【探索生活44日目】
朝からチェルは黙って俺の話を聞いていた。
自分の置かれている状況が痛いほどよくわかるのだろう。このまま魔境にいれば、エスティニア王国にも魔境にも迷惑がかかる。下手をすれば、誰かが犠牲になるかもしれない。
「チェル。いくつか提案がある」
「一つじゃないだけいいネ」
「俺としては、メイジュ王国に帰したくない気持ちもあるし、帰して、ある程度王族をぶっ飛ばしてから魔境に戻ってこいという気持ちもある。正直なところ、逃げてきたチェルが国賓として迎えられるなんて一緒に生活してきた俺としては気分がいいしな」
そう言うと、チェルは今日初めて笑った。
「そうですよ。魔境で培った力を見せつけてやればいいんです!」
「今のチェルを止められる者は魔族でもそういないだろうよ」
「け、蹴散らせ!」
女性陣はメイジュ王国に喧嘩を売るつもりらしい。
「行きも帰りもクリフガルーダの飛行船を使えば問題ありませんよ。金を掴ませれば、なんでも言うことを聞くような船長ばかりですから」
リパも乗り気だ。散々、下働きとして見てきたのだろう。
「もう一つの提案としては、この魔境を国として認めさせようか」
「どういうことダ?」
「メイジュ王国は一つの国家として認められているから、クリフガルーダもエルフの国も協力するのだろう。この魔境も国家として認めさせる。たった6人だけどな」
「そんなことできるカ?」
「軍事力だとか経済力だとかはまるで違うけど、城を落として国としての機能を停めてしまえば、交渉できるわけだ。認めなければ破壊して回ればいいしな」
「つまり、周辺国の国力を下げて武力によって国として認めさせれば、メイジュ王国もそう簡単に手出しはできないと言うことだな。テロが成功するとは思えんがマキョーだからな」
ヘリーが補足してくれた。
「チェルさんへの愛が深いですね。マキョーさんは」
ジェニファーの目は輝いていた。
「そうか?」
「だって、チェルさんを守るために、メイジュ王国だけでなく周辺国も相手取るわけですよね?」
「まぁ、俺は店子には甘いんだよ。いや、今は領民か」
「だったら、私のためにエルフの国を滅ぼしてくれるか?」
「ヘリーがエルフの国に利用価値がないというなら、どこまで滅ぼせるか試してみようか」
「いや、やめておこう。マキョーは冗談が冗談にならない時があるから」
ヘリーが手を振って拒否していたら、「利用価値!」とシルビアが手を叩いて大声を張り上げた。
「チェ、チェルにとって利用価値がありそうなら、メイジュ王国に行けばいいし、ないなら行かない方がいい。き、き、気持ちより損得で考えたほうが、ずっと楽だ」
シルビアは現実的だ。
チェルはしばらく黙っていたが、唐突にパンを焼き始めた。
「皆、私がメイジュ王国に戻ったら、魔境に帰って来ないとは思わないの?」
訛りもなくチェルが聞いてきた。
「ずっとメイジュ王国に住むのか? 本当に?」
「魔族ってそんなに美味しい料理を食べてるんですか?」
「そりゃ無理だ。つまらなすぎて死ぬことだってあるのだ」
「た、待遇がいいなら私も行くぞ」
俺も女性陣も、チェルがメイジュ王国に住んで老いていく姿を想像できなかった。
「でも、結婚するならそっちの方がいいのか。子供ができたとしても魔境よりは安全だしなぁ」
「そんなのマキョーさんがチェルさんと結婚すればいいじゃないですか?」
「形式上だけか? 夫としてメイジュ王国に乗り込むのか? どうするんだよ。圧制とかできないぞ、俺は。お茶出されただけで下僕に謝る自信がある!」
「け、形式上とかいう奴はクズだ!」
「形式上だけの夫婦でも浮気されるとムカつくのだ。お勧めはしない」
俺たち4人はバカみたいな会話をしていたが、チェルは無理に真面目な顔をしてパンがキツネ色になるまで焼いていた。
「こいつらはもうだめだ。リパはどう思う?」
「僕ですか! どうって……、チェルさんがメイジュ王国に戻ったら弱くなっちゃうと思うんですよ。ちょっとしか魔境にいない僕ですらクリフガルーダに帰ったら、昔の日常に戻るのに時間がかかると思います。今のところ、僕はそれに耐えられないと思うので、魔境に帰ってきちゃうと思うんですよね」
「意外にバトルジャンキーみたいなことを言うね。リパは」
チェルは再び考えながら、焼いたパンに肉を挟んで食べ始めた。
「なぁに、自分の分だけ作って食べてるんだよ!」
「美味い。食うカ?」
「食うに決まってんだろ!」
チェルにしっかり6人分のパンを焼かせて、遅めの朝飯を食べた。
今日の予定としては、引き続き遺跡の発掘とトレーニングだ。中央森林地帯と名付けられた場所の魔物にも対処できないと、ミッドガードの調査もままならない。
シルビアはヘリーとともに壊れにくい武器の開発をしたいと洞窟に篭ってしまった。よほど固い魔物がいるらしい。
ジェニファーはリパを連れて、鉱物の採取に出かけるという。
「魔物の骨だけでは倒せない相手という者がいるのですよ」
などと知ったような口ぶりだった。
「久しぶりに組手をしようヨ」
チェルは俺と組手。以前は魔力の流れや魔法を習っていたが、今回は本気でやるらしい。魔力を抑える腕輪を外していた。
