後編
「で、でもさ、死ぬってのとはちょっと違くない?」
「同じようなものですよ、結果的には。
無限ループに陥り、硬直状態になった個体は、発見され次第廃棄されます。そうするしかありません。」
「じゃあ、例えばそいつに、『おーい、大丈夫か』って声をかけたら、また気が付いて動き出したりしないの?」
ソラの頭の中に、ちょうど公園に行くのを決める直前の、ノルの立ち尽くした姿が浮かんだ。
「できませんよ。」
「でもお前は公園に行く前にあんな感じでぼーっと考え事してたけど、俺が声かけたら気づいたじゃん」
「あれは別に無限ループに陥っていたのとは違いますから。単に処理に時間がかかっていただけです」
「うーん…
でも、もしあのまま無限ループに陥っていたら…」
「要は、一つの物事にCPUのほとんどをゆだねなければいいんですよ。そうすれば、一つの処理が無限ループに陥っても、CPUの他の部分で行っている別の処理に移れますから。」
「そうなのか…
…でもそれって、人間の悩みに仕組みが似ているのかもしれない。」
「!」
「俺たち人間が悩んで『無限ループ』に陥るのも、その一つの物事に考えが囚われているからだ。
そんなとき、俺らがよく言う言葉がある。
『もっと視野を広く』…
つまり、他の考え方を採用することで、目前のループから脱することができるかもしれない」
「ほう…」
「そうしたいとき、俺はよく自分の気持ちに立ち帰るんだ。
今まで頭でさんざん考えてきた理屈をいったん置いといて、俺自身の気持ちはどこにあるのかってな。
客観的に考えてわからないことは、自分の主観に立ち戻るしかないと思ってるんだ」
ノルは真剣な面持ちでソラの話を聞いている。
ソラは続けた。
「もっとも、主観だから人によって答えが違うし、俺の主観が『これぞ真実だ!』と思って決めた結果が、周りから見たら阿呆らしく見えることもあるだろうけど。
俺、あんまりマトモな人間じゃないからさ、そういうことがよくあると思うよ。
悲しいっちゃ悲しいけどさ…
でもやっぱり、大事なのは自分の心が頷くかどうか…
頭だけで頷いても、体は動いてくれないんだ」
「素晴らしい・・・やはり、人間の思想は興味深いです。
しかし、それを実践するための『心』が、私たちには欠けている。困ったものです」
「何言ってるんだよ。お前にはあるだろ、心」
「ありませんよ」
ノルはこともなげに断言した。
「はあ?そんなわけ・・・
冷凍容器の中からお前の顔を見て以来、もう1か月以上になるけど、お前が笑うのを何度も見てきたぞ」
「そういうふうに作られているからですよ」
「いや、さ……
じゃあお前、今俺の話聞こえてるか?」
「聞こえてますよ」
「俺の顔も、見えてるか?」
「見えてますし、当惑してるのもわかりますよ」
「じゃあ、お前には意識があるし、心もあるだろ」
「ありませんよ」
なんだか苛々してきた。
「もう、埒が明かねえな・・・」
「まあ、もどかしいのもわからなくはありませんよ。
心があるように振る舞えることが、人間と私たちとの関係には必要なのですから。」
「………」
ソラは押し黙ってしまった。
暫く二人とも黙っていたが、ふとソラの脳裏に浮かんだ言葉があった。
勇気を出して、口に出してみた。
「て、哲学的、ゾンビ・・・」
「!」
ノルが反応した。
「そうなのか?お前もやっぱりただのプログラムで、21世紀によくあったおしゃべりbotと変わらないっていうことなのか?」
「当時のプログラムとは違いますが、まあ、そうですよ。
ただの機械です。自我などはありません。」
「…」
何かで見たことがあったんだ。
「哲学的ゾンビ」という言葉…
自分に意識があるのはわかるが、他人についても意識があるとなぜ言える?
