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九月廿九日戌刻西に当而希有之客星出来候也


「うあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」


喉を裂かんばかりの父上の絶叫が、

屋敷内に響き渡った。


それから………………




「九月廿九日戌刻西に当而希有之客星出来候也」


天正五年。


この年は、一条家にとって、そして、流星と共に両親と妹を無くした兄上と麿にとって、最悪の年であった。


特に、兄上にとっては、絶望でしか無かったであろう。



母上の訃報を聞き、大急ぎで大友家と、表向きでは、婚姻による同盟を、実質的には、和睦を結んだ兄上は、中国大返しを行って、僅か10日で京へ戻ってきた。


そこで待ち受けていたのは、母上に次いで、妹、凛の訃報と、父上の行方不明と云う報告だ。


更に、父上が纏めた遺書に従って、兄上が父の跡を継ぎ、武家としての一条家の当主と成らねばならなかった。


幸いにも、長年に渡る大友討伐のお蔭で、兄上の支持は堅く、唯一、懸念されていた京に残っていた武将達も、秘書長官である竹中半兵衛が率先して付き従った為、一条家は再び、兄上の元で一致団結する事が出来た。


兄上の補佐には、祖父上や、父上の側近である秘書と任命されていた者達が付いた。




そして、兄、千寿丸の誕生の年の翌年に産まれ、今年で齢十五となった麿は、父、鎌房の従兄弟に当たる一条内基様から偏諱を頂き、一条内雅と名乗る様になった。


その後、諱を頂いた一条内基様や、今は亡き母上の御実家である三条西家の皆様の後押しもあり、公家としての新たな一条家の主として、京で生きている。


麿は、生まれも育ちも、そして、最期の時まで、この京の都で過ごす事になるであろう。


しかし、兄上は、祖父上の時代の様に、土佐の中村御所に本拠を戻すかも知れない。

近頃の兄上は、父上から受け継いだモノを守る事に必死になり過ぎている気がする。


攻撃は最大の防御


と、云う、父上の御言葉を忘れたのであろうか。

次の茶会で和歌を詠む機会があれば、兄上にその言葉を思い出させる様な歌を詠もう。



そして、翌年の天正六年。


兄上から、良い知らせが二つあった。


兄上や官兵衛を、中国攻めの際、散々に痛めつけた大友氏の軍師、角隈石宗。


父上がお創りになられた、万里の長城を乗り越え、畿内へと快進撃を続ける上杉氏の当主、上杉謙信。


この双方がこの世を去った。


大友氏内では、我ら一条家とのより強固な同盟をとの声が主流であり、

又、上杉氏内は、家督争いで割れており、その隙を突く形で、京極氏と北畠氏が勢力を盛り返しているそうだ。


ただ、時節、私の脳裏をよぎる言葉が本当であったとは、この時は知る由も無かった。


嵐の前の静けさとは、やはり、この年の不安定な平和の事を云うのであった。





この叫びが鎌房の最後の台詞ですwww

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