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え?正々堂々(満面の笑み)ですが何か?


1557年、秋。


「誘ふとて 何か恨みん 時来ては 嵐の他に 花こそ散れ……か。史実を知る俺からしたら愚直な歌だなとしか思えねぇな。にしても、俺は嵐を呼ぶ男か?良いじゃねぇか。なぁ、影丸?」


京都から俺が帰り、本気を出すと、大友晴英自刃の報があっという間に戦場を駆け抜け、我々、逆賊陶晴賢討伐連合軍は解散した。


中国から帰ってくる毛呂智舟二号と安芸国で合流出来るまで、宴会をして時間を引き延ばし、親父が河野氏を攻めたと云う報を受ければ、ズラかる予定だ。


「はっ!若様は素晴ら……」


普段と変わらずいつの間にか隣に跪居ている影丸。本当に気配を感じさせない。


「じゃなくて、父上に大友晴英自刃の報は送っているのか?」


「勿論で御座います。現在、陶鶴寿丸の捜索をしている故、其方にこの報が届けば直ぐに河野氏に攻め入って欲しいと、記しております」


俺は、完璧だと、影丸を褒めながら、村上海賊について考えた。


攻め滅ぼすか、金で買うか。

金で買うならば、船はどうするのか?

小早船のままでいくのか?

それとも、毛呂智舟を使わせるか?


俺の調略次第か。寝返って欲しいと云うのでは無く、犬死にしたくなければ寝返らなければならないと云う状況を作るのだ。



影丸から、親父が河野氏を攻めていると云う報告を受けると、宴会から抜けて河野氏より早く伊予国の松山城へ向かった。


瀬戸内海側から素早く攻め落とすのだ。既に村上海賊も此方側に寝返っているので時間稼ぎは彼等がしてくれるだろう。


伊予国を駆け回り三ヶ月、親父と連携した為か、効率的に河野氏を従属させる事に成功し、他の豪族や国人達も恭順を示している。


伊予国と土佐国の二つの国を完全に手中に入れた一条家は、俺の計画通り、対三好戦の準備に取り掛かった。



「父上。来年(1558)、三好長慶が上洛し、十三代将軍足利義輝を推戴します」


親父は、これも陰陽道かと、呟いた。


「で、如何する?」


「これを機会に停戦条約を破棄し、四国から三好勢力を追い出します。その為に、今、松永久秀を調略しております。同時に、讃岐国を守る十河一存の暗殺を遂行中であります。讃岐は私が担当します。父上は、帝から賜った阿波権守を大義に阿波国に攻め入れば宜しいかと」


俺の鶴の一声で評定は終わった。その晩、俺を私室に呼び出した親父は腕を組んで、近畿の三好勢力はどうするつもりかと聞いてきた。


「阿喜多を北畠具房殿に嫁がせるのが得策かと。しかし、条件としてこれより十五年前以内に近畿に我等一条家の勢力を置き、その三年後には、美濃からの侵略に対して北畠家の盾となり得る土地に幾つかの城や砦を築き、我等一条家の中でもとりわけ屈強な兵を入れる事。そして、北畠具教殿の弟である未来の逆賊、具政を排除する事を求めます」



本当は俺が雪姫ちゃんを娶りたかったんだが、年齢がよく分からないんだ。


北畠具教の四女で、1569年に9歳の織田信雄の妻となり、1576年の三瀬の変で死んじゃったけど、蘇って1585年に織田信雄の娘、小姫ちゃんを産んで、1591年に小姫ちゃんが僅か6歳で死んじゃうと悲嘆に暮れて、翌年の1592年に再び死ぬんだよね。


雪姫伝説と云って、三瀬の変の時、桜の木に縛られた雪姫を何処からか現れた白い狐が縄を噛み切り、逃がすと云うものがあるが。


嗚呼、兎も角、これで雪姫ちゃんは二度と蘇る事は無いのだが、この蘇り癖は娘の小姫ちゃんに受け継がれる。


『寛政重修諸家譜』によると、佐々一義と再婚して1641年に再びお墓へGOするのだ。


うん、謎の母娘。歴史好きしては、魅力的過ぎません?


