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初の一条鎌房と婚姻・血縁関係の無い、モブでも名前だけの登場でも無い女性キャラクター?

足利尊氏ファンの方すみません。

全て、摂関家教育による偏見です。


1565年の某日。


「出来るか?」


俺は、とある女性を自室に呼んで秘密の会合を行っていた。

勿論、あっち系の事では無い。

目の前の女性は、四十を越えているのにも関わらず、凄まじく魅力的だが。


「私に出来ないとですとも?」


少し高圧的に怒っている美魔女の通称は、小少将。


岡本牧西の娘で、史実では、細川持隆・三好義賢・篠原自遁・長宗我部元親と四国の大名を取り替え続けたビッチとして有名なあの魔性の女。


一条家による三好討伐時に行方不明となっていたが、忍者衆が四国中を駆けずり回って何とか探し出したのだ。

その後、ずっと俺が保護していた。対親父の切り札として。


「なら、大船に乗った気持ちで任せるぞ」


どっちかと云うと、此奴の方が鄒氏だな。


親父、これで気付いてくれ。せめてもの情けだわ。


俺は、部屋から出ていく小少将の姿を見ながらそう思った。






「これより、帝の兵として我等一条家は、倒幕を決行するッッ!!!」


「はッッ!!!」


大友家や京極家等の同盟関係にある人だけで無く、親父にすら秘密の、一条鎌房・北畠具房連合軍による対足利戦争の火蓋が切られた。


万里小路輔房様も書類上は出陣している(名代を置いている)ので、今三房軍ですね。大義や外見的な名目上は。


これには、れっきとした大義がある。


その為の、再来の三房作戦は凄まじい成果を上げた。


時は、正親町天皇の即位の礼の頃まで遡る。



1557年。正親町天皇は、父の後奈良天皇の崩御に伴って践祚した。


当時、公家だけで無く、天皇ですら貧窮していた。


史実ならば、正親町天皇も毛利元就の献上金があるまで、3年間即位の礼を挙げる事が出来なかった程だ。


更に、本願寺法主・顕如は、天皇から門跡の称号と、京都からのキリスト教宣教師の追放を命じて貰う代わりに、莫大な献金を行っている。


そう、史実ならばだ。


だが、俺の存在により歴史の歯車が狂った。


まず、俺は、逆賊陶晴賢討伐時代に、大寧寺関係者の御公卿方を京都まで運び、その後、後奈良天皇の崩壊の報せを聞くまで滞在していた。


その後、正親町天皇の即位の為に、石鹸等の献上品や、それを堺で売って作った莫大な献金を送っている。


勿論、その後も引き続き、一条本家や、大寧寺関係者の家にも献金している。こうして、土佐一条家の金庫がすっからかんになるまで出しているのだ。


その後、鉱山が見つかったので土佐一条家の金も増えたし良かった。



兎も角、正親町天皇は、金を素晴らしいタイミングで沢山納めてくれた餓鬼を覚えて下さっていた。


後で調べられると、摂関家・一条の庶家の跡取りと分かり、家格もまぁまぁ高い事が決定打となったのか、御蔭で、正親町天皇は、初めから俺に好印象を抱いて下さっていたのだ。


その後、三房として帝に忠義を誓い、後醍醐天皇が祀られている天龍寺を初めとする京都中の寺社に参拝し、誓を建てた。


無論、応仁の乱で焼け落ちた寺や神社には復興として多額の御布施をした。


だが、マトモな運営がされておらず、酒池肉林の生活を送っている延暦寺等の寺は後日、軍勢を率いて焼き落としましたとも。


焼き落として略奪も少しばかりはしましたとも。まぁ、兵が勝手にやった事にしており、俺は責任から逃れているが。


そこら辺は切り替えだ。



兎も角、他の貴族様方からの協力も有り、我等、一条鎌房・北畠具房連合、三房軍は、正親町天皇から直々に錦の御旗と倒幕の密勅を頂いたのだと、後から口裏を合わせて頂ける様になったのだ。


責任?それは、万里小路輔房様が取るに決まってるだろ(満面の笑み)



錦の御旗(偽物)を掲げ、奇襲を仕掛ける。将軍からすれば、上洛した武将が、帝の次に将軍家に謁見しに来たのだなと、しか思っておらず、まさか攻め滅ぼしに来たとは考えもしなかっただろう。


将軍足利義輝を捕縛し、戦闘は直ぐに終わった。後日、適当な罪名をでっち上げて、公開処刑の晒し首にしておいた。


これで、幕府の権威も堕ちるであろう。まぁ、そもそも落ちる所までいったのだから、権威もクソも、落ちるものすら無いだろうがな。




だが、厄介事はこの後にある。


まず、黙っていた人からの苦言。それは全て、密勅の二文字で方が着く。帝から内密にせよと、賜ったのだと言えば良い。


しかし、外の敵が面倒なのだ。


例えば、上杉。


室町幕府成立時から関東管領になっており、元祖厨二病患者が治めている勢力。


大体、俺は毘沙門天の生まれ変わりだとか、恥ずいだろ。


せめて、爆ぜろリアル、弾けろシナプス。我が名はゴッドストリームバーストセブン、闇の焱に抱かれて云々と、すれば良い。


…………あっれれぇ?同レベルだゾ☆


それと、大友家。


宗麟自身が物凄く将軍に接近してて、大友家傘下に四職の四分の三が揃っているからね。


赤松・一色・山名と。残りの京極は、現在、独立勢力を誇ってます。全員、敵対したくありませんね。


最期に、信長。


絶対、大義(笑)を掲げてやって来るよ。彼奴と戦いたくない。


今は、イベント名:一条家のお家騒動続編が、絶賛進行中なの!攻めないで!頼むから。


この前、ワロタとか言ってすみませんでした!



一方、北畠家は滅茶苦茶大喜び中だ。理由は簡単。南北朝時代から室町幕府と対立していたからな。


例えば、1338年、足利尊氏……否、あん野郎は足利高氏。此方の字で十分だ。


天皇陛下の諱を賜るなんてけしからん。


諱とは、いみなと、読み、天皇陛下の本当の名前である。


俺が厨二病患者なので、真の名とか格好良過ぎるもんの一部貰いやがってと、本気で羨んでいるだけだ。


僻んで……いるかもな。俺も正親町天皇の諱を頂戴しとう御座いまするッッ!!


若干、ほんの僅かばかりだけど、高氏にも高貴な血が流れていたっけ?


一応、野郎とか言ってすみませんでしたと、謝っておく。でも、観応の擾乱で弟を毒殺する輩だからな。嫌いだ。しかも、田舎者だし。食べる時にクチャクチャ音を立てたり、声とかデカそう。(摂関家教育による偏見)


話を戻そう。先程の年代で分かったかも知れないが、1338年、足利高氏が征夷大将軍に任命された年、新田義貞と共に北畠顕家が戦死している。


翌年には、後醍醐天皇が崩御され、力を失った後村上天皇の為に、北畠親房が『神皇正統記』を書いていたりする。


彼は三房の一人だな。兎も角、この様に、建武の新政時に離反した反逆者の足利高氏に対抗していたのだ。


うむ、北畠家は忠臣だな。因みに、足利高氏が本気で後醍醐天皇に逆らったのは、1335年に起こった中先代の乱の鎮圧後からだが、実質上、建武の新政成立時に既に距離を置いていた為、その頃から逆らう気満々だったとわかる。狸めっ!



と、云う歴史背景は知っているが、これからの対外政策はどうしようか。そんな事を思いながら、俺が率いる一条家は、山城国を本拠地とし、錦の御旗を掲げる別の一条家勢力となったのであった。


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