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信長公記・続


軍神と名高い上杉謙信殿がこの世を去り、上杉氏は真っ二つに割れた。

左様、家督争いである。


しかし、この争いを制した者は、意外な人物であった。


暴君。


そうだ。彼だ。下剋上をしたのだ。

出生だけでなく、名前すらも分からないが、羅我蟲左と呼ばれている。

音は、らがちゅうさ、らしい。


暴君は、それまで上杉氏に仕えていた家臣達を粛清し、主君である上杉景勝様すらも見せしめとして殺した。

共産主義に権力者など不要であると云った、自己の存在と矛盾が生じている論理だが、農民達からは、非常に受けた。


この行動が正義であると、持て囃されていた。余りにも狂っている。

全くもって理解し難い。

これならば、一条鎌房様の政治の方が余っ程良い。


しかしながら、暴君の求心力は凄まじく、僅か一年で旧上杉氏を纏め上げ、

そして、遂に、壁を越えて、南北の両軍に分かれ、京まで進軍してきたのだ。



某の主君である織田信長公も従軍する事を決意した、南側の戦いについて、詳しく述べたいと思う。


場所は宇治川で、大決戦が行われた。


結果は、我等の圧勝であった。

鎌房様は、宇治川に、田夢と、呼ばれる大型兵器を造られていたのだ。


田夢。音は、だむであり、平時は、文字通り、田んぼに対して夢の様な出来事が起こすものだ。

宇治川の氾濫を食い止めるばかりか、稲作にとって、その日、その日の気候や温度に合わせて、最も適量の水が、毎日安定して流れ込み続けるものである。


それが、戦時となれば、自由に川の流れる速度や水量を操り、多くの者を溺死させる兵器となるとは、思いもしなかった。


開戦時。

一条家側は、竹中半兵衛殿の指示に従い、軍備が整わずに焦っている様に演技した。主君である信長公は、開戦直前まで陣内で酒盛りまで始める次第であった。

そして、開戦した途端に、全軍が大きく後退した。


更に、急流で知られる宇治川が、不気味な位、穏やかな流れであった。

馬に乗った武士だけでなく、何も持たない足軽兵すらも歩いて渡れるくらいだ。


無論、それには理由がある。

田夢の放出によって、その直後に敵軍を本陣毎、水没させるからである。


竹中半兵衛殿は、無知の罪と言った。


上杉氏側の指揮官が、田舎者の下賎な身分出身であるが故に、古典に触れる機会に恵まれず、本来の宇治川を知らずに戦った罪であるとの事だ。


今は亡き、彼の主君である、一条鎌房様が、秘書官にとって、最も重い罪だと言われた事があるらしい。

だが、この竹中半兵衛殿も、翌年の関ヶ原の決戦後、その命を戦地で散らされた。


どうせ死ぬなら陣中で死にたい。


この言葉は、一条家側の兵士達に伝わり、大きく士気を高める結果となった。


己の死すら勝利へと導く布石とする。

これこそが、謀神こと竹中半兵衛の最期に相応しいと、強く思った。





一方、京の北側から攻めてきた上杉氏側の軍勢は、余りにも恥知らずな行為を行った様だ。


御所に対して砲撃を行ったのだ。


余りにも罰当たりな、赦されざる行為である。


結果、無論であるが、陛下は、お怒りになられた。

そして、陛下の名において、


北は、蠣崎氏や安東氏、伊達氏や蘆名氏等の諸大名達へ、


南は、大友氏と島津氏に、


それぞれ、一条家の元、一致団結して、逆賊上杉氏を討伐する様、勅許を下された。

心天稀しんでれら城を早々と放棄し、京の街に籠った一条家の目論見通り、挑発された上杉氏は、一見、城に見える御所へ砲撃を加えたのだ。



これより、上杉氏は朝敵の汚名を被り、

日ノ本の各地からの総攻撃を受ける。


そして、


一条鎌房様亡き一条家と、

北畠具教様亡き北畠家と、

京極高吉様亡き京極家の、


正親町三房家の没落と共に、

上杉氏、否、共産主義者共は、

この世から完全に姿を消した。



だが、しかし、長年、日ノ本を引っ張ってきた一条家の没落後、再び、日ノ本は戦乱の炎へと包まれる事となった。


もう、某も、歳だ。

某から後世に伝えるべき事は全て伝えた。

某が死んだ後の、

北の雄こと伊達政宗様と

南の覇者こと島津義久様との戦いを記す事は、某の仕事では無い。


某が今、伝えるべき事は、ただ一つ。


今は亡き某の主君である織田信長公の唯一無二の親友である、一条鎌房様の言葉だ。


経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史からなにかを学ぶといったことは一度たりともなく、また歴史からひきだされた教訓にしたがって行動したことなどまったくない。




この言葉は、岐阜城にて、地球儀を片手に、一条鎌房様が、織田信長公に対して語った言葉である。


これは俺の言葉では無いがな


と、一条鎌房様は、笑いながら告げた後、政府とは如何なるものなのかと、云うことを説明された。


そして、


だからと言って、俺は人々に希望を持てない訳じゃない。救いようが無いと、見放す訳でもない。

むしろ、その逆だ。

俺は喜んで、歴史を学ぼう。

そして、人々に歴史を学んで貰う為に学校を作ろう。

仮に、平和になり、人々と意見が合わず、一条家が不要となったならば、俺は喜んで一条家を滅ぼそう。


為政者とは、人々を押し付け、操作する者では無い。忠恕の精神を忘れるな。

自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる精神の事だ。

陛下が、そして、政府なる者が、この忠恕の精神をもって、国を統治し、

官僚を優秀な者で固め、

民衆に誠実さを忘れ去らぬ様にすれば、

この点の様な日ノ本も世界へと翔く。


後、200年もすれば、明は終わりだ。

新大陸を発見した英国が世界を制す。

その時に、この小さな日ノ本はどうだ?

まだ、島の中でちっぽけな争いをしているのか?それでは、この国はどうなる?

このままならば、日ノ本と云う国が消えてしまう。

分かっていると思うが、これからは、鉄砲の時代だ。より強く、より遠くへと飛ぶ鉄砲を開発し、速やかに、朝鮮を、琉球を、そして、明を滅ぼさねば、日ノ本は東洋の覇者として君臨出来ぬ。


と、言い、飢える苦しみが去った日ノ本の民と、海を挟んだ世界を見ておられた。


そして、某は思うのだ。


今、この時も、一条鎌房様は、夫婦親子と共に、海の向こうから我等を、日ノ本を、この世界を、見ておられるのでは無いかと…………



作者として、自己投影している一条鎌房を、自分の手で殺す事も、最期を描く事も、精神的にキツくて出来ませんでした。

後味は悪いと思います。

でも、これで完結です。


今まで応援して下さった読者の皆様に感謝しております。

本当にお世話になり、有難う御座いました。

次話は、Wikipedia版です。

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