でも、北畠具教は、1547年に嫡男の北畠具房を、1552年に次男の長野具藤を、1554年に三男の東獄を、1560年に四男の北畠親成を産んでいる。


尚、三男の東獄は側室のまつが産んだ子なので、親成を三男として見る事が出来る。さすれば、雪姫ちゃんは四女なので少なくとも60年以後の誕生となる。


うん、今の俺と年齢が釣り合わねぇ……クソッタレめ!でも、1528年生まれの信長の最愛の嫁、吉乃ちゃんは、1556年に起こった明智城の戦いで夫の土田秀久を失い、若造の信長と結婚してるよね。



え?俺の話はこれ以上要らない?


いやいや、ちょっと待て。俺の嫁自慢をさせてくれよ。


三条西実枝の娘さんだ。え?どっちのって?そりゃ、年齢的に考えて、史実ならば、高倉永孝に嫁ぐ方の姫様だ。


今は、北の方と呼ばれている。俺の屋敷の北側の部屋で生活しているからな。


俺よりちょいと年上でめっちゃ綺麗だぜ。平成日本なら100人の内300人が振り返る程だ。惚気補正?入ってるかもな。


あんまり俺の言ってる事を理解してくれ無いけど、元からそこは期待して無いし良いんだ。ちょっと寂しいけどな。


でも、ちゃんと俺のギターでの弾き語りも笙の演奏もボカロの熱唱も聞いてくれるし、和歌を詠みあったり、舞ったりしてるんだぜ?


転生前にモテたいからと花屋でバイトしていた俺は、江戸時代を先行して生け花を教えた次の日には、茶室に花が生けられてたんだ。神だろ?


転生させた女神をさっさと神の玉座から引き摺り下ろして、うちの嫁さんに座らせてやりたいよ。


まぁ、惚気はこのくらいにして、その前にこんな良縁を紹介して下さった方々について記さねばならないよな。



天才的な(歴史を知っているだけ)俺様は、1550年の時点で、親父の名義で二条尹房様に来年には絶対に大寧寺には行かないようにと繰り返し書状を送っていた。


怪しんだ彼だが、陰陽師の事を永遠と書き綴られ、式板に表れた劣悪な結果の意味が分かったのか、1551年の大寧寺の変に巻き込まれずに済んだ。その後、彼等は大友晴英を頼って落ち延びたんだ。


そこを、逆賊陶晴賢連合軍を動かしている時、一条家の軍勢が関白左大臣二条尹房様、良豊様親子、更に、三条公頼様も救出したんだよ。


いきなり出てきた三条公頼様についてだが、史実では、二条様親子と同じく彼も大寧寺の変で巻き込まれて死んでいる。ええ、ちゃんと彼にも書状を送りましたとも。


そして、彼等に4年間も待たせてしまった事を謝罪し、毛呂智舟で日本人の精神こと超絶丁寧なおもてなしをして、戦の途中でも京都に連れて帰りました。


丁度その頃、俺も出来るだけ長引かせたかったから、コレ幸いと云う感じですよ。


そこを勝手に勘違いして下さった関白左大臣様は、一条本家に俺の素晴らしさについて色々言ってくれ、内基君や奥方様がそれに便乗。


更に、西園寺公高様が京都の西園寺本家に一条鎌房様(俺)は素晴らしいと云う内容の書状がジャストタイミングで送られてきた為、京都では、土佐一条家の跡取り凄く公家にも部下にも優しい良い子と云う噂がたったのだ。


お陰で、伊予西園寺家は攻めて従属させたのにも関わらず、西園寺本家の方々からの印象は悪化しなくて済んだ。


公高君の手紙?50人の部下を率いる為の条件の一つですよ。二条様を救い出した後に、影丸に言われて書かせました。影丸、ナイスアイディア!