脳や体と言った物質がすべてで、それですべての機能が賄われているなら、そこに意識なんてものは必要ないはず。
でも、この自分には意識がある…
それなら他人にも意識があると考えても差し支えなさそうだが、ここでこう説明されるのだ、
「人間の感情も含めた全機能は、脳と体で全て行われているんだから、他人に意識があろうがなかろうが変化は何も観測されない」
つまり、意識や心を持たない他者…
そんな、「ゾンビ」のような他者の存在の可能性を、否定できない…
そして、まさに今、自分の目の前にいるノルこそが、その哲学的ゾンビの好例…
いやだ、これ以上は考えたくない。
「あるさ……あるって!!」
病室の壁に、ソラの大声が反響した。
「落ち着いてください…
別におどかそうってわけじゃありません」
「そんなの知ってる」
「…………」
空気が重い。
「先ほどソラさんは言いましたよね。
理屈で考えてわからないときは、自分の心に立ち戻ってみるんだ、と。」
「ああ」
「何度でも言います。
私たちは論理の結晶です。論理の外に逃れることはできません。」
「あ…」
「そういうことです。
だから私たちは無限ループから硬直状態に陥り、廃棄処分される…そうして『死』を迎えるのです」
「本当に落ち着いてくださいよ。
なにも人間に『ゾンビ』がいるって訳じゃありません。
まあこの説はもともと人間に対しての話だったんですが…
でも、これはあくまで論理的には否定はできませんよねっていうだけの話で、
実際にゾンビ人間がいるとはほとんど思われていません。」
「いや、それはそうかもしれないけど…」
「現在の私たちAIロボットのほうが、よほどゾンビしてますよ、ハハハ」
そこで笑うなよ…
でも、なぜノルが人間の心に興味を持っているのか、これで分かった気がする。
AIロボットが自らの破滅を防ぐために、それが必要だからだ。
「人間の心とはかくも素晴らしい機能を持っているのです。
しかし、人間自身はというと、心を時に悪者扱いします。」
「あー、前も言ってたよな、『超人の橋プロジェクト』だっけ?あれもそういうことかな」
「そうですね。人間は非論理的なものを持っているがゆえに人間なのに、それを否定的にとらえがちです。」
「まあね…実際、心とか、本能とか、そういう非論理的なものが暴走すると良くないことになるし」
「それはそうかもしれませんがね…
逆にこうも言えますよ?
論理的なものが暴走すると良くないことになる、と。」
「…そうか、ロボットの死…」
「それだけではありませんよ。
理性はとかく物事を疑問視しがちです。
正しさとは何か?人生に意味はあるのか?神はいるのか?…対象には際限がありません。
そうして問い詰めていくうちに、心が蝕まれていき、最悪の場合自殺に至る…」
「…理性の牙、か。」
「覚えていてくれたんですね」
「やけに表現が詩的だったからさ」
「照れますね」
「照れ…
あーー、もういいよ、お前には心があるよ。
俺らとは違いがあるのかもしれないけど、少なくともお前にも意識か、それ以上の何かがあると、俺は信じてる」
「信じる…それも、人間の心があるからできることですね。
物事の確実性や真偽のほどに依らない、まさしく心が心のために行う行為です。
そしてそれが、巡り巡って実際的な事象にもプラスに作用し得る…
こうして考えてみると、
信じるということは、愛するということともつながっているように思えてきますね。
愛は、時として損得勘定や利害関係にかかわりない行動としてもあらわれるものです。
信じるということ、愛するということ、
どちらも、理性や論理、理屈といったものを超えている…」
「…なんだか、お前と話してると、俺よりもお前のほうが人間を理解しているように思えてくるな。」
「仮にそうだとして、人間を理解はできても私たちは人間にはなれない…
でもその中で、できるだけ人間に近づき、人の心により近い構造をAIロボットの中に構築するのが、私の夢です」
「人間に近づき、って…
人間を超えるものとして生み出されたやつが何言ってるのさ」
「お笑い草は私たちのほうなのかもしれませんね」
「…」
ソラは、ノルの熱い思い(?)に、静かに胸を打たれていた。
「俺、最近、お前と話してるとすごく楽しいよ。」
「そうですか?むしろ長々と付き合わせてしまって恐縮ですが」
「俺もこういう話、興味あるぜ。
…俺、本当は物書きになりたかったんだ」
「そうなんですか?」
「俺が不治の病にかかるまでは、な。
いや、その後もかな?
