東京の秋
秋である。
踏まれて匂いの立った銀杏の落ちる道を通り、出勤する毎日だ。その銀杏も大きな台風でほとんど落ちてしまって、去年よりも数は少ない。
黄や赤、褐色の落葉。周囲の音もひと月前より低いところを通って耳に届いている気がする。秋が「fall」と呼ばれる謂れだろう。
その一方で、実りの秋、収穫祭。満ちるという意味である「autumn」という側面も秋にはある。落ちゆく淋しさと満ちる悦び、その振れ幅こそがセンチメンタルな気持ちにさせるのだ。
東京の秋は、人々の装いで感じる。色味もさることながら、人によって季節を夏寄りに捉えているか冬寄りに捉えているかに分かれるのを見るのが面白い。
Tシャツ一枚で10月を乗り切ろうとする者、早くもライトダウンを羽織る者、ジャケットをまといつつその下には半袖Tシャツを秘めし者。
私はというと、夏前に安くなっていて勢いで買ってしまった春服を、年越しを待ちきれずに着てしまっていたりする。街にfallやautumnが溢れる中、これから芽吹こうとする新緑カラーで陽の光を浴びているのだ。
だが実のところ、私が豊穣な色味を使わないのには春の陽気に半年間浮かされた以外にも理由がある。赤から茶色にかけての色の見分けに自信がないのだ。
はっきりとした色弱の自覚はないのだが、私が赤だと言った色が茶色だと言われた経験が何度かある。
だから、こちら側としては紅葉のような明るい装いであるつもりで振る舞っていても、相手にとっては樹木色に見えていて、「あの人服の色に似つかわしくない佇まいだわ」と思われるのが怖いのだ。ビビっているのだ。
だが紅葉の赤を着ていたとしても、ふわふわと地に足つかぬ振る舞いをしていてはどちらにせよミスマッチか。私は秋の陽気に合わせる空気を持っていないらしい。
落ちる。満ちる。私にとっては哀愁の季節というよりも、憧れの季節なのだ。