特に俺の陰陽道のお陰で助かったと思い込んでいる転法輪三条家当主、三条公頼様は、1554年、つまり、陶の軍勢から必死に逃げていた四年間の中で、京都で養子の三条実教様を亡くしておられる。


三条公頼様自身も実子が居ないので、本当に形見であった筈。前世で公家関係をそこまで詳しくは調べておらず、知らなかった俺は、俺のせいで最期の時に会わせられなかった事を本当に申し訳無いと謝っていた。


だが、公頼様は大人だった。俺は悪くないと言って下さり、逆に、俺を息子の様に扱って下さった。そして、俺が数え年で15歳なのに嫁が居ない事を嘆き、良い年頃の女の子が居ないか探して下さった。


で、丁度居たんだわ。転法輪三条家の分家である正親町三条家のそのまた分家の三条西家の三条西実枝に!



因みに、三条西家は大臣家。


五摂家、清華家に次ぐ公家の家格上位層だ。五摂家は文字通り5家、清華家は7家あるから、嫁さんの実家は13番目に偉い家なんよね。


土佐一条家って、応仁の乱後に土着した庶家だから、若干此方の方が家格は上なんだけど、何の官位も無い俺にとっては嫁様、ははぁ!って感じだわ。


それに、嫁さんの母上様は北畠家!俺が、どうせ嫁さん貰うなら北畠家と繋がりがある方が良いですと、公頼様に頼んだ甲斐があったぜ。これで雪姫ちゃんも助けられるな。



俺はこの婚姻を切っ掛けに、北畠具教殿と交流を深めた。【和歌知識】や【笙歌知識】、【茶器知識】は兎も角、【剣技】【剣術】スキルが外交の道具となるとはな。


確かに、北畠具教殿は剣聖塚原卜伝や剣聖上泉信綱から直接、剣を学んだ剣豪。上泉信綱に柳生宗厳や宝蔵院胤栄を紹介したのも彼だ。実際に手合わせさせて頂いたが完敗だった。



そりゃ、俺のスキルは、【剣技】【剣術】【抜刀術】【短剣術】だけ。


恐らく、彼は、

【剣技】【剣術】【抜刀術】【短剣術】に、【精神統一】【締緩術】【足捌術】【歩行術】【調息術】【納刀術】【気魄】等を会得しているんだろう。


この人生がレベル制じゃないのがまだ助けだな。ステータスでは多分、俺が勝っているんだろうけど、スキルの種類と経験値の差だな。取り得る選択肢の幅が違うんだろうな。



「具教様、木鶏の如く……怖過ぎです。やはり、白刄一閃身首処を異にする……ですか。堅忍不抜の精神は隠居してから養います」


「いやいや、鎌房殿もまだ若いのに良う頑張ったと思いますぞ。それ、もう一本」


「はっ!有難く胸をお借りします」


そんな会話が伊勢で行われたものだ。



で、かなり逸れた話を戻そう。


戻して早々に残念なお知らせ。


評定の終わった後の夕方、影丸から報告を受けたのだ。松永久秀は史実通り、北白川の戦いに行ってしまうそうです。クソッタレめ!


十河一存の首を手土産に一条家に寝返ってくれれば楽だったのに。まぁ、松永久秀は三好長慶の覇気がある時期は絶対に歯向かわなかったし、それ所か滅茶苦茶忠臣で長慶の事を尊敬してたんじゃねぇの?って云う感じだもんな。


仕方無い。嫁さんに抱き着いて慰めて貰った俺は、正々堂々(満面の笑み)と讃岐攻めをすると決めた。



親父と共に先ずは阿波に入り、その後、別れて讃岐に入る陸ルートと、毛呂智舟二隻を筆頭に村上海賊の面々から構成される海ルートで攻める。


陸ルートは虎丸城や十河城を、海ルートは天露城を目標に進軍するのだ。因みに、親父の軍勢と共に行くのは、物量攻めをしてくるかもしれないと思って降伏してくれるかもと、云う希望が有るからだ。


どちみち四国は一条家のものとなるのだから、出来るだけ無傷のまま城も土地も手に入れたい。


因みに、大寧寺の変の覚え方は、


ぼっち なかよし の反逆です。


調べ方は、 ほっちながよし でグクること!


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