木阿弥じゃないんです
1568年。
「流石だ!光秀!良くやったぞ!」
本当に流石、明智光秀だ。
豊臣秀吉……じゃなくて、性欲糞猿に重宝された、9代目本阿弥宗家の光徳は非常に有名であり、俺自身も曖昧だが名前を覚えていた。
だが、刀狩り令は1588年に発布されたもので、今より丁度20年遅い。それ故、本阿弥光徳の時代では無く、非常に困っていたのだが、
「本阿弥三郎兵衛か。宜しゅう頼むぞ」
光徳の前代の本阿弥宗家、本阿弥光刹をGETした。
いやぁ、本当に明智光秀には迷惑を掛けた。
まず、俺が本阿弥では無く、木阿弥と誤字って覚えていた事が問題だった。
しかも、命令は口頭で述べる為、
ほんあみ
から、
もくあみ
に音が変わっており、そこで食い違いがあったんだよな。まぁ、最終的に何とかなったから良かったけど。
翌日、本阿弥三郎兵衛こと、本阿弥光刹が家臣団の面々と顔合わせをした後から、一条家が所有している刀の鑑定作業に移った。
そして、それが順調に進んでいると、満面の笑みで伝えた明智光秀を信じ、俺も満面の笑みで刀狩り令を発布した。影丸に名物厚藤四郎を渡して以来、長らく俺の頭を悩ませた、刀の贈与問題はこの様にして終焉を迎えた。




