糸の一日
休日。起きると、習慣的に、まず音楽をかける。一曲目に「糸」が流れて、私たちは何も知らないんだなあと、朝から己の無知を恥じる。
きょうは中華を食べよう。レタス炒飯が食べたいのだ。レタスと炒飯は、巡り合ってよかったと思う。
電車の電子広告に、「今年は暖冬」の文字が流れてきた。
名前、とか、名称、とか、定義・概念といったもの。冬のくせに暖かい。佐々木のくせに機嫌がいい。女のくせに。子どものくせに。
名をつけるから〜のくせになどということを言われるのだ。「それ」も含めて「そのモノ」なのに。
勝手に規定して、その外のことは認めようとしない。見えてる部分なんてほんの一部で、本当はなにも知らないはずなのに。勝手に期待するのはいつも他人なのに。
などと勝手に落ち込む。せっかくの休日にこのままではダメだと、急遽予定を変更し、カツ丼を食べることにする。
駅のあたりにはカツ丼屋がなかったから「なか卯」に入った。カウンターで食券を渡して、座る。目の前にはポスターが貼られている。
次の瞬間、今朝聴いた「糸」が頭の中で蘇る。
なぜ、めぐり逢うのかを
私たちは何も知らない
なか卯と水樹奈々。
どこで出会ったんだろう。私たちは何も知らない。