に柄を付けただけの黄金の鈍器の、その表面で軽く小突いた。
たまたま扉の前に居ただけの彼は尻餅をつくと、砂の城が崩れていくように肉体が崩壊して死んだ。
残った肉の山からは血が静かに流れるばかりで、最早生命であった痕跡は残されていない。
力を込めずとも意志に呼応して殺戮が作用し、魂もろとも男を砕いた。
彼が黄金球の鈍器を肩に担ぐと、“祈りを捧げる者達の教会”の者たちはすり足でジリジリとホールの奥に下がっていく。
彼らは完全にパニックに陥っているが、騒げば死ぬという本能からの警告が軽率な行動を控えさせた。
「……アズ」
「手は出さずとも良い」
「あなただけに重荷は背負わせない」
ペルティアは短剣を抜いて駆け、動けずに居た者の首を刎ねた。
その首は彼らの足元に転がっていき、表情は何が起こったのか分からないと言わんばかりに、まるで今でも生きているかのように目を見開いていた。
『あ、ああ、あああああああ!』
『なんだよぉおお!?』
『どうなってんだ!』
『来ないってぇえええ言っただろォ!?』
『殺される殺される殺されるぅううう!』
砂のように崩れ去って死ぬよりも余程現実味のある死を目撃して、身に迫った危機をようやく理解した彼らは絶叫した。
静寂の中で張り詰めていた緊張の糸が一気に途切れ、奥へ奥へと逃れようとする。
「彼らが何と言っているかわかる?」
「神は言葉を束ねる者であるが故に俺にもわかる。命乞いだ」
二人が無言のまま近づくと、泣き叫ぶ彼らの中から歩み出てくるものが一人。
軽薄そうな笑みを恐怖に引き攣らせながら、アズに向かって手を差し出した。
「やややや、やぁ、落ち着いて、話をしな、話をしたいです」
切り捨てようと構えたペルティアをアズが無言で制し、男の握手に左手で応じた。
「人間の作法に詳しいな。だがあまりにも粗末だ。誰が何のために貴様らを異界から呼び寄せた」
『だ、ダメだみんな……こいつから<強奪>できない……』
「経験を奪う限定的な権能か、異界の神か? さりとて魂の扱いに長けているわけでもない」
『お、俺はプレイヤーなのに、プ、プレイヤーなのになんで効かないんだぁぁ……』
「いや、後天的に魂に付与されている力だ。やはり邪神の仕業か」
『お前らなんなんだ……?』
「ペルティア、彼らは魂ごと消さなければならないようだ」
「それはどういう……」
瞬間、彼女が切り捨てた死体が膨れ上がり、青白くブヨブヨとした数珠状の触手が飛び出してペルティアを殴打せんと迫る。
アズは握手している男を柄で小突いて先ほどと同じように殺すと、ペルティアの前に躍り出て手斧で触手を切り飛ばした。
暗黒と黄金の輝きが尾を引くと、汚泥のような悪臭が漂い始めた。
臭いの元は触手の断面から滴り落ちる泥のような血だ。
先端を切り飛ばされた触手は苦痛に悶え波打つと、死体の元へ戻っていく。
だが死体は既に異形に転じており、その姿は人間の心臓とまるきり同じである。
その巨体は宙に浮き脈打ちながら、4本の太い触手をデタラメに振り回し、人の顔のパーツがバラバラに配置されており、それぞれが独立して無生物的に蠢いている。
「魂を砕かれずに肉体が死んだだけの者は、その魂に刻まれた呪いによって化物へと転ずる。それがたった今分かった」
「だっ、たたったったたっ、たすすたすたったったったすたすけ、たすこたたすたすここころたすけ殺す殺す殺す」
「ペルティア、やはりお前は何もせずに見ていろ」
胡乱な目で単調に言葉を繰り返すばかりの心臓の異形に、もう一つ口が生えた。
『痛い……たすけて、くるじいまっくら』
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「な、なに……こんな悍ましい事が……!」
アズは乱舞される触手の間をくぐり抜け、黄金球を高く掲げる。
『いたいたい助け助けて助けて』
「殺すだめだお前は殺す殺す殺す殺す殺す」
アズは得物を勢いよく振り下ろし、肉を引き裂き潰して、魂ごと滅した。後に残るのはただの肉だけだ。
最初からアズが皆殺しにしていれば、苦しむ者は出なかっただろう。
『どういうことだよ……何だよこれ! 遠藤ッ!』
『ははっはははははは! 一番マシだ! これが一番マシなんだ!』
“祈りを捧げる者達の教会”の信者の二人が、目の前の光景から目をそらして言い争う。
「未来予知の権能か」
『一番これがいいんですよ! さぁ殺してください! 殺して、ころせ! はやく! 化物はいやだっ! あの無限の暗黒で永遠に苦しめられるのはいやだ! せめて人間のまま死にたい!』
「そうか、せめて痛みを知らずに逝くがいい」