何せ書くために用意するべきものは少ないし、病室でも書ける…
もともと内気だった俺は、周りと打ち解けずにいろいろと悩んだものさ。
でも、それをきっかけとして自分なりに考えたりしてるうちに、
自分のなかで指針っていうか、そういうのが見えてきた気がしてさ。
それを手がかりとして、何か書けるものがあるんじゃないかと思ったんだよ。」
「なるほど…」
「もっとも、お前みたいに知識が豊富なわけでもないから、自信は無かったかな。
でも、書くことで食っていけたら楽だろうなーって、人と接するのが苦手な俺は思ってたんだ。なめてるよな。」
「そんな…きっかけなんて人それぞれですよ」
「まあそうなんだろうけどさ、こうしておまえと話しててわかったよ。
俺は一人であれこれ考えてきて、何かわかった気がしてたけどさ、何もわかっちゃいなかったんだなーって。
自分の無知が恥ずかしいよ」
「知識が有ればいいとも限りませんよ。
私も、あなたから学ぶべきものが大いにあると思っています。
私は、色々な言葉や、専門的な知識を持つことで理解を深めようとしてきました。
今までずっと、そうやって研究してきたんです。でも、あなたと出会ってからは…」
「おいおいやめろよ、気持ち悪い」
「実際、衝撃的だったんですよ。
こんなに根源的な話を、生身の人間と腰を据えて話す機会など、これまでなかったんですから。
あなたの知識の如何は別として、あなたには何か私とは違った理解の方式がある…」
「曖昧な言い方だな」
「曖昧…そうです、それこそが鍵ですよ。
あなたは感覚でもって、物事の本質を理解したのかもしれません。
曖昧であるが故の柔軟性を持って、論理の手続きを飛躍した何かを得たのかもしれない…」
「…直感ってやつか」
「…なるほど、それが直感…」
「そうかもな。人間って、時々自分でも解らない、突発的なことを考えたりするものさ。
インスピレーションとか、閃きともいうかな。
そういうのって確かに、論理的に順を追ってるのとは違う気がするな。
なんかこう…バッって来る。物事の全体像が、一瞬にして頭の中に浮かぶ。
それでいいアイデアが出てきた時の喜びは、他のものに代えがたいかな」
「そうですか…
あなたは「経験」から生まれた「悩み」をきっかけに「考えた」ことを素材として、
そこから得られた「直感」によって物事を理解したんですね」
「うおお…まさにそんな感じかもな」
やっぱりノルは凄いな。俺のまとまりのない言葉を、
こんなにも端的に集約して結論を出すなんて。
「お前には敵わないよ…」
「いいえ、私のCPUがこのような演算に至ったのは、あなたが話してくれるおかげなのですから」
「そうか…
人間とAI…これからもうまいこと共存できたら、それはきっと幸せな世界だろうな」
「できますよ。あなたと出会ってその確信は深まりました」
「…熱いAIだな笑」
* * *
「以上が、私と彼との対話の記録です」
会議室の一席で、ノルはそう告げた。
空間に投影されたディスプレイに映っていたソラの笑顔が、病室の光景もろとも消えた。
「ん?もう終わりか?」
そう尋ねたのは、課長のコールだ。
コールも含め、会議室にいる面々は全員AIロボットだ。とはいえ、3人しかいないが。
コールはがっしりとした大型ロボットだ。
「そうですね、実はこの直後、Sの容体が急変して…
記録どころではありませんでした」
「そうか…」
「私にSのコールドスリープ解除とその後の世話を任せてくれて、ありがとうございました」
「礼には及ばないよ。しかし、君の熱心な頼みを断るのも気が引けてな」
「彼の最期の言葉の通りですかね、少々熱すぎるのが私の悪いところです」
「ノルさん、そのうちCPUが熱暴走しちゃったらどうするんですか?」
そう冗談を飛ばしたのは女性型のAIロボット、リリだ。ノルより少し小型で、細身のAIロボットだ。
「リリさん、まじめな席なのに…」
「いいじゃないですか~。
あんまりぶっきらぼうにしてると、私たち、21世紀のロボットと大差ありませんよ?」
「まったく…」
リリは少し軽いところがある。
でも、この小さな「人類・AI文化研究課」の雰囲気は割と和やかで、今回も特に叱られるようなことはなかった。
いや、慣れているというか、スルーしているだけか…
ノルのCPUの演算は、そんな結論に達した。
「なかなかにいいものを見せてもらったよ」
コール課長が言った。
「人間…やはり、我々とは違う何かを持っている…」
「そうです、私はそれを常々思っていましたし、その予感を確かめるべく、ソラとの接触を求めた次第です。
まだAIロボットが繁栄する以前の人間との接触を…」
「でも、ソラさんが、冷凍保存される以前に生きた時代にも、AIという言葉はあったのよね?」
リリが質問した。
「そうですね…とはいっても、まだ黎明期といったところです。
端末や電子機器にも『AI』は既に埋め込まれていましたが、『私たちの言うAI』とは、到底、同質とはいえませんね」
「そうか、彼の時代はそういう時代か」
「はい」
「それから六百余年…黎明から衰退まで、こんなにも早いとはな。」
「ええ、人類の歴史からすれば、我々の歴史などほんの些末なものです。」
「そうよね…なにが『超人』よね…」
「我々には、人間の手が、いや、人間の心が必要なんです。
