【探索生活40日目】
日が昇る前に起き出し、干し肉とスープで軽い朝飯を済ませた。
夜の空気を吸い込むと、肺まで冷える。砂ぼこり対策として布で口を覆い、軽く身体を動かした。帰るだけなので荷物はほとんどない。
「雲が出てるネ」
チェルが言う通り、今から帰る北の空には雲が出ていた。
「雨が降らなきゃいいけど」
砂漠で雨が降ると、雨水は砂に染み込まず集まって鉄砲水になるので危険だ。
まだ魔物たちが寝ているなか廃墟から出発。ひたすら北へ向けて走り始める。
走り始めてすぐ、東の空が白み始めた。
徐々に体が温まっていく。魔物もほとんど起きていないせいか襲ってはこない。
順調だったが、やはり北に行けば行くほど雲が出てきた。
「これなら昼間も走れるかもな」
「ウゲッ」
気温がそこまで上がらなければ、休む必要もない。砂漠での移動は進めるときに進んでおくのが基本だ。
チェルも口では不満を漏らしているが、曇りの方が余計な汗をかかない分、体力の消耗が少ないので楽と思っているだろう。
走り続けて、そろそろ空島まで続く鎖が見えてくる頃、チェルが立ち止まって南の空を見上げた。俺もつられて立ち止まり、見上げると魔物の群れが北に向けて飛んでいる。
数もかなり多く、地平線まで続いていた。
白い雲の下を黒い魔物たちが一直線に並んで飛んでいる姿に俺もチェルもしばし声が出なかった。白い紙に黒い炭を一本書いたようだ。
よく見れば集まっている魔物の種類が違い、蝶の魔物やグリフォンのような魔物が風に煽られたりしている。おそらくクリフガルーダから飛んできた魔物だろう。廃墟で魔物に食べられていたが、他のルートもあるのかもしれない。
「どこに向かってるんだろう」
唐突に訛りもなくチェルが口にした。
「追いかけてみるか? どうせ帰るだけだし」
「帰れなくなるヨ」
「東の海岸まで出れば、チェルが漂着したところに辿り着けるだろ。そこから西に行けばいいさ」
大きく寄り道することになるが、空を飛んでいる魔物たちの行先が魔境なら地主として見ておきたい。ヘリーが気がかりではあるが、「渡り」をしてきた魔物によって魔境の魔物や植物が活発化する可能性もある。
「『渡り』をするくらいだから巣を作るはずだ。きっと縄張り争いがある。繁殖期の魔物は危険だ」
「いつもの魔物より攻撃性があがるってことカ。ヘリーは負傷中だし、シルビアが間違って血を飲んだらリパが襲われるカモ」
「ジェニファーは繁殖期とかわからないから、いつもの魔物だと思ってどうせ油断するだろ?」
「間違いないネ」
俺たちは旅の予定が早いこともあり、帰宅前に「渡り」の魔物を調査することに。
曇りで気温は上昇せず、昼前には鎖の真下に着いていた。
周囲にゴーレムの気配はない。地中の遺跡で眠っているのだろう。
空を見上げると「渡り」の魔物が飛んできている。俺たちの移動速度とほぼ同じだ。「渡り」の先頭集団はそのまま魔境の森へと向かっているが、空島で休む魔物もいて黒い塊となっていた。
軽く飯を済ませようと思って干し肉を出した時、白い粘着物が空から降ってきた。
「糞カ?」
旅をしてきたのだから、トイレ休憩くらい魔物でもするだろう。
「逃げるぞ!」
俺は干し肉を投げ出し革のコートを頭から被って、一目散に北へ走り始めた。チェルも気づいて、俺の後ろを付いてくる。
ボトボトボトボト!
白い糞が雨粒のように空から降ってきた。
「糞の雨だヨ!!」
「こんな休憩、聞いたことねぇよ! 痛い!」
見る間に、周囲の砂漠一面が真っ白な糞だらけになった。
とにかく糞地帯を抜け出すために、自分の筋力と魔力を最大限使って走る。どんなに柔らかいものでも空から降ってきたら、鉄鉱石より硬いのだ。走る先では糞の雨に打たれて、砂漠のサンドコヨーテやデザートサラマンダーが死んでいた。
糞が汚いとか、飯が食えないとか、そういうレベルではない。死なないために俺たちは走った。
白い地面がいつもの砂の地面に変わった頃、ようやく走る速度を落として空を見上げた。「渡り」の先頭集団が森の上空を飛んでいるのが見えるが、糞はもう降ってこない。
「もう、大丈夫か?」
「ああ、死ぬかと思ったヨ」
俺は糞まみれのコートを投げ捨て、チェルは水魔法で全身を洗っていた。俺も洗ってもらう。
森に入ると「渡り」の先頭集団が少し減っていた。近場の水辺に降り立ったのかもしれない。目の前の森では植物が魔物を捕食しているのか、魔物の叫び声が断続的に聞こえている。
「種類によって降り立つ地点が違うのかもな」
「そうだネ。とりあえず我が家の洞窟の上は通らなそうでよかったヨ」
自宅の洞窟に向かう通り道よりも少し東にズレているらしい。うちの洞窟に来ていたら、糞対策だけでジェニファーが病気になるところだ。
「俺たちの洞窟は魔境の西だからな」
「あの群れは魔境の森の中心に向かってるってコト?」