アズは信者たちとの距離を一気に詰め、黄金球で一薙ぎして一度に10人を葬った。
それから、瞬きする間に残りを全て。
悲鳴を上げる暇も、恐怖を感じる時間も、痛みに悶える間もなく、全員が霧状に散った。
肺に充満する血の匂いがペルティアの意識を刺激し、眼の前の出来事を飲み込ませた。
「な……今のは!」
「…………」
無言の返答に、彼女は大きく息をはいた。
そして吐き気をグッとこらえて鋭く睨む。
「アズ、彼らと何を話していたの」
「何も。……下らないことだ」
――異界からの魂とは即ち、異世界の人間の魂であり、邪神の謀によって「時限式の権能」を授けられた被害者でもある。
というのが、アズの知っていた事だ。
ところが二人は、邪神に連なる異端がヒトの皮を被っていると考えたから、殺したのだ。
異端どころかただの異世界のヒトであったなどと伝えれば、そのことでペルティアが苦悩するのは想像に難くない。
故にアズは、伝えることに意味を見出せなかった。
しかして一方で、ペルティアはアズが一瞬だけ口籠ったのを見逃しはしなかった。
弁舌を弄する者であったペルティアに対して、違和感のある誤魔化しなど通用するはずもない。
心臓の化物の言葉と、信者たちに慈悲を見せたアズ。
この二点と彼が何も話さない理由を考慮し、彼女はカマを掛けた。
「異界のヒトの魂だったのね、元々の意識を乗っ取ったのは」
「違う。気にするな」
「嘘よ、間違っていたらあなたは色々と話す人だもの。気を遣っているのでしょう」
ペルティアは断言した。
「……そうだ。どちらもヒトであった。しかし、殺さずともいずれ異形と化す呪いが掛けられていた」
「はぁ、あなたのお陰でこれ以上死ぬ人が出ない、そういうことよね?」
「……ああ」
「それならいいわ。でもね、私を馬鹿にするのも大概にしなさい」
ペルティアは大きく右腕を振り被って、アズの顔面に思いっきり全力の拳を叩き込んだ。
彼は微動だにしなかったが、やや呆然といった風に彼女を見つめる。
すぐさま八色のオーラがペルティアを取り巻き、炎で、冷気で、雷で、毒で、酸で、暗黒で、闘気で、破邪の力で肉体を蝕んだからだ。
この自動反撃を喰らえば大抵の生物は死ぬ。
ペルティア程度であれば死んでもおかしくない――彼女はそれを承知で殴った。
「がはッ! ごほっ、かはっ――!」
当然ながら、皮膚は爛れ、膨大なエネルギーで体内は掻き回される。
ペルティアは血涙を流しながら血反吐を吐いて、うつ伏せのまま倒れる。
アーティファクトが止まりそうになる心臓を必死に動かし、肉体の機能を肩代わりすることでやっと命がつながっている。
アズが体力回復のポーションを用いようとするが、あらかじめ彼女に掛けられていた《契約》の魔法が死ぬ寸前だった肉体を再生した。
「何をしている」
「私はあなたに並び立つ! 己に立てた密かな誓いよ」
「……何が言いたい」
「私の実力は、確かに、あなたが求める水準に達していませんわ。
ですが、心構えを侮るように、私に対して過保護に振る舞うのであれば許しません」
「つまり、どういう事だ」
「苦しみ抜く覚悟はとうにできているッ! 今あなたを殴ったのがその証明よ!」
アズは長く沈黙した。
長いといっても精々一分ほどだが、その迷いにペルティアは驚愕した。
(アズでさえ迷うというの……? 今の今まで即断即決を地で行く彼が? ……何故?)
彼は――ペルティアの手を血で汚させたくはないのだ。
だが何故そう思うのか、何故そんな考えに至ったのか、彼でさえ己の中に渦巻く「それ」に気付いていないのだ。
目を灼く程の輝きで己を焼き焦がした者が、闇の中で血に塗れる者と共に在ってはならない。
結局の所、アズとペルティアの違いはそこなのだ。
「…………否、人を殺すのが俺の役割だ」
「何故ッ!? 今一人手に掛けた!」
「お前の行動は何一つ事態を好転させてはいなかった」
「言ったはずよ、私にだって重荷は背負える!」
高みを目指す者と深みにはまる者、相容れるはずがない。
「そして、少なくともこの場で議論することではない」
「減らず口を!」
「落ち着け。敵地で、そして死者の前で声を荒らげるな。重荷と言うなら尚更な」
「……っ! ……く、ふぅー……。えぇ、落ち着いたわ」
ペルティアが“存在”を放つことはなかったが、腹に据えかねる状態であったのは間違いない。
彼は彼で部屋の一角を崩し、隠し通路を見出した。
■■■の下まで続く道を。
「行くぞ、まだやるべきことがある」
「……覚えておきなさい、あなたと私で二人だと言うことを」
十メートルにも満たない距離を歩いて扉を開け放てば、二人の見知った顔がそこにはあった。




