第七話 二人の休日と目標
朝まで眠りこけたペルティアが「今日は一日遊んで過ごすわよ」と確固たる決意を持って述べた。
「時間は有限だ。ペルティアよ、頂は遠いぞ」
「人間は娯楽がなくては生きていけないの。
紅茶とスコーンの傍らでのんびりと過ごす時間がなくては、一体何のために生きているのか分からないわ」
「娯楽がなくとも生存は可能だ」
「黙りなさいな。そもそも、愛する私がこんなに苦痛を訴えているというのに、それを蔑ろにするなんて酷いと思わない?」
「導くとも言った。偉業を為すなら回り道をしている場合ではない」
「アズの最短距離が私の最短距離とは限らないわ」
「……成る程、一理ある」
「なら決まりね。今日は私をエスコートしなさいな」
「……?」
ペルティアの前でアズが逡巡する。
「“娯楽”、“遊ぶ”、何をするものだ」
「産まれて一度もないということはないでしょう!?」
「……追いかけっこやかくれんぼ、草笛、そのくらいか」
「子供ですか! アズは変な所ばかり抜けているんだから……」
彼女はテキパキと身なりを整えて、アズの腕を引っ張り外へと繰り出した。
カラリと晴れた空は雲ひとつない。
空気は澄んで、東の大山脈の頂が街からでもよく見えた。
「さ、あなたに本当の遊びというものを教えてあげるわ」
「ああ」
キラリとペルティアの目が光る。
ただ、世間知らずのこの男はいまいちピンときていない。あまりにも浮世離れし過ぎたのだ。
「朝食を食べに行きましょう、受付の方に良い場所を教わったのよ」
「そうか」
「そもそも、今までのあの食事はお腹を満たすだけで良くありません。食品の属性を研究している友人がいたのですが、黄色の穀物ばかりを摂取すると無駄に太ってしまうそうで」
冒険の運動量とあの圧縮された穀物ブロックは釣り合うのだが、ペルティアにとって重要なのはワンタパーンな食事を改善するための本音と建前。
味気ない食事は文句を言うに足り、太るかもしれないというのは十分な恐怖で、アズを心配しているのも理由になる。
「太ったのか」
「余計なお世話です」
デリカシーがない発言に怒るのは尤もで、ペルティアが渾身の力を込めてアズの腕を抓るが、何ら痛痒を与えない。
「遊ぶのですから、お互い楽しい気分にならなくてはいけませんの」
「そうなのか」
「決して、決・し・て! レディの体型の大小を比べるような表現をしてはいけませんわ。必ず褒めなさい」
「ああ」
「はいよろしい。今日はカオスゲートを目一杯楽しむわよ」
命の危険が絶えない街、カオスゲート。
そんな場所に数多の冒険者たちが集い、精神をすり減らしながらも戦えるのは、日々の癒やしがあるからだ。
元貴族令嬢が楽しめそうだと思う程度には、大体の娯楽が揃っている
それからというもの、食事に舌鼓をうち、
「いいわね、これ。携帯食にできないかしら」
「……保存用の魔道具があれば」
衣服を買い集め、
「北部の紡績工場のお蔭で、服は安価になったのよ? 最近はドレスのデザインも増えて、着飾る楽しさが増してきましたの」
「買うのはいいが、着用は許可できない。危機に即応できる実力があれば別だが」
「またそれなの? そのうち悲鳴を上げるまで付合わせますからね」
使う機会の無さそうな小物に悪趣味な宝石類を買い集め、
「このネックレス、とっても豪奢で私に似合うでしょう?」
「…………」
カジノで豪快に散財し、
「あら、負けが続くわね。そろそろ勝ちの目が来そうですし、半分ほど……」
「……引き際を見極めろ」
早めの夕餉をとる。
実際には大して遊んでなどいないし、アズの役割は大抵が子守に似たものだ。
大きな楽団や高名な芸術家はこの都市に来ないので、芸をやるにしても規模は個人がほとんど。たまたまやっていた演劇を見に行っても、ペルティアのお眼鏡に適わなかったので途中で抜け出した。
面白そうだが実際はつまらなかったものが多かった、と彼女は内心がっかりしていた。
残された楽しみは食事だ。
二人が訪れた店は、領主や豪商、超級冒険者等が通う所だ。
落ち着いた雰囲気の個室で、真っ白なテーブルクロスが敷かれた円卓に向かい合って座り、手間の尽くされた料理を堪能する。
毒耐性のために酔うことはできないが、果実酒で喉を潤しながら穏やかな時間を過ごす。
前菜は、マーマンカウという二又に分かれた殻を持つ蝸牛に、バターと刻みパセリを詰め込んで、魚の練り物で蓋をし、窯で焼き上げたものだ。
