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散り際の台詞くらい、臭くても良いだろうがw


1567年。押小路烏丸殿。


現代は、漫画ミュージアムがある……それのちょっと北の方やな。


「一条はん、麿はたまげたぞ」


「准三宮宣下、おめでとうございます」


准三宮とは、じゅさんぐうと、読む。何故、男性である二条晴良様が、"宮"の字が入っている役職に着いているのか不思議だって?

良いじゃないか。俺様が京で鍛えた貴族らしく振る舞う為の知識集から教えて差し上げよう。


まず、当代の天皇陛下の奥様が皇后様。先代の天皇陛下の奥様が皇太后様で、先々代の天皇陛下の奥様が太皇太后様と呼ばれ、その三后(三宮)に準じる程の安泰を保証する役職が、准三宮である。


つまり、馬鹿でも分かる事として、天皇陛下からめっちゃ良く見て貰ってるから准三宮貰えるんやし、この人と仲良くしとかなあかんっちゅう事や。


だから、挨拶に行ったんやけどね。


「嗚呼、それもたまげたが、麿が言って居るのは、北畠はん所に建ててる壁のことや」


壁?壁……ん?万里の長城の事か?


正直、アレに関しては、出来れば公家衆からとやかく言われたくないな。


「陛下から密勅を得ましたので」


俺は、素っ気無く、簡潔に言う。その後、あんまし関わんなよと、メッセージを込めた、気持ち悪い位の満面の笑みで二条親子を凝視すると、退出した。


押小路烏丸殿から出ると、俺は九条家の屋敷……なんて名前だっけ?

兎も角、そこへ向かった。次は、九条稙通様に会う。


その道中、鬼才の秘書室長から声を掛けられた。



「殿」



その者の名は竹中半兵衛。


秘書長官と云う役職は彼の為に作ったものだ。


大日本帝国陸軍の様に、参謀総長(俺)はあるものの、参謀副長は存在せず、そのまま下に秘書が来る感じなのだ。だから、実質的には、竹中半兵衛は参謀副長と云う事だな。


因みに、階級は、俺が大将で、半兵衛は小将となっている。勿論、正親町天皇が大元帥だ。まぁ、建前上だがな。因みに、元帥は隠居した時に貰おうと思っている。


秘書長官の直接的配下である秘書には、三直豊利や黒田官兵衛等名高い軍師達が名を連ねている。


三直豊利は、画期的な在庫管理システムを考案した事で有名な、戦国時代を代表する軍師の一人で、史実ならば、織田氏の家臣である前田利家の部下として活躍した。


同年代の武将竹中重治と共に「伏竜鳳雛」または「今士元」と称された人物である。俺は人物マニアだからね。頑張って捜し出したよ。



「嗚呼、わかっている。半兵衛、朝廷へのを再度確認せよ。織田や朝倉の臭いがプンプンするぞ」


土佐時代から存在する忍者衆が俺直属の情報機関であるならば、草木衆が秘書長官直属の情報機関だ。


草木衆は、藤林長門守と服部半蔵と百地丹波と云った伊賀の三大上忍が仕切っている。


北畠家と共闘して伊賀攻めを行った際、早々に降伏して来たので竹中半兵衛に押し付けたのだ。彼等程の優秀な忍びであれば、朝廷の裏切り者を炙り出す事など容易であろう。


「はっ」


そう返事した竹中半兵衛が、何処からともなく現れた百地丹波に指示を出している所を横目に俺は九条家の屋敷に足を踏み入れた。



丁度その頃。三条西家の屋敷では、4歳の俺の息子、千寿丸が、嫁さんと嫁さんの御父上であられる三条実枝様とキャッキャウフフと蹴鞠で遊んでいた。


土佐から呼び寄せた飛鳥井雅量に、鞠道八足の図を黒田官兵衛に与える様に命じ、千寿丸には蹴鞠の秘儀を教えさせている。


飛鳥井氏は、この道のプロだからな。出会う度に、何故か嫁さんがべらぼうに蹴鞠が上手くなってるのはご愛嬌だ。


中に半ヒキニートが入っていた俺とは異なり、年齢ならではのヤンチャな糞ガキだからか、千寿丸は外で遊ぶのが大好きだそうだ。


だが、俺の智力も受け継いでいるのか、賢いらしい。基本的に、傅役の黒田官兵衛はまだ遠くから見守る事が仕事だ。コミュニケーションを取ったり、兵法や政治を指南する事はもう少し経ってからで良い。


