第四話 悪魔という生き物
ペルティアは湯船に浸かって着替えを済ませ、アズの待つ客室に戻る。
カオスゲートでは冒険者のための安宿が多く存在するが、ここは数少ない高級宿だ。
ベッドも最低限ペルティアが寝れる物であり、設備や安全面――アズの隣以上に安全な場所はないが――を考慮した結果こうなった。
ペルティアがベッドに横になると、アズは明かりを消してからそれに倣う。
真っ暗な室内で、ペルティアは顔を合わせることもなく目を瞑った。
「……ねぇ、アズ」
「どうした」
「あなた、どうして私に何もしないの? 破廉恥な格好をさせて、契りを結ぶつもりだったのでは?」
「……いや、考えたこともない」
「どうして?」
「ペルティアを思い出した時、お前が良いと思った。それだけだ……」
「私、あなたのこと何も知らないわ」
もぞもぞと布の擦れる音がする。
「でも、いい人よ。噂とは違ってマシ」
「お前も、噂とは違う」
「あら、どんな噂かしら」
「使用人を無一文で荒野に叩き出したそうだな」
「我が家に噂好きはいても、死にたがりはいませんでしたわ」
「そうか。領民を拷問したそうだな」
「あなたのお陰でほとんど根絶しましたが、魔薬を知っていまして?」
「そうか。学園で平民に星の数ほどいじめをしたそうだな」
「勿論。女に化けたデーモンの話、破滅した男の話、どの国でも用心せよと言われてますわ」
「疑り深い奴らだ、気づかれたと思うだろう」
「尻尾は出ませんでしたが、ね」
迂遠な言い回しだが、貴族らしい潔白の示し方だ。
白とは言い難い灰色だが。
「こっちを向きなさい」
ペルティアは明かりを点けてアズに顔を向ける。
彼は昼間と変わらない格好でベッドに入っており、迷彩色の兜が真横を見る。
「兜、外さないの?」
「耐性は外せない。こうして横になることも久しい」
「野営でもそうだったものね。……あなたの噂、知りたい?」
「知っている」
「汚名を雪ごうとは思わないの?」
「事実だ。俺は復讐に駆られ、鬼となった。人ではない」
「そう……」
「もう遅い。明日が辛いぞ」
アズは会話を強引に切り上げ、明かりを消した。
ペルティアの寝息が聞こえてからも、彼は隣から見守り続けた。
***
ピンク色の雲の中、揺蕩う船のように体が上下に動く。
ペルティアは奇妙な景色の中、自分の意識が夢の中であると気付いた。
「ここは、一体……?」
コツコツコツと、背後から足音。
ペルティアが振り返れば、そこは白亜の神殿。
人間の英雄が天使に導かれる様を掘った巨大な柱が天まで果てしなく続き、広大な天には輝いて見えるほどの素晴らしい絵画が無限に広がる。
神々の戦いの叙事詩が雄大なステンドガラスで描かれ、太陽と天使から真白で神聖な光が差す。
そこは神殿というよりも、一つの世界であった。
威圧するような荘重な静けさが彼女を見下ろしていた。
“迷える人よ……”
空間に染み入るような、父祖の如く低い声が届いた。
「あなたは……」
気づけば、目の前に立っていたのは神父だった。
派手な紅のローブを身にまとうが、上品に振る舞うことで、神聖さを醸し出している。
“己の罪、彼の夢、狭間の神が、あなたに真実を与えましょう”
彼はゆったりした所作で、己の手を差し出した。
手を取れば分かる、そう言わんばかりの雰囲気にペルティアは思わず手を伸ばし――
「――触るな」
躊躇った。
彼の声がしたからだ。
「此奴は悪魔、夢に忍び寄り、お前の魂を拷問にかけ、永久監獄で悲鳴を浴びる悪辣な種族だ」
「……アズ」
はて、彼が夢の中にまで出てくるとは、ペルティアは首をかしげる。
「意識を覚ませ、始祖のデーモン第十一席次“夢見に揺蕩う籠”に連なる下級悪魔が、お前の夢へ《夢時空》の魔法をかけた」
“私は神の使い、デーモンの戯言に惑わされてはいけません”
「消えろ」
先端が気球のように膨らんだ巨大な黄金の鉄塊で神父を叩き潰すと、彼はペルティアをその腕に抱いた。
「見ると良い、デーモンの黒き血が流れている」
「……私ったら、こんな夢物語のような夢を見るのね」
「危ないところだった。夢から精神を支配し、お前を意のままに操ろうとしたのだろう」
アズが軽々と持ち上げた鉄塊から黒い液体がべちゃべちゃと滴る。
「でも、夢ならもう少し格好のいい武器にして下さる?」
「ここは夢だがダンジョンのようなものだ。脱出するぞ」
「脱出?」
「漏らすなよ」
――ばしゃぁぁあ!