フォークで殻の中の身を刺し、ゆっくりと引き抜けば綺麗に取り出せる料理だ。
ペルティアの手付きは高級料理によく慣らされた迷いないもので、一方のアズはそういった作法が子供未満だ。殻を指で圧壊させて、千切れた身を殻ごと食す。
見るに見かねたペルティアが食事の仕方を教えなければ、アズの食事方法は一生手掴みかスプーンに限定されただろう。
「意外と飲み込みが悪いわね」
「努力する」
「ふふふ……これに関しては私の圧勝ね」ペルティアがほくそ笑む。
「これは……何のために行う?」
「テーブルマナーかしら。私は守らせる方でしたが、何事も美しい方が格好がつくでしょう?」
「お前に瑕疵など付けさせられん。次は完璧にこなそう」
今度はメインの肉料理を切り分けたが、アズの口に運ばれる前に汁がボタボタと滴って、純白のテーブルクロスを赤く汚す。
アズの席だけ幼児の食事後のように汚れているが、この男にしては十分な方だ。
そもそもマナーを指摘するなら、装備を付けたままというのはいただけない。が、彼の大抵のマナー違反を笑って誤魔化さなければならない者が、この世界には多く居た。
そういった意味でアズに食事の作法は必要ないが、それはペルティアが許さない。
「――だが、貴族の礼儀が必要なのか?」
ペルティアは一瞬だけ顔の筋肉を強張らせた。
二人の間にはいらない、という甘ったれた意味ではない。
死んだ事になった女に必要なのかと問うているのだ。
ペルティアはワインで唇を濡らし、アズを軽く睨みつける。
「試すような真似は不快よ」
「純然たる事実だ」
アズが断言する。
「何が為に望む?」
彼が求める答えは、ペルティアが為したいと望む偉業の過程だ。
まず最初に何をするか、具体的な方針をペルティアに問うた。
「国。私とあなたの国が欲しいわ」
「簒奪か!」
「建国よ!」
ワイングラスの水面が揺れるが、それはテーブルを揺らしたわけではない。
ペルティアの内に秘めたる存在が精神の揺らぎによって発露し、空間を――空気を押し退けて揺らしているのだ。
殺気や気配とも呼ばれるソレを感じ取ったアズはアーティファクトの刀を抜いて一閃。
極限まで引き伸ばされた時間の中、剣先はペルティアの目玉に極限まで近づき――否、それは円と直線が概念上の点で接するのと同等の接触を行い――傷を付けずに通過した。
音はおろか風すら立てずに得物が魔法のポーチへ収まった後、ペルティアの目蓋はまばたきを再開した。
彼女は剣閃にこそ気付かなかったが、残り香のように眼前で漂う濃密な死を察知した。
「っ!」
「アーティファクトの補助を受けて尚、気配を漏らすは未熟の技。建国などと大層な寝言を言うものだ」
無数のアーティファクトを纏うペルティアに「死の危険」を忘れさせないため、アズはいくつかの制限を設けた。いつ何時であろうとも気配を漏らさないことは決まりの一つで、破れば眼前に死が迫る。
迫るだけだが、薄弱な精神の持ち主は死ぬ。
「……建国も些末な話よ。いいこと、アズ。私達の手には世界があるの、建国如き踏み台でしか無いわ! オーホッホッホッホ!」
高らかに笑うペルティアの、その野望は果てしない。
建国それ自体が、千年前から語り継がれる偉業なのだ。
ペルティアを捨てたエゲレス王国が今の地を切り拓いた頃、かつて冒険者が開拓者だった頃――それが千年前。
「西か、東か」
「勿論東よ。大陸西の半島部奪還と、エゲレス王国・フライス帝国以東の山脈超え。支配権を奪われた土地と混沌に埋まった土地、掘り起こすなら難しい方でしょう?」
いま、ペルティアは人類未踏の地に踏み出し、そこに新たな国を築こうとしている。
「東か。天を衝く程の山脈を三,四つ越えた先には、広大な――人類の生存圏と同程度の平野が広がっている」
「……その話は初めて聞きましたわ」
ペルティアがワインを煽る。
アズは不慣れな手付きで鶏肉の赤ワイン煮を切り取り、兜の下から口に運ぶ。
「であろうな。そこは混沌に最も近き場所。“混沌”へ繋がる“世界の穴”が広がり、雲霞の如くダンジョンが湧き、混沌の勢力が絶えず蠢く大魔境。平定すれば不死者の軍勢、妖魔大連合、ビーストマンの国と境を共にする。更には南北の海からマーマン共が押し寄せ、更に東に行けば蟲人、地下世界、巨人、吸血鬼、古来より続く種族達が生存競争に明け暮れる」
