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中国攻め

この話以後、鎌房は殆ど出て来ません


1569年。


僅か7歳の一条千寿丸が総大将を務め、傅役である黒田官兵衛をその補佐とした10万もの大軍が、本州から山陰道へ向かったと同時に、一条房基が総大将を務め、土井宗珊をその補佐とした3万の大軍も四国から山陽道を目指し出発した。


両総大将の年の差は、一条鎌房が聖なる数字として掲げた39(ミク)であり、非常に目出度いと無理矢理、景気づけられた両軍は、3年前の1566年に家督を継いだ島津義久や、6年前、有馬・大村連合軍を丹坂峠の戦いで破った龍造寺隆信と連携を取りつつ、中国攻めを行ったのであった。


一方、その頃、京都では。


「半兵衛?居る?」


「はっ、お呼びでしょうか」


土佐一条家の家長である俺が、遠い国の戦争なんぞ知らんとばかりに、嫁さんといちゃつきながら、平和を堪能していた。


「二つに一つの確率で土井宗珊が今年死ぬ。永禄12年(1569年)説と元亀3年(1572)説が……嗚呼、因みに、次の年号は元亀だと占いでは出たのだが。兎も角、念の為、土井の代わりとなり得る様な軍師を、父上の元へ派遣せねばならないのだが、誰が良いと思うか?」


竹中半兵衛は、


「殿は何方を派遣すべきと考えておられますか?」


と、直ぐに聞いてきた。うん、だから、それが困ってるんだよ。


「軍師と成り得る者は、明智光秀と、従兄弟の秀満(光春)しか京に残っておらんだが、今度の茶会の開催場所が本能寺で、黒田官兵衛が備中高松城を攻めていると云う報告が入るであろうから、フラグが…………量産されて…………います、はぃ」


一瞬、悩んだ半兵衛は、微妙な人物を推挙してきた。


「ならば、細川藤孝殿にお任せになれば良いかと」


微妙!確かに、御義父上もまだまだ健在であるし、千寿丸以外の息子も居るから、古今伝授のアレに関しては問題無いと思うんだけど…………


「辞めよう。藤孝殿に死なれると困る」


せめて、今が1563年以前だったならば、吉田孝頼が生きていたんだがな。クソ、戦国のジジイ共は大切な時には死んでるって言うネ。あるあるですよ。


「…………では、殿が懇意にされておられる恵瓊と云う僧は如何でしょう」


AK?えけー?恵瓊?………安国寺恵瓊かッッ!!有りやなってか、完璧過ぎる選択じゃないですか!


「流石、半兵衛!天才か!よし、決まりだ。早速、恵瓊を呼べ」


関ヶ原は、毛利が本気出して、官兵衛が采配を振るっていりゃ、上杉の援軍が間に合って勝てかも知れないが、恵瓊はそれが出来なかった。とはいえ、恵瓊も西の軍師として選ばれるくらいの賢者であるが故に、それ相応の能力はある。


サシの智謀バトルでは、角隈石宗には負けるかも知れないが、今回は官兵衛がメインで、恵瓊がやるのはその補佐だ。石宗と官兵衛+恵瓊で戦う訳なので、恵瓊が大失態を犯さない限り、問題無かろう。


「下間頼廉も付けておくか?」


「それが良いかと思われます」


本願寺町奉行に代わるような役職を作るようにと半兵衛に言った俺は、政務に戻った。まぁ、昼は政務、夜は姫ちゃんと教養のお勉強と、中々忙しいが、恐怖で死ぬよりは忙殺される方がマシだと思う。



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