「キャァァアアアア!! 冷たっ寒い! 何をするの!」
ペルティアがベッドから飛び起きると、アズがバケツを置いて淡々とのたまう。
「目が覚めたか」
「ああ、あ、あなたね! 淑女を起こす時は優しくしなさいと言われなかったの!?」
「着替えろ、すぐに魔法防御を高める装備を見繕う。デーモンがお前を狙っている」
「……非常に遺憾ですが、理解しました」
先の夢は夢だが現実であったことを理解したペルティアは、急いで水を拭き取ると、アズの放った防具を震える手で素早く身に着けていく。
祝福された『真紅の』ミスリル製の外套、祝福された『輝く』ルビーの首飾り、祝福された『魔力を帯びた』玉虫鋼のサークレット、祝福された『轟音の』緑竜の篭手、祝福された『天空都市の』レザーアーマー、祝福された『守護者の』アイアスの円形盾、祝福された『山砕きの』レイピア《デーモンスレイヤー》、祝福された『音速の』鉄瓶底の靴、スピードの指輪、肉体強化の指輪。
計十個のアーティファクトで身を包んだペルティア。
レザーアーマー等の初心者が身に着ける装備とは違い、今の彼女は輝かんばかりの存在感を放っていた。
「最初からコレを渡せば良いのに」
「渡せば死に掛けんだろう。成長に悪い」
それもそうね、と納得するペルティアだが、アーティファクトに着られている雰囲気は否めない。
常用させればマッチを持った子供よろしく碌な目に合わないことが容易に想像できる。
だが、デーモンが暗躍すると分かった今、無防備のままで良いはずもない。
「それで、これからどうするのかしら」
「……デーモンを殺す」
「デーモンを殺す、ねぇ?」
ペルティアは窓の外をちらりと見た。
東の空も白まない真夜中、ガタガタと揺れる窓にヒュウと風が吹く。
ベッドの温かさが恋しくなる気温だが、緊急事態だ。
後ろ髪を引かれる思いと微かな怒りを胸に抱き、ツカツカと外に出るアズの後を追う。
「デーモンなんて、何処にいるんですの?」
「……渡した武器に感知の能力がある。それを、己の一部のように装備しろ」
「アーティファクトは手に馴染むと言いますが……ん、んんっ!?」
ギョロリと、ペルティアの両目がお互いに真逆の方向を向く。
「え、ちょっと、何ですのコレ!?」
「それが感知だ」
ギョロギョロと絶え間なく動く眼球。
祝福された『山砕きの』レイピア《デーモンスレイヤー》が周囲のデーモンの位置を直接脳内に叩き込み、存在を“見る”ことができるのだ。
「しばらくすれば落ち着く」
「視界が……気持ち悪い……」
「姿形を直接“見る”事もできる、だが、存在を大まかに感じるだけに留めておけ。いずれ慣れる」
確かにそうですが、と頭を抑えるペルティア。
アズは彼女を支えながら無人の道を往く。花街でもないので明かりはなく、閑散としている。
アズはデーモンが潜む宿のドアをピッキングして開けると、物音一つ立てずに二階へ上がる。
(どう動いたらこんなに静かになるのよ!)