「かもな」
多少減ったとはいえ、「渡り」の先頭集団は真北に向かっている。カム実を採取し、ちょっとだけ休憩してから、「渡り」の魔物を追うことに。
魔境の森は鬱蒼としているので空が見えず追えないかとも思ったが、俺たちだけが空の魔物を見ているわけではない。ゴールデンバットやインプなども警戒しているため、騒がしい方向に行くと、枝葉の隙間から「渡り」の魔物が見えた。少しズレたとしても崖や川などで空を見上げて修正できる。
困ったのは巨猿の魔物と大鰐の魔物の喧嘩や蚊の魔物の大群だった。さらに、いつの間にかマングローブ・ニセの群生地を通っていたようで地面が沈む。
喧嘩は迂回してどうにか躱し、蚊の大群は全身に泥を塗って対処。沈む地面で脚に魔力を込めるとズボッと埋まった。埋まった脚にタガメの魔物が噛みついてくるので、急いで引き抜かなければならない。
「疲れたヨ」
「空を渡ってる魔物も疲れてるさ。もうちょっとだ」
そう励ましながら、俺たちはマングローブ・ニセの群生地を越え、丘を登り巨岩が点在している森に出た。
魔境に住んでいても行ったことがない場所は結構ある。東側は、塩を採りに行くだけでほぼ未開だ。今俺たちがいる場所もただの森だとしか認識していなかった。
「遺跡かナ?」
木々よりも大きな岩の上によじ登ると、周囲を見渡せた。
巨岩は規則的に並んでいるわけではなく、ランダムに置かれているらしい。ただ、どの巨岩も同じくらいの大きさで、人工物と言われたら信じてしまうかもしれない。やけに登りやすかったし。
東には巨大な樹木がいくつか見えたが、動く樹木もいたので、巨大なトレントかもしれない。西には森が広がっていて、北は丘が並んでいた。
「渡り」の群れは丘の向こうに飛んでいる。
「追うと今日は帰れなくなるネ」
すでに昼も過ぎている。
「魔物がいるから、食うには困らないだろ」
「そうだけど、東から帰ってきたら皆びっくりするヨ」
「そういうときもあるさ」
丘の向こうにどれだけの危険があるかわからない。今日はおそらく東の海岸で一泊だろう。
岩を下りて、北へと走る。
火吹きトカゲや蛇の魔物が多かった。マエアシツカワズも襲ってきたが、特に相手にすることもなくひたすら「渡り」の魔物を追った。立ち止まって戦っている間に、毒を持った魔物や痺れ毒で攻撃してくる植物に一撃でも当てられたら危険なので、できるだけ素早く動いていないと死ぬかもしれない。最高速度で走ることが最も危険回避になる。
「見えた!」
いくつかの森を越え、丘を下ると、空から魔物の群れが降り立っているのが見えた。
起伏がない森の中に広い湖がある。クリフガルーダから飛んできた魔物たちは湖に着水。長い旅を噛みしめているのか、疲労からか、ゆっくり岸に這い上がっていた。
「この森、なんか変じゃないカ?」
チェルが違和感を口にした。なにが変なのかわからないが俺も最後の丘を越えたあたりから妙な感覚があった。
「植物が襲ってこないのカ?」
「いや、『渡り』以外の魔物も見てないな」
「インプの声も聞こえないし、鳥の声も聞こえないヨ」
魔境の森なのに、静かすぎる。
地中にいる魔物の罠かもしれないので、魔力で探索してみたが、これといって特になにもない。いや、なさすぎる。
枯れ葉や枝が溜まっているだけで、地中に魔物の骨がまったくない。
「魔力が少ないんだヨ」
チェルが手のひらから光魔法の球を出して確認している。
「魔境じゃないみたいだ。なんだ、この森は」
そして、俺は見てはいけない者を見た。
木々の隙間を歩く人々が、次の瞬間には影だけ残してふっと消えた。影は落ち葉に紛れていつの間にか見えなくなる。一度だけではなく振り返るたびに人々が現れ、背景が薄く見えてしまっていた。
「ああ、マズいネ」
「チェル、俺は苦手なんだ。ああいうの」
背筋がずっと、ぞわぞわとして気味が悪い。魔境のルールから外れている。
「わかってるヨ! もう日が落ちるから、急いで海岸へ走ろう」
俺たちは急いで東へと向かい、崖を越えて東海岸へと向かった。
崖を越えてから普通の魔境の森に戻り、バカでかいオジギ草が襲ってきたりしてちょっと安心した。
「あの森には二度と行きたくねぇな」
「でも、調べたほうがいいかもヨ。あそこ変だからサ」
チェルが言うのもわかるが、調査するたびに幽霊を見てたら、俺が使い物にならない。
「あんな森だからクリフガルーダから来た魔物でも住めるんだろうネ。今度、ヘリーを連れて女性陣だけで調査しに行くヨ」
「ああ、頼む」
体を解すため、家サイズのカニの魔物をぶん殴って倒した。
砂浜まで辿り着いてようやく落ち着いた。
カニ汁で夕飯を済ませ、とっとと寝る。
「チェル、悪いけど今日は先に寝かせてくれるか。なんか疲れた」
「いいヨ。霊は塩に弱いからここまで来ないはず」
チェルはそういって笑いながら、俺を先に寝かせてくれた。