遠くにある群馬
小さなものと遠くにあるものは似ている。どちらもレンズを通さないと見えない奥行きがある。
群馬県にきた。これといって理由もなく、毎年青春18きっぷを買うのだけれど、利用期間がはじまって、さてどこへ行こうかとなったとき、群馬に行ったことがないと思い至ったのである。
新宿から湘南新宿ライン一本で高崎まで出ることができる。便利。ボックス席の、進行方向と反対向きの席に座り、窓の外を眺める。
池袋、大宮で大方の人が降りて、空席がちらほらとできている。隣のボックス席は2人のおじさんが対角に座り、足を組んでいる。一方の私の向かいには、浴衣姿のカップルが座っている。
向かいが男性だったこともあり、膝の位置に気を使いながらの長旅となった。溜まっていた文庫本を一冊ずつ消化していく。
好きな作家のエッセイを読んでいると、たまたま、その作家がその昔、私の地元に一年ほど住んでいたことを知る。それも10年以上前に。どこかですれ違っていたかもしれないなあなど思い、浮かれる。
電車の人がまた増えてきた。
3人で徒党を組んだおばさまたちが空模様について語らっている。
「本当は降る予定ではないんですよねえ、きょう」
「でもぱらぱらときましたよねえ」
「どうしたのかしらねえ、最近のお天気は」
などという声が聴こえてくる。
天気予報は空の予定ではなく、空の模様を人間が予想しているだけなのに、精度が高まったせいで、空の方が気を遣いそうになるほど、信用されるようになったのだなあと思う。
精度が上がりすぎると、自分がなくなっていくのかもしれないな。なにかに依存して、どんどん弱っていくような気がする。
望遠鏡が進化して、もっと遠くを見えるようになったら。顕微鏡が進化して、微生物よりももっと小さなものを見えるようになったら。その頃、私の眼にはいまよりも多くのものが映るようになるのだろうか。
もしかすると、かの作家が住んでいた頃の私の方が、もっといろいろなものが見えていたのかもしれないなあと、なんとなく、おもった。ぐんまちゃんかわいい。群馬ではうどんを食べた。