ましてや、黒田官兵衛が刀を持って常日頃から千寿丸の警備等する必要が無い。屋敷内は数十人もの忍者衆が姿を隠して何時でも襲撃に対応出来る様に備えており、三条西家の屋敷付近は名だたる剣豪達が日々、昼夜問わず徘徊している。


実は、この警備員の数。昨年に起こったとある事件を切っ掛けに倍増された。


1566年。清水寺で、丸目長恵先生が幾多の名高い剣豪、否、剣聖達に認められた事を祝って俺が、三条西家の屋敷で開催した茶会があった。その時に、狙撃されたのだ。


その鉄砲の弾は二発とも嫁さんに掠りもしなかったが。


一発目は、俺が避けたら無論の事、抜刀術でぶった斬っても破片が嫁さんに当たりそうだっから、身体で受けてた。むっちゃ痛かったよ。


二発目は、塚原卜伝殿が真っ二つに斬り、双方の破片を上泉信綱師匠と愛洲宗通先生が更に細かく斬って無力化してくれたらしい。その時には既に俺は気絶してたから後から聞いた。


後日、狙撃犯として捕まった人物は、史実なら信長を狙撃しようとした甲賀の忍者、杉谷善住坊だった。


おま、史実同様に二発撃って捕まったんか!


なら、史実同様の殺し方してやんよ!竹鋸持ってこいっ!嫁さんを射線に入れた罪や!クソっ!此処が拷問器具が沢山あるヨーロッパじゃ無い事を恨むぜ。せいぜい、苦しんで死ぬ事だな!


杉谷の処刑の日が、この人生で一番怒った日だった。



掠り傷で済んだ史実の信長に負けたく無いのと、俺の名誉の為に言っておくが、この世界の杉谷は、狙撃目標が避ける気が無くて、寧ろ当たりに行ったから狙撃成功しただけだと云う事。


とは言え、そこまで致命傷では無いんだよな。当たる前に嫁さんを無理矢理押し倒して軌道からズラし、俺も城一個分の価値の茶器を盾にし、更に半身になって臓器のある場所からはズラしたから。

時間的な余裕があったのはここまでで、後は当たるしかなかったとはいえ、後から何度考えても最善手だったとしか思えない。撃たれた直後、嫁さんに向かって、


「お前を守れて良かった……」


と、気絶する前に言えたのもデカい。と云うか、これが男として信長に圧倒的に勝る点な。


惚れ直してくれたからな。ってか、あの後が一番、嫁さんが積極的にイチャイチャしてくる。人生最大のモテ期だわ。やっぱ、命を掛けた甲斐はあった。


それの副産物として、甲賀攻めの大義名分も得られ、後日、俺の見舞いに来た竹中半兵衛と、その部下達もゲット出来たしな。


え?竹中半兵衛は、今が1567年だから、史実通り、斎藤龍興が織田信長に稲葉山城を追われて没落した為、斎藤家を見限って去る時に、呼んだんだろうとは、分かるけど、何故、伊賀の忍者達が降ったかって?


そりゃ、敢えて軍勢を迂回させて伊賀から攻めたからに決まってんでしょ。伊賀と甲賀の対立関係を使うのは当たり前だよね。


制圧後、兵が足で踏み固めた複雑に入り組んだ山道の舗道整備は、竹中半兵衛に丸投げした。六角義賢が伊賀国の4郡の内の3郡を関節統治しているが、彼奴なら何とかするだろう。と、云うより、何とかして貰わねば、いきなり外様の若僧を秘書長に任命した俺の立場が危うい。


彼奴自身、その事が分かっている様なので何も言わないが。


正直、史実とは異なり、早々と浅井長政が歴史の表舞台から去ったのが痛い。史実より、六角はダメージを受けておらず、討伐するのが非常に面倒だ。


とは言え、正親町天皇から勅命を頂ければ、京極・北畠・土佐一条家の三家合同でぶん殴る訳ですが。


浅井氏や畠山氏、波多野氏等の近畿の大大名を滅ぼす時に行ったので、今では三家合同作戦の連携度は抜群だ。三家合同作戦の三家と云うのは、実質的な司令系統の事を指し、名目上は、正親町天皇をトップとした皇軍に居る三人の大将から独自に別れるそれぞれの軍閥の事を言う。その事が理由で、連携度が抜群に良いのだ。


要は、軍の方針が個々の武功より、全体の、もっと言えば頂点である陛下の願いを叶える事に重きを置いているからだ。故に、陛下の為に自主的に団結し合う。内基君に上奏する様に頼んでいるから、六角も直ぐに滅亡するだろうな。







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