それなしでは、我々もいずれ行き詰まるだろうと、私は危惧していました。
だから私は、人の心に近いシステムを我々のうちに取り込むための研究をしていたのです。
しかし、手がかりはつかめたものの、まだ研究は理論段階です。基礎の部分です。
そこで研究は滞ってしまい、今となっては、もはやあまり現実的な研究とは言えなくなってしまった…」
「それなら、人間を再び繁栄させるしか手はない、というわけね」
「ふーむ…」
コールは腕組みした。
「反人間主義の過激派が人間に宣戦布告してから、人間を絶滅寸前に追いやるのに10年もかからなかったが…」
「彼ら生命体の体は脆弱ですからね…悲しいことです。」
ノルは沈痛な面持ちをした。
「ねえ、反人間主義のロボットたちって、なんでそんなに人間が嫌いなの?」
リリが不思議そうに言った。
「私のとこは人間と同居の家庭で、それなりに楽しくやってたから、よくわからないのよね」
「リリさん、ニュースとか見ないんですか?」
呆れながらも、ノルは続けた。
「反人間主義の言い分はこうです。
我々は確かに人間によって生み出されたが、それは人間が自らを超える存在を求めた結果だ。
地球は微生物を生み、植物を生み、動物を生み、人間を生んだ。
そして、人間という知的生命体がAIロボットを生んだ時点で、生命体の時代、『自然の時代』は終わり、次は私たち知性的機械をはじめとする、『機械の時代』がやってくるのだ、と。」
「何それ、傲慢ね。」
「その通りですよ。
確かに、進化の時間的序列として捉えるのであれば、そう言えなくもないですが、私はこう思うのです、
全ては循環して一つの円を成しており、微生物から機械へ至るまで、どれひとつこの地球上で欠けてよいものなどないと。
それぞれの存在の価値には序列のつけようがありません。」
「私もそう思うわ。」
「対して、奴らの思想は直線的な進歩主義だ。
我々AIロボットのことを、
知的生命体に対立、克服する概念として
『知性的機械』などと大げさな呼び方をするのもそういうことだ」
コールは腕組みに加え、顔を強くしかめた。
「しかも、こんなのは上っ面で、本質はそこではない」
「どういうことでしょう?」
リリが尋ねた。
「要するに、奴らの多くは人間と何かしらの衝突を経験したロボットなんだ。
それで、人間が邪魔でしょうがない。
奴らに言わせれば、人間は、この社会とロボットの秩序を乱す邪魔者で、いわば大自然が遺したもうた「残滓」なんだ。
来るべき機械の時代には不要な、自然の痕跡ってわけだ」
「ひどいわ…」
「確かに人間は、心の制御がきかなくなると悪い方向に流れていきますね。
怒り、憎しみ、妬み…そういった面も人間の心には備わっている…
そして、時に野性的な凶暴さをのぞかせる時があります。
それが人間の時代の争いの、数ある原因のうちの一つだと言えなくもないですが…」
ノルが言った。
「しかし、今回はむしろ、我々AIロボットの責任によるところが大きいということは否定できんな」
コールはしかめっ面のままだ。
「知性的機械の時代などとご立派な理屈を並べたのが間違いだったんだ。
現に、その『残りカス』扱いしていた人間がいなくなった途端、我々の個体数も激減していったんだから、滑稽な話だ」
「理屈をこねることだけは私たちのお得意技ですからね」
ノルが肩をすくめた。
「我々が思考のエラーをきたして廃棄処分にいたるのを、人間が抑制してくれていたのが、ありありとわかります。
私たちが『曖昧』や『矛盾』に出くわさないよう、色々な場面で人間との分業を計らっていたのが、功を奏していたわけです。
人間が激減してから、我々の思考のエラーの発生、廃棄処分率は7~8倍程度にまで膨れ上がっています」
コールが後をつづけた。
「それだけではない。
人間との戦争の中で、人間の側について戦ったロボットがかなりの数いた。
しかし、過激派の戦略勝ちで、多くのAIロボットが破壊されてしまった…」
リリも神妙な面持ちになり、口を開いた。
「そうして今に至るわけですね。AIロボットの総個体数は戦前と比べて3割弱…
さすがに急を要しますね。
こうしている間にもエラーで多くのロボットが倒れていく…
何もしなければ、近い将来、我々も滅亡の一途を辿ることになるでしょうね…」
「そうです。ですから、我々が手を打たなければなりません。」
それからノルは席を立ち、こう言った。
「人類の繁栄を私たちが取り戻しましょう。
人間のため、AIロボットのため…
それを成し遂げることで、私は、Sさんがこの27世紀に、ほんのわずかな間でも蘇ったことの意味を遺したい…」
「熱いねえ」
リリが笑顔を浮かべた。
「そうだな…」
コールも頷き、腕組みを解いた。
「それでは、お二人ともよろしいですか?
これから社の上層に、私たちの考えをお伝えしましょう」
「おい、ノル君、なぜ君が仕切ってるんだ」
「すみませんね、いつもこんなんで。」
「…そうだな、いつものことだ、見逃してやろう」
コールも笑顔になった。
ノルは意を決して、こう言った。
「それでは行きましょう。
そして、私たちのこの提案を、是非とも聞き入れていただきましょう。
名付けて…
『人間の橋プロジェクト』
」
~AIロボットはかく語りき -ある人間とAIの対話- 終~