フラグ建築|ω・)و゛ ㌧㌧ ㌧
1567年。マイルームにて。
「歩き巫女との今月の接触は無事、終了致しました。殿の仰る、望月千代女であろう者とは未だ対面する事は、叶わなかったです。それと、北畠領での現場の声として、マジノ線なるものの建築は不可能であるとの事です」
影丸は、伊賀の三大上忍が一条家に仕える事となってからやけに張り切っていた。
先輩として、同業者として負けられない何かがあるのであろう。仕事の効率が上がるから尚更良かった。
武田信玄には、元祖厨二病患者こと軍神・上杉謙信が畿内に攻めてこれない様に突っついて貰っている。
万里の長城の骨組みすら終わっていない現在、本当に信玄公にはお世話になっている。
精々、俺や信長の野望の為の踏み台になってくれ。
「そうか。マジノ線は無理か。大砲がいきなり地面から出てきたら、信長も驚くと思ったんだけどなぁ」
「しかし、城郭に直接設置し、砲を砲郭内に収める事は可能です。射界は狭く、壁に孔を穿った所に並べるだけでは有りますが」
流石、影丸。代案を用意していたのか。でも、砲郭か。砲塔や高角砲の下位互換だった気がする。
「その砲を上下左右、自由自在に方向を変える事は出来ないのか?」
上下運動は、淡路島の海岸沿いに設置した沿岸砲台の方から、45度固定から、3段階の角度変更が出来る様になったと報告が上がっていた筈だ。
「はっ、後で遣いを出しまする。その他、落とし格子や殺人孔等の仕掛けは重要機密である為、慎重に建設に取り組むとの事です。
又、丸太足場と手すり先工法の組み合わせにより、従来の大規模な建築時に比べ、転落死する者が圧倒的に少ないと云う声も上がっております」
慎重に建設に取り組む?京極殿の土木担当がそんな事を言ったのか?
意外だな。てっきり、スピード重視で行うと思ったのだが
…………嗚呼、そうか。影丸が、機密であると、押して、その言葉を引き出させたのか。今回の影丸は、冴えてるな。
因みに、落とし格子は、鋼鉄の柵が落ちて来て行く手を阻み、あわよくば下に居た敵を粉砕するものである。殺人孔は、施設内に侵入された際に、上の階から石や熱湯等を落とす為の穴だ。
「左様か。して、手すり先送り法だけで無く、手すり据置方式も使われておるか?それと、命綱や落ちてくる者を受け止める網も使っておるか?」
「何れも利用され、安全面での実績を出しております」
おお、それは良かった。俺は白起の様に生き埋めにするのは趣味じゃないからな。否、白起の場合、生き埋めにした40万人は敵兵だったか。
うん。でも、捕虜は大切に扱おうね。第1・2次世界大戦でもいえる事だけど。
小説読んでいた時、鐘離昧が生き埋めにしようって主人公に進言していたけど、アレは項籍(項羽)の影響なんだろうか?
項籍(項羽)も確か、生き埋めしていた筈だからな。しかも、白起とは異なり、嬉々揚々と。あっ、これは俺の独断と偏見による勝手なイメージだけど。
「現在、骨組みと塹壕を掘る事を並行して行っているとの事で、我等の大筒や馬防柵に朝倉も攻めあぐねており、最終防衛ラインである塹壕には未だ敵兵を寄せ付けておりません」
「京極の兵も強いな。我等、一条家に出来る事と云えば、物資と技術の提供だけであるが、現場で何か不足している物は無かったか?」
影丸が伝える情報だからこそ、京極の兵の強さを素直に評価出来る。彼奴等、忍者衆は、俺に事実を提供する事に関してピカイチだからな。
朝倉対策には、京極殿が盾となる事が決定した。自ら買って出てくれたので、最大限の支援は惜しまない事にしたのだ。
「はっ。こんけりいとぅと、云う物が慢性的に不足しているとの事でありまする。それと、これは現場で密かに言われていた噂話には過ぎませんが、鉄筋が一時的に不足した為、竹で代用したらしいです。逆に、手押し車や、ぴける、しゃあべるは、余っているとの事です」
竹筋コンクリートっ!?今は、第二次世界大戦末期か!帝国軍が使っていたと、記憶しているが……その耐久性は知らないな。大丈夫なのかな?不安になってきたぞ。
でも、今更、鉄筋に取り替えろとか言って、無駄な時間と金と労力を出すのは嫌だな。今は、多少、雑であっても、万里の長城を築き上げる事が最優先だ。
手押し車やピッケル、シャベルに関しては、一条家側からレンタルしていたものであるから、余っている分だけ返して貰おうか。
「影丸、良くやった。後で褒美をやろう。その代わり、最後の噂話は、竹が使われた場所だけ纏めた後、忘れろ。良いな?」
「はっ」
俺がこの時に渡した褒美は、忍者衆や同業の草木衆だけで無く、他の名だたる武将達にも多大な影響を与えたものであった。
その事が原因で、俺は忙しい日々を過ごさざる得なくなる。そんな事も露知らず、俺は影丸に、鎧通しとして有名らしい名物厚藤四郎を渡したのだ。
足利家に奇襲を仕掛けて滅ぼした時に、何となくこれ美しいなと、取っておいたものである。家臣達の中では、俺が珍しく大切にしている短刀として有名だったらしい。
後日、愛洲先生が、俺にもなんか名刀くれよと、ねだる感じで教えてくれたから知ったのだが、俺的には取っておいた事を忘れていてて、どうせ使わないならと、渡しただけに過ぎないんだがな。