ペルティアも装備のお蔭で無音で歩けているが――首をひねって後を追う。
彼は客室のドアをこれまた同じように開けると、中で眠っている冒険者らしき三人の内の一人の枕元に立った。
ペルティアは入り口で遠巻きに眺めており、アズの側で眠る男がデーモンだということははっきりと理解していた。
(人間とほとんど変わらないわね。デーモンはささくれ立つ黒い肌に黒い血、枯れた枝のように細い手足と言うけれど……)
自分の知るデーモンとは似ても似つかないわ、本もあてにならないものね、と思った瞬間、彼女の頬に生暖かい血が付着した。
「え?」
見れば、人間のようなデーモンは頭を壁に吹き飛ばされて脳漿を撒き散らし、首から大量の血を噴水のように噴いている。
プシュウゥゥと部屋中に血を吹き散らせば、同室の冒険者二人が目を覚まして悲鳴をあげる。
「うわぁぁああああ!人殺しだ!」
「ガ、ガイアッ! ガイアが殺られた!」
「こいつはデーモンだ」
あなたの方がよっぽどデーモンよ! という言葉を飲み込んで、ペルティアは違和感に気づく。
アーティファクトはデーモンを感知し続けている。
ペルティアは首のない男にデーモンの存在を感じた。
(不良品……いえ、彼の性格からして、そんな物は持たないでしょうね)
どうしたものかと悩んでいると、宿のあちこちがドタバタと騒がしくなり、部屋の二人は武器を構え、隣室の冒険者がペルティアと部屋の惨状を見て「殺人鬼はこのデカブツか!?」と叫んだ。
宿全体に明かりが点く頃には沢山の野次馬で狭い廊下が溢れ、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
こんな騒ぎだというのに、アズは死体?の側を離れず、武器を持ったまま警戒し続けている。
官憲が二人、野次馬をかき分けてペルティアの横まで来ると、内部の惨状に「うっ」と声を漏らした。
そして犯人と思しきアズに向かって槍を構え「お前が殺人鬼か!」と踏み込もうとした瞬間、舞い上がった死体?の腕が二人の足元に落下した。
「立ち入るな」
ジリッと官憲が下がる。
ピリピリとした空気が肌を伝い、濃密な死の気配が漂ってくる。
ここは殺し間だ。
ドアを境にした客室がアズの間合いなのだ。
踏み入れば死、あるのみ。
だがペルティアは大胆にも一歩足を踏み入れた。
『グォォォォオオオオ!!』
瞬間、死体の体積を無視した大きさの黒い影が腹を割いて飛び出し、一直線にペルティアの元へ向かう。
身の丈は二メートル程で、その全身がささくれ立つ黒い肌に覆われている。
更に枯れた枝のように細長い手足を持ち、目口のある場所には空洞が暗黒を覗かせている。
悪意を固めたような禍々しい黒の一族――下級悪魔だ。
下級悪魔はペルティアに細長い爪を振り下ろし――傷口から体内に、体内から精神に侵入して、彼女の体を意のままに操り逃走する。
――人間如きに見破られるとは耐え難い苦痛だが、己の役割は果たした。あの男には叶わないがいずれ八つ裂きにし、苦痛に歪む顔を剥製にしてくれる。
下級悪魔は壁に張り付いて潰れた肉体のまま、夢を見ている事も知らず絶命した。
殺ったのは当然アズだ。
「夢に潜むが逃げられぬか、まぁいい。帰るぞ」
「は、ええ? ……あなた、後片付けという言葉はご存知?」
「……? デーモンは殺した。下級だったが、奴らの企みは後片付けで済ませられる程小規模ではない」
「この場には説明を求める人がいるわ。それに、人類で結託したほうが動きやすい筈よ。」
「浅慮だ。一人で動いた方がマシだ」
二人を見つめる奇妙な視線を歯牙にも掛けず、互いの意見をぶつけ合う。
ペルティアは小さな胸を張り、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「まさか、人は城、人は石垣、人は堀と言うでしょう。少しは人望を集めなさい」
「……人の意思など容易く折れる。だが、お前の『黄金』の輝きを信じよう」
「……あなたって、時々詩的よね?」
「お前に人望について諭されるとはな」
「さ、そこな官憲の二人。名前は?」
ペルティアはテキパキと話を勧め、あれよあれよという間に話し合いの場を整えた。
だが、「一人で動いた方がマシ」という言葉の意味を、突きつけられることになった。