「じゃ、行くヨ」
「うん、いつから俺が受けて立つ立場になったんだっけな……」
そんなことを言っていたら、特大の火球が襲ってきた。
俺は拳に水魔法を付与して、裏拳で弾く。火球は遠くまで飛んでいき、森を焼いていた。
「洞窟ごと焦げるところだったぞ」
「本気で行くと言ったはずだヨ」
チェルはそう言いながら笑っている。洞窟内にはヘリーもシルビアもいるので、俺が守るのは当然。チェルが予想した行動を取ってしまった。
「もう一発いこうカ?」
「やってみろ」
周囲の森から「ギョェエエエ!」というインプの鳴き声が騒がしくなってきた。魔物たちも集まってきてしまう。
場所を変えなくては。
チェルが火球を作り出すために腕を振った瞬間、俺は距離を詰めて腕を掴み、そのまま沼の方へぶん投げた。
坂を下りて沼から出てくるチェルに拳骨を食らわせようとしたら、チェルは沼の水面に立っていた。
「随分、器用なことができるんだな」
「バランスだヨ。練習すれば誰でもできる……ハズ」
チェルは沼から水球を40個ほど浮かび上がらせて、俺に向けて放ってくる。
岸から距離を取って俺を迎撃するつもりらしい。水球は氷魔法を付与した拳で弾けるので問題はないが、このままだとチェルとの距離が縮まらない。
「どうした? 攻撃されてばかりじゃ組手にならないヨ」
俺も水面を走れるようにならないとチェルの相手ができない。
「まさかマキョーともあろう者が習っていないことはできないなんて言わないよな」
下手な挑発だが、乗るのも一興。
「言わねぇよ。ここは魔境だぜ。知恵を振り絞らないと生きていけない。俺はその魔境の領主だ」
俺は手に込めていた氷魔法を脚にも付与し、水面を駆けた。
一瞬凍った水面を足場にして、一気にチェルとの距離を詰める。走りながら気づいたことがある。足に付与した氷魔法では水面の表層しか凍らせられず、足が沈んでしまうのだ。
足が沈む前に一歩を踏み出さなくてはならず、踏み込みもままならないためチェルに有効な打撃を与えられない。
「手の振りだけで倒せると思ったカ? 魔族の魔法を舐めすぎだヨ」
腕だけを振るう俺にチェルは氷の槍を放ってくる。肘でガードしなくては今頃、脇腹に穴が空いているところだ。
考えながら攻めてはいるものの、ずっとチェルの手のひらの上で踊らされて、なかなか思うように戦わせてくれない。
ただ、水上で戦っていると徐々に波が出てくる。
「マキョーの弱点は地面がない場所だったカ」
そう言ってチェルは笑っている。
「なら、場所を利用するだけだ」
右フックが空を切り、チェルが俺から距離を取った瞬間、両手を水面に着けた。波の力に干渉し高波に変えて、チェルが逃げた方へ襲い掛かる。
一瞬にしてできあがった水の壁には口を開けた大魚の魔物もいる。食われる直前にチェルは壁のような高波ごと凍らせた。
「いい足場ができた……」
俺は凍った高波を足場にして大魚を引っこ抜き、チェルめがけて叩きつけた。水面がはじけたように水しぶきが上がるも、チェルの手ごたえがない。
どこへ逃げたのか遠くの水面を探したのが運の尽きだった。
「距離を詰めて殴るのはマキョーの専売特許じゃないヨ」
後頭部に衝撃が走る。当たった瞬間はそれほど強いとは思えなかったが、何かの魔法が付与されているようで重かった。自分の体重が100倍重くなったような感覚があり、俺は沼底に圧し潰されるように沈んだ。
ただ、沼の底。足場がなかった水面と違い、踏み込めば確かな感触がある。ヘドロと魔物の骨が埋まる沼の底で、俺は膝を曲げて魔力を込め、一気に水面に向けて飛びあがった。
ボフッ!
沼底が爆発したように水しぶきが周囲一帯に飛び散り、水面からヘドロも魔物の骨も舞い上がった。寝ていたヘイズタートルは首を甲羅に納めて、森の中に転がっていく。
立てる水面がなくなったチェルは魔物の骨と一緒に舞い上がり、俺の姿を探していた。
「油断大敵」
俺は落下する骨を足場に、風魔法を付与した拳でチェルのみぞおちを正確に突いた。
ポンッ!
チェルの身体は高く舞い上がり、いつの間にか岸辺で観戦していたヘリーとシルビアの下に飛んで行った。
落下する骨や魔物にぶつかりながらも俺は泳いで、3人が待つ岸に向かった。
「マキョーとチェルの組手は金を取れるぞ」
「に、に、人間ってあんなことできるのか?」
ヘリーとシルビアは拍手していた。ジェニファーとリパも違うところで見ていたようで、
「なんか、もう、言うことありませんよ」
「なにと戦っていればそうなれるんですか?」
などと言って、仕事を放棄していた。
「ただの組手だ。お前ら、仕事どうしたんだよ」
インナーを搾り、ヘドロだらけの鎧を洗っていたら、同じくずぶ濡れのチェルが「マキョー」と声をかけてきた。
「なんだ?」
「面倒だけど、一旦メイジュ王国に戻って話をつけてくるよ」
「おう、そうか」
チェルはしっかり立って、笑っていた。
「よ、よ、よくあんなに吹っ飛ばされて平気で立っていられるね」
シルビアはそう言って、ずぶ濡れのチェルが着替えるのを手伝っていた。