ダンジョンと僅かな妖魔、デーモンにすら苦戦する人類が多様な種族と争えば、その末路は想像に難くない。
「挑むか?」
「望む所ですわ。永久の歴史に刻む大偉業、その一歩として人類未開拓地に国家を築く」
「では手始めに」
「鍛錬? 休みは欲しいわ」
「いいだろう。だが、あまり時間はない」
「何故かしら?」
「何もかもが足りないからだ。全てが不足している。一々説明するのも億劫になるほどな」
「そうね……」
二人の間に沈黙が訪れると、デザートの紅茶ゼリーが運ばれてきた。
「それなら、アズの実力はどの程度なのかしら? 紫白と言われているけど、いまいち実感が湧かないのよね。参考までに教授してくださる?」
「ふむ、一〇〇体の下級悪魔を一体の上級悪魔が統べる。
一〇〇〇体の上級悪魔を一体の悪魔王が統べる」
「分かったわ、悪魔王を倒したのね?」
一般的には、この悪魔王を倒せば配下の悪魔が滅びるとされている。
アズの成し遂げた悪魔の一族の根絶は、世間一般では悪魔王の打倒と同等だと思われている。
それもその筈で、“ローグライク”や国の重鎮を除けば、悪魔王より上の悪魔の存在は知らされていない。
「一〇〇体の悪魔王を一体の永久監獄の悪魔が統べる。
一万体の永久監獄の悪魔を一体の監獄長の悪魔が統べる」
「……は?」
「六百六十六体の監獄長の悪魔を一体の万魔殿の悪魔が統べる」
ペルティアの反応は極々一般的で、続々と飛び出した新しい単語に戸惑うのも無理はない。
「一体の万魔殿の悪魔が支配する土地は“地方”と呼ばれ、八の“地方”を統べるのが万魔殿の混沌悪魔、
ゲマジェフ、アダイア、ローグリンの三体がそれぞれ十七体の万魔殿の混沌悪魔を統べ、
始祖のデーモン“死に至る螺旋”が三体の側近を統べる
“死に至る螺旋”を血族ごと滅ぼしたのが俺だ」
「――は?」
「分かりやすい単位で表せば、上級悪魔は約二七〇兆体、悪魔王は約二七〇〇億体存在する」
「――――」
ペルティアがスプーンに乗せたゼリーをこぼした。
それもそのはず、近年のエゲレス王国では民衆の国民意識が高まり、ディセンブルグ侯爵を筆頭とする貴族閥粛清によって中央集権体制がほぼ完全に整った。
“六本柱”による卓越した政治手腕と五十年近くに渡る改革により、エゲレス王国の人口は他三ヶ国より抜きん出て三五〇〇万人。ペルティアの知る限りでは常備軍を二十万抱え、戦時体制に移行すれば銃剣を携えた兵士が少なくとも一〇〇万人配置される。
それはダンジョンから溢れ出る魔物や妖魔、人間の軍勢程度であれば容易く撃破出来る精強な軍隊だが、蓋を開けてみれば塵芥も同然。
一億と少しばかりの人類が一人一殺でデーモン達と刺し違えたとしても、デーモンは人類を二七〇万回以上は滅ぼせる。
「これがあと十三柱」
「おかしい、人類が滅んでいないわ」
「おかしいか? 当然だ、十三柱全てが互いに争い、身内で喰らい合う。無能の極みをコチラへ送り込み、人類をかき回して遊ぶ。人間など鍋の底に残った肉のカスと同じだ」
上には上がいるとは言うが、度が過ぎる。
身近に感じていたハズのデーモンの脅威が、その膨大な数の中でも最も使えないゴミの部分で、そのゴミが人類を玩具にして遊び、より高位のデーモンが足掻く様を見て喜ぶ。
地獄めいた構図だ。
上級悪魔一体で一万人程度の都市が容易く滅ぼされてしまったことを鑑みれば、これほど知らなくていい情報はない。
数多の都市を支配した貴族の娘として、ペルティアは己の双肩に掛かる命の数に戦慄し、人類が住むのは薄氷の上の小屋であることを理解してしまった。
「……アズ、あと十三回繰り返せる?」
「不可能だ、一つか二つ俺に比類する手が足りぬ。神にも等しい彼奴らを何柱か滅ぼせば、喰い合う内の余剰戦力がこちらに来る。つまり、攻め手と守り手が要る」
時間は無いが、まだ早い。
デーモンに加え多種多様の脅威が在る以上、建国には安寧が、揺り籠には守護が、護国には力が、デーモンスレイヤーには強大な仲間が必要なのだ。
「そう……ええ、理解してしまいましたわ」
「再び忠告しよう。建国などと大層な寝言をよくも言えたものだ」
それは決して甘くない、噎せ返るほどの血路の果てに見出すもの。
迂遠な道のりと諦めを踏破した者に*真の勝利*が訪れる。
故に、その覇道を突き進む意志は『黄金』なのだ。




